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第3話:専門家の泡と生け贄の誤解


 ダンジョンとして公的な認可を受けるには、国が派遣する「公認コンサルタント」の診断が必須である。


 村役場の佐藤さんが、「小規模ダンジョンの再生に定評のある、若くて優秀な方です!」と太鼓判を押して紹介してくれたのが、小鳥ことりさんだった。


「初めまして。ダンジョン運営コンサルタントの小鳥です。……あの、ここですよね? 申請のあった『裏山の横穴』というのは……」


 二十代半ば、眼鏡をかけた知的な雰囲気のお姉さんは、村役場から渡された「未認可:ただの穴」という資料を手に、深夜の家の裏山を訪れた。

 深夜は「ええ、ボロいですが」と、ノームたちが磨き上げたばかりの入り口へ彼女を案内した。


「……は?」


 一歩、足を踏み入れた瞬間、小鳥さんの眼鏡が曇った。

 そこにあるのは泥の穴などではなく、銀粉が練り込まれ、魔素を効率よく循環させる「白銀の回廊」だった。壁にはノームたちが趣味で掘った精密な魔導レリーフが刻まれ、空気は最高級の換気設備を備えた王宮よりも澄んでいる。


「小鳥さん? どうしました? やっぱり狭いですかね。あと、そこにいるのは工事スタッフのミノタウロスとサイクロプスで……」


「…………ッ!?」


 小鳥さんの視線の先。

 タオルを頭に巻いて、楽しそうに石材を運んでいる身長三メートル超の巨体たち。一国の軍隊が全滅を覚悟するレベルの災厄が、そこでは「あ、お疲れ様ですー」と言わんばかりの軽い会釈で通り過ぎていく。


「あ、これ、今のプロが来るなら普通かなと思って……」


 深夜がそう言いかけた時、小鳥さんは音もなく、白目を剥いて泡を吹き、崩れ落ちた。


「おい! 小鳥さん! 大丈夫か!?」


---


 ……温かい。

 ふかふかの羽毛布団に包まれ、額にはひんやりと心地よい濡れタオル。

 鼻腔をくすぐるのは、どこか懐かしい、出汁の効いた優しいスープの匂い。


(……ああ。私、お母さんのところに帰ってきたんだ……)


 小鳥さんの意識は、まるでお花畑を漂うような幸福感と共に浮上した。

 実家の、あの西日の差し込む和室で、風邪を引いた時に看病してくれた時のような安らぎ。台所から聞こえてくる、トントンと小気味よい包丁の音。

 

(……幸せ。ずっと、こうしていたい……)


 ゆっくりと、小鳥さんは感謝を込めてまぶたを開けた。

 そこには、実家の天井ではなく、古びた古民家のはりがあった。


 そして――。


 天井を埋め尽くさんばかりの漆黒の鎧と、肉の削げ落ちた、白く滑らかな「髑髏どくろ」の顔が、鼻の先数センチの距離で彼女を覗き込んでいた。

 眼窩がんかの奥で揺れる深紅の鬼火が、ジィィィ……と、獲物の魂を品定めするように燃えている。


「……あ。目覚めたか、女子おなご。健やかか?」


 カタカタと顎を鳴らし、魔王が親切心からその顔をさらに近づけた。

 小鳥さんの脳が、理解を拒絶してショートする。天国から、一気に奈落の底へ突き落とされたような衝撃。


「あ……、あ……」


「ん? 喉が渇いたか? ほら、栄養が要るだろう。精をつけよ。……新鮮な生血なまちだ」


 魔王が骨だけの手で恭しく差し出したのは、重厚な盃に注がれた、ドロリと濃厚な「真っ赤な液体」。

 それは深夜が彼女の健康を気遣って、自ら丁寧にして作った特製のトマトスープだったのだが、死の恐怖に支配された彼女の目には、それは「今から捧げられる生け贄への儀式」にしか見えなかった。


「…………嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 食べられたくないぃぃぃ!!」


 極限の恐怖。

 二十数年かけて積み上げてきた「エリートコンサルタント」の理性が、音を立てて崩壊した。

 小鳥さんはそのまま、ふかふかの布団の中にじわりと温かい染みを作り、一滴の余裕もなく絶叫したまま再び白目を剥いて気絶した。


---


 夕暮れ時。深夜が役所への報告を終えて戻ってくると、そこには頭を抱えて座り込む魔王と、異臭を放ちながらピクピクと震えている小鳥さんの姿があった。


「……何したんだ、旦那。お前、まさか脅したのか?」

「心外な! 我はただ、パートナーが作った『とまと』なる粥を勧めただけだ! なぜか叫んで、漏らして、勝手に絶命(※気絶)したのだぞ! 人間とは、なんと繊細で不可解な種なのだ……」


 深夜は、部屋に漂うアンモニア臭と、彼女の絶望に満ちた寝顔。そして、自分が「今のプロならこれくらい喜ぶだろ」と作った銀粉入りの壁を見比べた。


(……待てよ。村一番のコンサルが、入り口を見ただけで泡を吹き、魔王の顔を見ただけで失禁して倒れる……?)


 深夜は、自室に飾られた「ナハト」の昔の集合写真をそっと伏せた。

 

(……もしかして、俺が創ったこれ。……『そこそこ』どころじゃないのか? 俺の基準ベース……壊れてんのか?)


 二十三歳、元・英雄の末端。

 深夜は今さら、自分が「今のプロ(ナハト)」に合わせて出力した難易度が、この世界の常識を数百年分は置き去りにしている恐怖に、ようやく震え始めた。


【各話オマケ:ナハトの冒険録 ―絶望の聞き込み―】


 王都、冒険者ギルド総本部。

 伝説のパーティ『ナハト』が揃って来訪したというだけで、受付には重苦しい緊張が走っていた。


「深夜さんの行方を知らないか?」

 宵闇の冷徹な問いに、ギルドマスターは冷や汗を流しながら首を振る。


「……そんな男、登録名簿にはありません。S級はおろか、B級以下にも。……そもそも、右腕を欠損した男が一人でダンジョンに入れば、数日で死亡報告が上がるはずですが……」


「死んでるわけないでしょ!!」

 真昼の怒号が響き、ギルドの床にピシリと亀裂が入る。


「あの人が、剣を置くはずがない……。私たちは、まだあの人の背中に、一ミリも届いていないんだから! ……いいから、最近の『異常現象』を全部出しなさい! ダンジョンが勝手に消滅したとか、ボスの首が一人で撥ね飛んでたとか、そういうのを!!」


 彼女たちは、深夜が「静かに暮らしたい」などと考えるはずがないと確信していた。

 深夜は常に、誰もが不可能と断じる地獄の先で笑っている「ヒーロー」でなければならない。その強すぎる妄信が、皮肉にも彼女たちを「裏山の平和な日常」から遠ざけ続けていた。


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