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この世界には魔法というものがある。
かつては個人の価値の差を極端なほどに広げてしまっていた絶対的な権威。
けれど、いつしかその効力は薄まり、それは特別な才能という言葉に落ち着くようになった。
魔法という存在の圧倒的な優位性は、人間の手から去ってしまったのだ。
代わりに、それは人間という匣から溢れ出る呪いへと、コントロール不可能な災害へと変貌したらしい。
そのうちの一つに『常夢』というものがある。
文字通り常に夢に囚われるという呪いで、その発症者は人類の一パーセントにも上ると言われていた。
現在の世界人口は大体四十億ちょっとと言われているので、約四千万人が今も夢の中にいるというわけだ。
発症者に地域的な偏りじゃなく、先進国も発展途上国も関係なし。だから世界中で平均的に発症してる。
確認されてから、たしか五年以上が経過したはずだけど、解決法は未だ不明で、突然目覚める人もいるらしいけれど、犠牲者の八割は二度と目覚めないらしい。
私は果たして、二割の人間になれるのか……。
他の犠牲者たちも、知らない誰かの助言を聞いたうえで二割しか目覚めていないのだとしたらなかなかに難しそうだが、私はようやくこの夢の中で、自分の意志で行動できるようになった気がする。
なら、絶望するのは足掻いた後でもいいだろう。
「思い出せと言うのなら、私の情報を並べてくれないか? もし、こちらの声が聞こえているのなら、声を返してくれ!」
いつの間にか昼下がりになっていた公園で、空に向かって私は声を張り上げた。
その声に反応するように、空が少し揺らめいて、
「――諦めないでください。あなたには私の声が聞こえているのだから、きっと大丈夫。あなたはその世界が夢だと自覚出来るはずです、そして自分の意志で動けるようにもなるはずです。だから、諦めないでください。あなたには私の声が聞こえているのだから、きっと大丈夫。あなたはその世界が夢だと自覚出来るはずです。そして――」
という言葉が返って来た。
まるで録音された台詞を繰り返し垂れ流しているみたいだ。つまり、このコンタクトは一方通行であり、私が誰なのかもこの声の主は知らず、多分不特定多数に向かって放っているという事なんだろう。
なんにせよ、冷静になれた理由はわかった。その声にも特別な才能があるのだ。それが個人の意思によるものなのか、彼女が以前教えてくれた秘密機関とやらの意志によるものなのかは、少し気になるところだが……まあ、今はそれよりも、私という誰かの手がかりを探す事の方が重要だろう。
周囲を見渡すと、公園の外には複数の開かれた扉が手招きするように違う場面を覗かせていた。
その一つを潜ってみる。
潜った瞬間に扉は消えて、私は新居のリビングに佇んでいた。
最近引っ越したばかりなのであまり実感はないが、ソファーに置かれていたフクロウのぬいぐるみが、確かに私の家だと主張している。
中学生三年生の秋頃、クレーンゲームにハマっていたアカリがこれ以上は部屋に置けないからと私に寄越した代物だ。だから、もう十年の付き合いになる。
そんなフクロウの頭をなんとなく撫でてから、私は洗面所に足を運ぶことにした。自分の顔を見れば、もっと思い出せる事があるんじゃないかと考えての選択だ。
けれど、鏡に映ったのは私ではなくランだった。
『私、ずっとあなたに憧れていたんです。あなたみたいに、なれたらいいなって、だから――』
言葉の途中で、突然背後から誰かに抱きつかれた。
柔らかな感触と、馴染み深い香水の匂い。
『あなたの事はなんでも調べました。調べさせもしました。遺伝子情報でしょう、中学や高校生の頃の成績や出席日数でしょう、服とか下着なんかの購入履歴でしょう、御家族の経歴でしょう。あぁ、もちろん、これまで付き合ってきた相手の経歴も調べましたよ。凄く多くて困りました。まさにとっかえひっかえですね。たった八年で五十人。驚きました。でも、納得もしました。だって、あなたは特別な人ですからね』
……つらつらと、目の前と背後からランの声が重なって響く。
きっと後ろの彼女も、鏡の前の彼女と同じように誇らしげな表情を浮かべているのだろう。
しかし、その表情は、次第に仄暗いものへと変わっていき、
『私、本当に頑張ったんですよ。でも、どれだけ調べても、一つだけわからなかった事があるんです。教えてくれませんか? シズカ、って一体誰なんですか? どうしてシズカなんですか? 知りたいんです。知りたいんです。知りたいんです。あなたの全てを知りたいの。だから――』
突然、目の前のランに引っ張られ、私は鏡の中へと引きずり込まれた。




