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第1話:二日酔いと五百万の賭け


 深夜しんやの意識は、こめかみを激しく叩くような脈動と共に浮上した。

 視界が白く霞んでいる。喉は砂漠のように乾き、胃の腑には昨夜煽った安酒の残滓がどろりと停滞していた。二十三歳。かつて「英雄」の末端に名を連ねた男の目覚めとしては、あまりに無様で、あまりに惨めな朝だった。


「……う、ぐ……」


 呻きながら顔を上げようとして、深夜は自分の顔を覗き込む「それ」と目が合った。

 二メートルを超える巨躯。漆黒の古びた鎧に身を包み、肉の削げ落ちた眼窩がんかには深紅の鬼火が静かに灯っている。伝説に語られる「魔王」そのものの姿が、叔父の遺した古民家の、黄ばんだ天井を背景に鎮座していた。


「おはよう、パートナー。目覚めは健やかか?」


 カタカタと顎を鳴らし、魔王がやけに丁寧な口調で問う。その骨だけの手には、なぜか水が注がれた湯呑みが握られていた。


「……健やかなわけ、ねーだろ。骨の旦那、そんな至近距離で覗くな。心臓が止まる……。あと、そこから冷気が漏れてるんだよ、寒い……」


 深夜は震える左手で湯呑みを受け取り、一気に飲み干した。ふと、布団の裾に違和感を覚えて視線を下ろす。そこには、柴犬ほどの大きさのコボルトたちが三匹、深夜の足の指を熱心に掘り起こそうとしていた。


「おい……コボルト。そこは地面じゃない。俺の布団だ。お前ら、ペットにするには可愛すぎるが、一日で家を更地にされるタイプだな……」


 コボルトたちは「クゥン!」と短く鳴くと、誇らしげに窓の外を指差した。

 窓の向こう、かつて叔父が愛でていた裏山の斜面には、直径三メートルほどの不格好な「横穴」が口を開けていた。昨夜、酔った深夜が魔王の封印をうっかり解き、その宴の勢いでコボルトたちが本能のままに穿った、ただの泥の穴だ。


(……ただの、汚ねえ洞穴だ。崩落防止も魔法回路もねえ。これを人工ダンジョンとして認可させるには、気が遠くなるような金が要る)


 深夜は枕元に転がっていたスマートフォンを左手で手繰り寄せる。画面には「ナハト」のメンバーからの不在着信が地層のように積み重なっていたが、深夜はそれらをすべて一括で消去した。


 深夜はよろよろと立ち上がり、埃っぽい喪服のシワを伸ばすと、村役場へと向かった。


 村役場の『地域振興課』。

 傾いた机の上で、職員の佐藤が死んだような魚の目で書類を眺めていた。深夜が事情を伝えると、佐藤は椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。


「深夜さん! あなたは……いや、あなたは村の救世主だ! 苗字を持たない一般市民でありながら、自らダンジョンを申請しに来るなんて! 本来、苗字を持つような富裕層や領主にしかできない事業ですよ!」


 この世界で苗字を持つことは、特権階級の証だ。「深夜」という名しか持たない彼にとって、提示された条件は破格だった。


「『ダンジョン特区法』を適用します! 五年間、全ての税を免除! さらに、国からの新規開設給付金として、五百万円を即座に支給します!」


 深夜は役所を出ると、その足で村に一軒しかないコンビニへ向かった。

 レジの前でスマホのQRコードを提示する。トトカルチョ――かつての仲間たちが挑む、SSS級野良ダンジョン「深淵の門」の攻略成功に賭けるためのコードだ。


「これ、五百万円分。全部『ナハト』の勝利に」


「……あ、あの。お客さん。これ、五百円じゃなくて五百万ですよ? 正気ですか?」


「ああ。全くだ。正気じゃねえよ」


 深夜は左手だけで小切手を置いた。店員の顔から血の気が引いていく。震える指がレジを叩き、プリンターが「ガガガガ!」と悲鳴を上げるように、大量の『クジの引換券』を吐き出し続けた。深夜はそれを、重たい紙の束として受け取った。


 夕暮れ時。

 深夜は大量の引換券を抱え、裏山の「洞穴」へと戻った。入り口まで来ると、そこからは猛烈な獣の臭いと、強い酒の匂いが漏れていた。


「ガハハハハ! 良い飲みっぷりだ、牛公うしこう!」

「ドーーン!」


 洞穴の中。そこには魔王と共に、身長三メートルを超える牛頭の怪物ミノタウロスと、一つ目の巨人サイクロプスが、深夜の叔父が秘蔵していた酒樽を片手で煽っていた。


「……は?」


 かつて一流剣士だった彼でも理解できる。こいつらは「ボス級」だ。一国の軍隊を相手にできる怪物が、今、自分の家の裏山の泥穴で宴会を開いている。


「おう、パートナー! 戻ったか! ほら、一献いっこんやれ!」


 魔王に強引に巨大な盃を押し付けられ、深夜は半ばヤケクソでそれを煽った。


「……ぷはっ! ……って、飲んでる場合か! おい旦那、なんでここにボス級が居るんだ? それに、こいつらを維持する魔素はどうした? なんで酒盛りなんてしてるんだよ!?」


