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漆黒の綴改 ―彩られた世界の余白で、俺は今日も昼寝をする― 平穏を愛する最強のエラー、なぜか各属性のトップ女子に囲まれて安眠できません  作者: yura


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学園間話・一「スクラップ・ヤードの普通の午後」

バグの一件の前——スクラップ・ヤードに全員が揃った最初の一週間は、思いの外、静かだった。


特段の事件がなかった。授業があって、各自が好きなことをして、夕方になったら帰る。それだけだ。


ただ、内訳がにぎやかだった。


エリスは毎日放課後に一等の訓練に出るが、戻ってくるとスクラップ・ヤードで残りの時間を過ごした。なぜかは言わなかった。朝だけは北棟に一度寄る——静寂室、とルシアが噂にしていた同調管理の部屋だ。エリス本人は「習慣」としか言わない。



揃ってから二日目の夕方。俺だけが旧校舎に残っていた。


練武場の方から、金属と炎の音が続いていた。一等の放課後訓練——エリスが毎日出ているやつだ。


窓から覗くと、演武台にエリスと、緑の二等生が向かい合っている。


演武に入る前、エリスは大剣の柄を一瞬握り直した。剣身の根元に細い赤い刻印——闘争封印、と教官が呼ぶ同調補助だ。


「闘争の形を、制す——」


小声だった。カルディナの口伝。衝動が来ても形に落とすまで動かない、という訓練の合言葉らしい。


「紅炎、起動——」


大剣が炎を纏って横薙ぎ。相手が盾を展開し、緑の回復光で盾を補強する。炎が盾の縁を焦がすが、貫通しない。


エリスが踏み込む。二撃目。三撃目。省略詠唱が短くなっていく。四撃目で盾が割れた。


「勝ち、エリスさん」


教官の声。エリスが大剣を収め、額を押さえた。


「……うるさい」


小声だった。窓の外には届かない距離のはずだが、口の形だけは読めた。


エリスが演武台を降り、一人で水場の方へ歩いていった。アイリスやルシアは、その日の訓練には出ていなかった。


俺は窓から離れた。


(ああいうのが、毎日、続いてるのか)


アイリスは窓際の席で常に何かを読んでいた。ルシアは端末を広げて計算をしていた。シルヴィアは誰かの勉強を見ていた。ミアは机の引き出しを分解して組み直していた。


「なんで分解してるんだ」と俺は聞いた。


「構造が面白くて」とミアが言った。「重心がちょっとズレてたんですよ。直したら完璧になった」


「壊したわけじゃないのか」


「壊してない。強化した」


「そうか」


机を確認した。確かに引き出しの開閉がスムーズになっていた。


「……ありがとう」


「どういたしまして。次はクロハ先輩の椅子やっていいですか」


「今座ってるから後にしてくれ」


「後でいいです」



三日目の放課後、ルシアが顔を上げた。


「ねえねえ、みんなのことちょっと分析していい?」


「何を分析するんだ」と俺は言った。


「確率でキャラクターを読む。雷が最短経路を選ぶ——その応用です」


「断れるか」


「歓迎します、と言う確率が七割で、嫌だ、と言う確率が三割。でも三割の人は十分後には興味を持つ。だから始めます」


「……始めてくれ」


ルシアが端末を構えた。


「エリスさん。現在の行動パターンから推定すると、スクラップ・ヤードに戻ってくる理由のうち、六十二パーセントが特定の人物の存在に起因しています」


エリスが端末を叩いた。


「その計算、消して」


「消しません。でも誰かは言いません」


「誰が見ても分かるわよ!」


「六十二パーセントなので、本人の自覚はないかもしれません」


「自覚はある! というか……なんでもない!」


「七十三パーセントに上がりました」


「上げるな!」


ソルが笑いをこらえていた。俺は炉麦包を食べていた。


「クロハ先輩。先輩の行動パターンで一番確率が高いのは、昼食が終わってから十分後に椅子を傾けて目を閉じることです」


「合ってる」


「それは寝てるんですか」


「休んでる」


「違いは」


「意識がある」


「……そうですか」


「他には?」


「先輩が自分から人に話しかける確率は、普段は十二パーセントです」


「低いな」


「でも、スクラップ・ヤードの人間に対しては四十一パーセントです」


俺は少し黙った。


「……計算が合ってるか?」


「合ってます。ログから算出しました」


「そうか」


「四十一パーセントは先輩にとって相当高い数字ですよ」


「そうだな」


ルシアが「……先輩、素直ですね」と言った。


「事実だから」



一日目の午後——ソルだけが一度、旧校舎を出ていた。


戻ってきた時、袖に消石灰の匂いと、かすかな金属の粉がついていた。


「抑制棟か」


「一年生必修、魔獣抑制学の実習です」ソルが端末を閉じた。「今日は観察と補助。檻の中の甲虫型を、三人一組で三分以内に無力化する。合同演習ほど見事じゃない。教官が手順を四割は代わりにやる」


