猫も杓子も通じない
霧が、広がる。
じわり、と視界の輪郭が溶けていく。足元さえ、曖昧になる。
周囲を見渡す。だが、何も見えない。
その代わりに、
バチッ、と。
紫電が、霧の中を走る。
一瞬の閃光。遅れてくる、空気の震え。
猫の姿は見えない。
だが、いる。確実に、どこかにいる。
圧だけが、消えない。
「……辰か。」
低く、呟く。
あの“姿を消す”厄介な能力。
視覚を奪い、感覚を狂わせる。
霧と雷。
視界の遮断と、位置の撹乱。
「ほんと、嫌がらせの塊だな……。」
視線を細める。耳を澄ます。呼吸を落とす。
その時。
ふわり、と。どこからともなく、光が滲み出す。
霧の粒子が、それを反射し、増幅する。
一瞬で、世界が白に塗り潰される。
「――っ!」
反射で目を細める。
そして。
光が、収まる。
「……今のは。」
すぐに、理解が追いつく。アイテムの発動。
順番的に、
「巳の脱皮殻。」
回復の能力。
舌打ちが、喉元まで上がるが――飲み込む。
「……まぁ、いい。」
小さく、吐き出す。今は、削り合いじゃない。
これは、“準備段階”だ。
回復されたところで、問題はない。まだ、“削っていない”のだから。
思考を整理する。
卯で攻撃をいなし、
辰で姿を消し、
巳で回復する。
「……最悪の組み合わせだな。」
防御、回避、回復。
綺麗に噛み合っている。
正面から崩すのは、不可能に近い。
「……妨害もできねぇ。」
姿が見えない以上、アイテムを撃ち落とすこともできない。
だから、
「今じゃねぇ………。」
自分から動かない。誘う。
“次の選択”を、強制する。
霧の中で、じっと立つ。動かない。呼吸だけを、整える。
耳を澄ます。足裏で、床を感じる。圧の位置。空気の揺れ。
ほんのわずかな、違和感。それを、待つ。
アイテムが回る。
そして、
猫が、動きを止める。
その身を覆っていたものが、ふわりと膨らむ。
綿毛のように軽く、柔らかな繊維。それが幾重にも重なり、羽衣のように猫の体を包み込んでいた。
淡く揺れるたびに、色が変わる。白から金へ、金から虹へ。
光を受けて輝くのではなく――
“自ら、色を放っている”。
「……未の毛か。」
低く、呟く。
ただの強化じゃない。
あれは、“底上げ”だ。あらゆる性能を、一段階引き上げる。
自己強化。その発動と同時に、
霧が、ほどけた。
「――っ!」
視界が、一瞬で開ける。
紫電の走っていた空間が、輪郭を取り戻す。
そして、見えた。
猫の背後。
円を描いていたアイテムの一つが、
“戻る”。
「……そこだ!」
ほぼ反射だった。
腕が動く。杖が対象をとらえる。
|スキル発動 [水球]
圧縮された水塊が、一直線に走る。
狙いは一点。
戻り切る前の、“無防備な瞬間”。
当たるかどうかじゃない。
“今しかない”。
バチンッ!!
「……よし!」
乾いた衝突音。
辰の欠片が、弾かれ、軌道を乱す。
円に戻らず、地面にアイテムが落ちる。
成功。
確実に、一手崩した。
――はずだった。
だが。猫が、ゆっくりと歩く。
落ちたはずの辰の欠片へと。
「……は?」
咥える。
そのまま、何事もなかったかのように、円へと戻す。
回転が、再開する。
「……なるほど………。」
弾くだけじゃ、ダメなのか。
猫の視線が、こちらを捉えている。
猫が動きを止める。
纏う未の毛が何色にも輝いている。
猫は、その羽衣を揺らしながら、
背後に浮かぶ円へと視線を向ける。
次の一手を、選んでいる。
「……ここだ!」
確信する。
奴は必ず、アイテムを使うとき、動きを止めていた。
「スキルコネクト!」
そして、今、アイテムの組み合わせは、
巳、午、未。
[巳]は妨害に、意味はなく。
[午]はアイテムは探すために、止まっている。
[未]は自己強化だから、関係ない。
絶好のチャンス。
「[疾走]×[ハイジャンプ]。」
|スキルコネクト[疾風月歩]を発動。
その瞬間。空を踏んだ。
否――蹴った。
足裏に触れたのは、大気。
本来、掴めるはずのないもの。だがその瞬間、圧縮された風が“足場”へと変わる。
二歩目。
空気が爆ぜる。乾いた破裂音と共に、身体が前へ弾け飛ぶ。
一歩ごとに、風が凝縮し、砕け、解き放たれる。
踏み込むほどに推進力は増す。
三歩、四歩――軌跡は弧を描く。
月光に照らされた残像が、空に幾筋も走る。
衝撃は一点に集約され、その身は、射出”される。
一気に、間合いを詰める。
「___捉えることはできねぇだろ!」
狙いは、咥えている“それ”じゃない。
「…背中だ!」
回転する円。
そこに浮かぶ、アイテム。“次”の手札。それを、潰す。
勢いのまま、棍棒を振り抜く。
ガキンッ!!
衝撃。
だが。手応えが、違う。見えない壁。
円を描くアイテムたちが、光の膜に守られている。
理解が、ワンテンポ遅れる。
その一瞬。致命的な、隙。
「――ッ!!」
視界の端。“動いている”。
止まっていたはずの猫が。
もう、“そこ”にいる。
牙。至近距離。
避けられない。
「――ぐっ……!」
噛みつき。
視界が、弾ける。HPゲージが、一瞬で削り切られる。
視界が、赤く染まる。
「……っ、は……。」
思考が、途切れる。
最後に、残ったのは、違和感。
「……止まって、なかった……?」
いや、違う。
“止まる動作そのものが、罠だった”。
「……こいつ……。」
理解が、形になる。
「ブラフ……張りやがった……。」
その言葉を最後に。意識が、落ちた。