「案ずるな、パートナー。こ奴らは我の古き友人よ。我が目覚めたと知って、召喚よんじゃったのだ。……さらに見よ! ノーム(土妖精)たちもゾロゾロと付いてきおったわ! ちょうどダンジョンを造りたいと言うたら、喜んでノリノリでな♪」


 洞穴の影では、小さな小人たちが、テキパキと泥の壁を美しい石造りの回廊へと作り変えていた。


「カッカッカ! 奴らは『魔王様とミノタウロス様の酒盛りを間近で見学できるなら』と、飯だけで働くと申しておる! これで建設費は浮くし、ディテールも高くなるぞ!」


 魔王は満足げに笑いながら、部屋の隅に置かれた年代物の小型テレビを叩いた。


「さあ、酒のさかなだ! ちょうど始まったぞ!」


 砂嵐の混じる画面に映し出されたのは、【ナハト】の決戦の生中継だった。

 画面の中で、宵闇よいやみの双剣が闇を裂き、爆炎と共に最奥の守護者が消滅する。彼らはついに、伝説の『ダンジョンコア』を手に入れた。


『おめでとうございます! 歴史的快挙です! インタビューよろしいでしょうか! まず、この素晴らしい勝利を、一番最初に誰に知らせたいですか!?』


 興奮するインタビュアーがマイクを向けると、巨漢の曙が頭を掻きながら口を開いた。


『おいどん達は、大事な仲間を置いてきてしまっているとです。この【ナハト】の真のリーダーであり……おいどん達の、ヒーローを。早くあの方に、この勝利を伝えたいとですよ』


(……ヒーロー? 真のリーダー?)


 テレビの前の深夜は、不思議そうに盃を傾けた。

 (……へえ。ナハトも大変なんだな。俺が抜けた後に、そんな立派なリーダーが入ってたのか。そいつが怪我でもして、現場を離れてるんだろうな。……可哀想に。今のあいつらの輝きを見たら、そいつ、惨めだろうな)


 深夜は鼻で笑い、自分の欠損した右腕を、空いた左手でさすった。

 画面の向こうの熱気は、自分とは別の世界の出来事だ。彼らが「ヒーロー」と呼ぶ眩しい誰かと、泥の穴で酒を煽る自分を比べることすら、おこがましいと思っていた。


 ふと、スマホが小刻みに震えた。

 トトカルチョの公式サイト。手元の引換券を確認するまでもなく、画面には巨額の数字が躍っていた。


【払戻金:10,000,000円】


 五百万の紙切れが、一千万に化けた。


「……一千万だ。魔王の旦那……一千万だ」


 深夜はグイと酒を飲み干した。

 一千万あれば、ノームたちの作業効率を上げる最高の触媒が買える。あいつらナハトの連中が、いつか「本物のダンジョン」の噂を聞きつけて遊びに来た時、少しでも驚かせてやりたい。


「よし、魔王の旦那。浮いた一千万で、アルミに金に銀、全部揃えてやる。……ヒーローなんて柄じゃねえが、世界一豪華なホワイトダンジョンの『管理人』くらいには、なってやろうじゃねえか」


 深夜は愉快そうに笑い、再び盃を掲げた。

 自分の背中を追い、必死に手を伸ばしている「ナハト」の熱い想いには、一ミリも気づかないままで。


【各話オマケ:ナハトの捜索会議】


 史上空前の踏破を成し遂げたナハトのメンバーたちは、祝勝会場ではなく、冷え切った会議室に集まっていた。


真昼「……誰も、深夜くんの居場所を知らないの?」

宵闇「……着信拒否されたまま。真昼なら知ってると思ってた」

曙「いや、俺は真昼か丑三つのどっちかが、こっそり裏で連絡を取り合ってるもんだと……」

丑三つ「私は……深夜様が、私のような者に居場所を教えるはずがないと、あえて聞きませんでした……」


 凄まじい沈黙が流れる。

 二年間、彼らは「深夜」という完璧な英雄の背中を追い、死に物狂いで強くなってきた。だが、その深夜の行方を、今や誰も知らない。


新人の黄昏「あの……まさか、誰も深夜さんの連絡先を、今は知らないんですか?」


 宵闇が、暗い瞳でぽつりと呟いた。


宵闇「……深夜、本当にいたのかな。……私たちが勝手に作り上げた、都合のいい幻だったんじゃないかな。だって、誰も、彼に触れられない」


 誰も知らない。誰も会えない。

 ナハトの面々は、自分たちが追いかけていたのは幻だったのかという、底知れない恐怖に襲われるのだった。


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