「一年生全員か」


「一等から四等まで、必修です。五等のスクラップは履修対象外。術式出力の記録上、実習棟に立ち入る必要がない、と」


「見学も?」


「合同演習の見学だけは全員です。——それ以外は、基本来ません」


ミアが顔を上げた。


「橙は来週、接合部実習、ボクの班です。教官が『橙は構造が見えるから早い』って言うんですけど、見えるからこそ、捕らえ方を間違えると減点なんですよね」


「楽しそうだな」


「楽しくはない。正確、です」


シルヴィアが小さく頷いた。


「緑は、蔦縛で足止めが基本です。魔獣を傷つけずに動きを止める——生命接続の練習にもなります。来週、私も同じ棟です」


「一等は?」エリスが窓の外を見た。「放課後訓練と被る日がある。私は抑制学の評価免除——皇女枠で、旅先の実績で代用、と学園に言われた。……言い訳みたいで嫌だけど」


「実績、はある、からな」


「ある、わね」


俺は炉麦包を一口かじった。


(学園では、魔獣と戦う練習が、当たり前の科目なんだ。二百年前から濃度が上がって、森の獣が魔獣になり、草が毒にも薬にもなる——入学説明で一回だけ聞いた話だ)


じいちゃんは「牙を避けろ、術式書を読め」としか言わなかった。術式書に章があるのは、知らなかった。



バグの一件から一日後、夕方。


旧校舎の渡り廊下を出ようとして、俺は一度だけ足を止めた。


北棟三階——距離的には遠いが、特等の徽章だけは判別できる高さに、白い制服の人影が立っていた。窓際だ。動かない。旧校舎の方角を見下ろしている。


(……白の、特等、か)


噂の「至宝」。一般生徒が拝顔することすら稀で、廊下ですれ違っても「見ただけ」で終わる距離の人のはずだ。


なぜ、こちらを見ている。


次の瞬間、カーテンの影に溶けて消えた。来た気配も、去った気配もなかった。


俺は考えた。考えるのをやめた。五等の落ちこぼれが、白に見られる理由はない。


——翌日には、白が扉をノックした。



バグの一件から二日後、昼休み。


スクラップ・ヤードの扉が、一度だけ静かにノックされた。


「失礼します」


白を基調とした特別仕様の制服。肩までの白銀の髪。胸元には特等の徽章——しかも、白。


知らない顔だ。ただ、昨日の夕方、北棟の窓にいた人影と重なる。


全員が顔を上げた。誰も名前を呼ばない。旧校舎の隅に、こういう格の学生が来ること自体が異例のはずだ。


白い学生が一度、部屋を見回した。エリス、アイリス、ルシア、シルヴィア、ミア——五人の一等が、五等の教室にいる。本人の表情はほとんど動かないが、目だけが一瞬、わずかに止まった。


(……予定外、という顔だ)


淡い灰色の瞳が、やがて目的を定めて俺のほうへ向いた。


「クロハ・レイさん、ですか」


「そうだけど」


「アルバ・ブランシェです。白の特等。三年生です。失礼しました。少し、お話できますか」


アルバ・ブランシェ——名前までは噂で聞いていた。学園の頂点に隔離保護されている存在。俺にとっては、昨日窓辺に立っていた人と、今日扉の前に立っている人が、同じ個体だと分かる程度の情報だった。


(なんで、こんな人が旧校舎の隅に来た)


