帰り道
七年前。
夕焼けが、街道を橙色に染めていた。
「終わったあ!」
団員たちの少し後ろを歩いていたリリアが、両腕を突き上げて振り返った。結んだ髪が、ぴょんと跳ねる。
「ねえ、エリシア。水路の奥の彫り物、見た? あんなの初めて見た!」
「……見たよ。リリア、泥だらけ」
袖を見下ろしたリリアは、一瞬だけ口をへの字にして、それからにっと笑った。
「冒険に泥はつきものでーす!」
前を行く団員たちがどっと笑う。古い水路の点検を終えてから、リリアはずっとこの調子だった。
エリシアが重い荷を背負い直すあいだに、また少し距離が開いた。追いつこうとしたとき、リリアが振り返って足を緩める。
「おい、リリア。エリシアを置いていくなよ」
列の最後尾から声をかけたのは、アルヴェリアの団長、ガルドだった。
「置いてってないもん!」
「帰るまでが依頼だ。気を抜くなよ」
「出た、団長の口癖」
ガルドは笑って、荷を背負い直した。
「毎回言うのが、俺の仕事だ」
また笑い声が上がった。拠点では、そろそろ夕飯の支度が始まっているだろう。あの扉を開けて「ただいま」と言うのは、今でも少しだけくすぐったい。
しばらくして一行が足を止めると、リリアは道端の平たい石に腰を下ろし、隣をぽんぽんと叩いた。
「ねえ、エリシア。次はどこ行きたい?」
「もう次の話?」
「だって楽しみなんだもん。……あ、そうだ。星降る湖って知ってる?」
「星が?」
「うん。湖に降ってくるんだって」
腰を下ろしかけたエリシアは、リリアの前にしゃがみ込んだ。
「水の中に?」
「そこまでは知らない。でも、星になった人にも会えるんだって」
リリアは足元の小石を拾い、指先で土を払った。
「まあ、お話だけどね」
エリシアは空を見上げた。星はまだ一つも出ていない。
「……星が落ちるとき、音、するのかな。こんな石でも、水に落としたら音がするでしょ」
エリシアが指さすと、リリアは小石を掌に乗せた。
「じゃあ、いっぱい降ったら、雨みたいな音かな」
「見てみたい。星が降るところ」
リリアの口元が、ふっとゆるんだ。
「じゃあ、見つけたら一緒に行こ。先に見つけても、先に見ちゃだめだからね」
「星に、待っててもらうの?」
「そう。私が行くまで」
「……じゃあ、リリアは遅刻しないでね」
「しないよ!」
リリアが差し出した小指に、エリシアもそっと小指を絡めた。
「……約束」
「うん、約束!」
「約束なら、朝の靴を揃えるところからだな」
頭の上から、ガルドの声。リリアは小指を絡めたまま、ぱっと顔を上げる。
「お父さん、聞いてたの!?」
「片方だけ履いて、もう片方を探してたのは誰だったかな」
「あれは靴が悪いの!」
リリアが小石を握ったまま立ち上がると、ガルドがエリシアにも手を差し出してくれた。引き起こしてくれた手は、日に当たっていた石よりも温かかった。
「ガルドさんも来ますか? 湖」
「見つけたらな。帰り道を覚えておいてくれよ?」
「それなら、エリシアが得意だよ」
「お前も覚えるんだ、リリア」
歩き出しても、エリシアは湖のことを考えていた。星が降るなら、きっと夜だ。水のそばは冷えるから、上着がいる。星の音を聞くときだけは、リリアにちょっと黙っていてもらおう。
ーーーー
道がゆるく曲がるところで、先頭の団員が足を止めた。薄いモヤが道を横切っている。向こうの木の幹が透けて見えるくらいで、はじめは、どうして立ち止まったのか分からなかった。
団員が隣を向いた。その肩にモヤがかかり、顔が見えなくなる。
次にエリシアが見たとき、木はそこにあった。人だけがいなかった。
「下がれ!」
ガルドが叫んだ。そばにいた団員が、消えた人のほうへ腕を伸ばす。袖がモヤに隠れ、背中まで見えなくなった。その隣で誰かが振り返った。エリシアが顔を見分けるより先に、その人も消えた。
さっきまで、リリアの話で笑っていた人たち。
誰かがまた笑ってくれたら、見間違いだったと思えそうな気がした。
「エリシア、走れ! リリア、ついてこい!」
手を引かれて、ようやく足が動いた。ガルドの手のひらはさっきと同じように温かかった。けれど、エリシアの手を包む指先は冷たかった。
来た道を引き返す。ガルドについていくだけで精いっぱいだった。すぐ後ろで、リリアの足音がする。その音が続くあいだは、振り返らずにいられた。
リリアが腰を下ろしていた平たい石のそばを駆け抜けたとき、背後で靴が地面を擦った。小さなものが跳ねる音がして、足音が途切れた。
「リリア?」
振り返ると、リリアが道に膝をついていた。立ち上がろうとついた手のそばを、あの小石が転がっていく。そのすぐ後ろまで、モヤが来ていた。
「リリア、早く!」
エリシアが戻ろうとすると、ガルドがつないだ手を引いた。
「先に行け。リリアを連れてすぐ追いつく」
つないでいた手が離れ、その手に背中を押された。
一歩、足が出た。もう一歩。
振り返ったとき、ガルドはもう、リリアのほうへ走っていた。




