第9話:命を奪わない戦場
最深部の扉を開いた先に待っていたのは、荘厳な静寂だった。
そこは村営ダンジョン『鉱夫達の晩餐歌』の心臓部。天井からは巨大な発光鉱石が吊り下げられ、周囲を祈りの場のような厳粛な空気が満たしている。
その中央、石造りの玉座に、一体の魔物が鎮座していた。
「……来たか。片腕の剣士、深夜」
深夜は足を止めた。そこにいたのは、緑色の肌を持つ巨漢。重厚な鎧を纏い、身の丈ほどもある大斧を携えた【ボブゴブリン】だ。驚くべきことに、その魔物は流暢な人間の言葉を操っていた。
「……言葉が通じるのか。それに、俺の名前まで」
「このダンジョンに刻まれた魔素の記憶を辿れば、お前の歩みは全て筒抜けだ。手刀でキノコを割り、石炭でトカゲを焼き、挙句の果てにウインドミルで部屋を掃除した怪物……。今の冒険者には、お前のような規格外は存在せんはずだが」
ボブゴブリンはゆっくりと立ち上がり、大斧を構えた。
「我が主……ダンジョンマスターより、お前を試せと命じられている。……正直に言おう、勝てる気は微塵もせん。だがな、男には負けると分かっていても、戦わねばならん時があるのだ」
「……いい目だな。アンタ、ただの魔物じゃないな?」
深夜が構えた瞬間、ボブゴブリンが咆哮した。周囲の壁から無数の魔法陣が浮かび上がり、そこから【ゴブリン】の群れが湧き出してきた。
「総員、突撃! 命を惜しむな!」
数百というゴブリンが、津波のように深夜へ押し寄せる。深夜は残された左手で、足元に転がっていた石を拾い、弾丸のごとき速度で投擲した。一撃で三体のゴブリンを貫通させ、背後の壁ごと粉砕する。
だが、それでも数は減らない。深夜はわずらわしくなったのか、目の前に飛び込んできたゴブリンの右足を、左手一本でガシッと掴んだ。
「ギ、ギギャッ!?」
「悪いな。ちょっと『得物』になってもらうぞ」
深夜は、逆さ吊りにしたゴブリンを、まるで重厚なモーニングスターのように豪快にぶん回し始めた。グオォォン! という凄まじい風切り音。遠心力で引き伸ばされた「肉の棍棒」が、周囲の同族たちを肉片へと変えていく。
その光景に、ボブゴブリンの目が鋭く光った。
「貴様……同族を盾にするか! ならば、その盾ごと断つまで!」
ボブゴブリンが地を蹴り、巨大な斧を横一文字に薙ぎ払った。
深夜が「ゴブリン武器」を盾にしようと突き出す。深夜の手に掴まれたゴブリンは、迫りくるボスの斧を前に「ギ、ギギィィィ(やめてくれぇぇ)!」と涙を流して絶叫したが、斧は迷いなくその胴体を一刀両断した。
さらに、その背後に控えていた二体目のゴブリン。それは逃げることもせず、ただ静かに、全てを許したような聖者のごとき「悟りの顔」で斧を迎え入れ、紙切れのように切り裂われていった。
ドシュッ、という肉を断つ鈍い音が響き、深夜の左手には「泣いていたゴブリンの右足」だけが残された。切り捨てられた上半身と悟りを開いた個体は、床に落ちる前に青白い光へと変わる。
「……ほう。同族ごと切り捨てるとは、良い度胸だ。天然ダンジョンの連中より、よっぽど戦士らしいじゃないか」
「我が責務は、お前の歩みを止めることのみ!」
ボブゴブリンの連撃。だが深夜は、残された「ゴブリンの足」を捨て、今度はボブゴブリンの斧の腹を左手で強引に叩いた。大斧が弾かれる。その隙に、深夜は一歩踏み込み、左ストレートをボスの腹部に叩き込んだ。
ドゴォォォン! 衝撃波がボブゴブリンの背中から突き抜け、背後の壁が蜘蛛の巣状にひび割れる。力尽きたボスが、どこか満足げに微笑んで光へと溶けていった。
「……またワープか。これ、いつ見ても慣れないな」
「はい。お疲れ様でした、深夜さん」
いつの間にか、背後にことりさんが立っていた。「今のボブゴブリンも、さっき切り捨てられたゴブリンたちも、全員無事に『バックヤード』へ転送されました。現代の人工ダンジョンは、モンスターも大切なスタッフですから、労基法に則って安全管理されているんです」
「スタッフ……? 労基……?」
深夜の知る天然ダンジョンは、殺意の塊だった。モンスターが死ねば魔石だけを残して塵となり、ダンジョンに吸収される。ボスの正体はダンジョンの心臓である「ダンジョンコア」そのものであり、それを奪うことはダンジョンの完全消滅を意味した。
「ええ。ここではモンスターが致命傷を負うと、その存在価値と同等の物質……ドロップ品と入れ替わる形で、安全な場所へ送られるんです。サラマンダーの丸焼きも、実はダンジョンが生成した『精巧な食品』なんですよ。本人は今頃、バックヤードで休憩しています」
「……信じられない。殺し合いじゃないのか……?」
「深夜さん、本人が来ましたよ」
バックヤードの扉から、先程のボブゴブリンがひょこりと顔を出した。腹部をさすり、感服した様子で深夜に歩み寄る。
「……参った。本気で『消滅する』と思ったのは初めてだ。……深夜殿、貴殿のような御仁がいれば、このダンジョンも安泰だな」
深夜は、自分の左手を見つめた。かつて仲間を失い、自らも腕を失ったあの地獄。そこでは決してあり得なかった「戦いの後の握手」に、深夜は深い戸惑いと、言葉にできない安堵を感じていた。
【各話オマケ:ナハトの冒険録 ―深淵の代償―】
王都、最高機密宝物庫。真昼たちは、かつて深夜と共に命懸けで手に入れた「ダンジョンコア」を、封印の檻越しに眺めていた。
「……このコア一つ手に入れるのに、私たちは何人の仲間を失いかけたかしらね」
彼らが潜るのは、拡大能力が高く、冒険者を殺すことだけに特化した天然ダンジョン。ボスの魔石=ダンジョンコアを手に入れるには、文字通りダンジョンの殺意を正面からねじ伏せるしかない。
「深夜さんは、あの地獄の中で笑っていた。……『いつか、魔物も人間も死ななくて済む場所を作りたい』って、冗談みたいに言っていたけれど」
曙が、深夜がかつて守り抜いた傷だらけの盾を撫でる。
「……あの方は、理想を現実に変えるために、あえて私たちの前から姿を消したのよ。……今頃どこかで、神の領域のシステムを構築しているに違いないわ」
宵闇が、決意を込めて瞳を輝かせる。
彼女たちが「神の偉業」と信じて疑わないその光景が、片田舎で「平和な村おこし事業」として実現していることを……彼女たちは、まだ知らない。