「東棟の演習場で、空白の一画が残りました」


いきなり本題だった。


「あなたがいた時間帯です。色だけが消えた一画が、残りました。学園の公式記録では『原因調査中』ですが、白のログ班には、消し方が分からない、と出ています」


「……俺がやった、と言いたいのか」


「断定はしません。ただ、相関があります」


エリスが「白が旧校舎に来る理由、それ?」と言った。


「はい。本来、確認は白棟で行います。しかし」


アルバが少し間を置いた。


「あなたの半径三メートル以内では、私の漂白の試験値が安定しない。白棟の隔離室より、ここで直接確認した方が正確だ、と判断しました」


教室が静かになった。


「漂白、ですか」


「白の特等の役割の一つです。記録の上書き——漂白。対象の存在記録を白く塗りつぶす能力です。重度の——分類不能な状態への、最終処理」


言い方が事務的すぎて、逆に冷たく聞こえた。だが、全員が息を呑んだのは、その「最終処理」が何を意味するか、一等の連中なら分かっているからだ。


俺は炉麦包の袋を膝に置いた。


「で、俺を漂白するのか」


「……試しました。昨日、遠隔で。効きませんでした」


初めて、アルバの声にわずかな揺れが混じった。


「効かない、のか」


「はい。だから、来ました。消す前に——いえ、消せない以上、何が起きているのかを、確認しなければなりません」


廊下の窓から、購買方向の匂い——炒麦と路醤——がかすかに混じっている。アルバが一瞬、目を細めた。話題の切り替えが不自然に見えたが、本人にとっては、ログの空白より、初めて嗅ぐ匂いの方が処理しきれなかったのかもしれない。


「……炉麦包、ですか」


「匂いで分かるのか」


「白はログだけじゃなく、環境データも読めます。匂いもデータです。初めてです。記録に残したい、と思いました」


「へぇ」


「本題に戻ります。あなたの断界は、コードのログに混ざるノイズにも干渉できますか」


「やってみないと分からない」


「魔力器官の出力が上がるたび、ログに外部から雑音が混ざる。学園は『成長』と説明していますが、データ上はノイズとして記録されます」


「……あなたのそばにいると、ノイズが薄まる感覚がありました。確認したかっただけです」


「感覚で判断するのか」


「私は白なので、コードのログを読めます。あなたの近くにいると、ログの雑音が減ります。漂白が安定しないのも、同じ方向の現象かもしれません」


「それは俺が原因だと言えるのか」


「百パーセントとは言いません。ただ相関があります」


エリスが「何の話してるの」と聞いた。


「断界と、ノイズ——神様の声、に近いもの——の関係です」


「それを、なんでここで話すの」


「ここで話す方が効率的だと判断しました。この場所にいる人は全員、クロハさんの能力と関係がある人たちです。私がここで確認することは、全員に関係する情報です」


エリスが「それは……まあ、そうか」と言った。


アイリスが本から顔を上げた。


「私もノイズが薄まる感覚があった。ログで確認できるなら、してほしい」


「します」アルバがアイリスを見た。「あなたのログ上のノイズは現在、クロハさんの近くにいる時間が長くなるほど軽減されています。ログ上で確認できます」


アイリスが少し黙った。


「……そうか」


「継続して近くにいることを推奨します」


「近くにいろ、ということか」


「データ上の推奨です」


ルシアが「つまりクロハ先輩の隣が最もノイズリスクが低い特等席ということですか」と言った。


「データ上はそうなります」


「……競争率が上がりそうですね」


「競争率という概念でデータを見ていませんでした」


シルヴィアが「みなさん、落ち着いてください」と言った。


俺は炉麦包の袋を持ったまま、全員を見た。


「俺は動かないので、近ければ近い人が優先される」


全員が俺を見た。


「物理的な話だ」


「分かってる!」とエリスが言った。


「六十二パーセントが七十九パーセントになりました」とルシアが言った。


「消して」


「消しません」


アルバが、初めて、ほんの少しだけ目を細めた。


「……クロハ・レイさん。今日は皆さんがいるので、これ以上は控えます。明日、お時間をいただけますか。二人きりで、七分半ほど」


「……何の話をするんだ」


「あなたの属性が、ログに存在しない理由です。昨日、遠隔では読めませんでした。近くで、確認したい」


「断っても」


「できます。来なくても、構いません」


「……来なくていい、と言いながら、来い、という顔だな」


「そう見えますか」


「見える」


「では、明日、午後。廊下で。七分半」


「八分半」


「……八分半、了解しました」


アルバは一礼して、扉の外へ消えた。足音がほとんどしない。白が去ったあと、旧校舎にだけ、妙な静けさが残った。


スクラップ・ヤードに笑い声が混じった——アルバがいる間は、誰も笑っていなかった。


窓の外、夕暮れが始まっていた。




アルバの独白


東棟の空白は、消せなかった。


遠隔漂白の試験値は、拒否された。ログ上の属性カテゴリそのものが、存在しない。昨日、初めてその語を、本人の口から聞いた。


旧校舎に着いた時、五人の一等がいた。予定外。確認対象はクロハ・レイ一人のはずだった。


それでも、近くに立つだけで、漂白の進行が止まる。感情のログが、薄くならない。白棟の隔離室より、旧校舎の方が安定する——その事実だけは、記録に残した。


炉麦包の匂いは、予測外だった。味は、まだ知らない。明日、七分半——いや、八分半。近くで、読めない一行を、読めるか試す。


——消す前に、確認しなければならない。消せない以上、それしかない。


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