第6話:それは「コツ」の範疇(はんちゅう)ではない
六月の湿り気を帯びた空気が、ダンジョン入り口の魔法陣をくぐった瞬間に、ひんやりとした岩の匂いへと変わる。
村営ダンジョン『鉱夫達の晩餐歌』。
そこは、深夜が知っている「ダンジョン」とは何もかもが違っていた。通路は整地され、一定間隔で魔法灯が灯っている。
Tシャツに半ズボンという軽装で、手ぶらの深夜は、まるで美術館でも見学するかのような足取りで一層を進んでいた。
「……はぁ、はぁ! くそっ、こいつ、意外と硬いな!」
前方の広場で、一人の少年が声を荒らげていた。
十五歳くらいだろうか。まだ新調したばかりに見える重厚な大剣を振り回し、一体のモンスターと対峙している。
相手は、このダンジョンの名物魔物――【細マッチョルーム】。
見た目は可愛らしいキノコなのだが、傘の下から生えた手足は不気味なほど筋肉質で、ボクサーのような軽快なステップで少年の斬撃をかわし、カウンターを狙っている。
(……あのキノコ、繊維が詰まってて弾力があるな。あの子の剣筋じゃ、弾かれるか)
深夜が冷静に分析していると、別個体の【細マッチョルーム】が、音もなく深夜の背後に忍び寄った。
筋肉質なキノコの拳が、深夜の項を狙って振り下ろされる。
「お兄さん、危ない!」
少年の叫びと同時だった。
深夜は振り返りもせず、残された左手をさっと振った。
シュッ、と空気を切り裂く音が一度。
それだけで、背後にいた【細マッチョルーム】は、その強靭な筋肉ごと真っ二つに両断され、魔力の塵となって霧散した。
深夜が使ったのは、武器ではない。ただの左手の「手刀」である。
「……え?」
呆然とした少年が、隙を突いて手元の個体をなんとか仕留めると、血相を変えて深夜に駆け寄ってきた。
「あ、あの! 今の、どうやったんですか!? 手刀で……あの筋肉キノコを真っ二つなんて、聞いたことないですよ! もしかして、凄いコツとかあるんですか!?」
キラキラとした羨望の眼差し。深夜は少し困惑しながら、少年の足元に目を向けた。
「……コツ、というか。君、その剣、重すぎないか?」
「えっ? でも、冒険者なら重くて強い剣を使うのが当たり前だって、街の武器屋のおじさんも……」
「いいや。下半身が踏ん張れていない。剣に体が振られているんだ。ただ強くて重い剣より、今の自分に合う剣を選んだ方が、ずっと強くなれる」
深夜は少年の肩を叩き、静かなトーンで続けた。
「自分に合った軽い剣に変えるのは、『逃げ』じゃない。それは、自分の力を正確に伝えるための『選択』だよ」
「……自分に、合う剣……」
少年が自分の大剣を見つめる。深夜は、言葉だけでは伝わりにくいと感じ、少しだけ実演して見せることにした。
「ちょっと、その剣、貸してくれるか?」
少年から預かったのは、彼の身長ほどもある無骨な大剣だ。
深夜はそれを、残された左手一本でひょいと持ち上げた。まるで羽毛でも持つかのような軽やかさだ。
「いいか。強くなれば、こんなこともできるようになる」
深夜が軽く、本当に軽く、前方の何もない空間に向かって左腕を振り抜いた。
瞬間。
大剣の切っ先から、凝縮された魔力と風圧が混ざり合った「斬撃のビーム」が咆哮を上げて放たれた。
轟音と共に、一直線に伸びた光の刃が、五十メートル先の岩壁を豆腐のように切り裂き、ダンジョンの奥深くまで消えていく。
「…………」
少年は、口を半開きにしたまま固まっていた。
自分が全力で振り回しても傷一つつけられなかった壁が、消えた。目の前の片腕のお兄さんが、適当に振っただけで。
深夜は満足げに頷き、大剣を少年に返すと、爽やかな笑顔で振り返った。
「なっ! 簡単だろ?」
「……できるかぁぁぁ!!」
少年の魂の叫びがダンジョン内に木霊したが、深夜は「あれ、教え方が悪かったかな?」と首を傾げながら、さらに奥へと進んでいった。
---
【各話オマケ:ナハトの冒険録 ―英雄の欠片―】
同時刻、王都の訓練場。
新メンバーの黄昏が、最新鋭のマジックアイテムを駆使して「斬撃ビーム」を放つ訓練をしていた。
「……はぁ、はぁ。……よし、飛んだ! 三メートルも飛んだぞ!」
黄昏の歓喜の声に、オリジナルメンバーの真昼が冷ややかな視線を送る。
「……三メートル? 深夜さんは十年前、木の枝で、山を一つ割るほどの斬撃を飛ばしてたわよ」
「いや、真昼さん。それは流石に盛ってるでしょ」
「盛ってない。……あの人は、私たちが『魔法』として構築する術式を、ただの『素振り』で行っていたの。……あの領域に辿り着かない限り、私たちは深夜さんに見つけてもらえない」
真昼の瞳には、一切の冗談がなかった。
彼女たちの基準(深夜)は、もはやこの世界の誰にも到達できない神域にまで高められていた。
一方、その「基準」である本人は、ダンジョンで「今の若者は、ビーム一つ出すのも大変なんだなぁ」と、やはり激しい勘違いを加速させていた。




