13話
夕暮れ時の校舎は、どこか切ない橙色に染まり始めていた。
放課後、伯母の店でのアルバイトがない日。
静は特段急ぐ理由もなく、のんびりと男子寮へ戻ることにしている。
本来なら部屋で本でも読んでいる時間だった。
だが、その日の静の足は、吸い寄せられるようにグラウンドへと向かっていた。
(……大丈夫なのかな、水瀬くん)
防球ネット越しに視線を送りながら、静は密かに眉をひそめた。
(あんなにおとなしくて無口で……先輩や同級生と上手くやっていけてるんだろうか。いじめられたり、孤立したりしてないかな)
コミュニケーションがあまり得意に見えない優牙が、厳しい部活動の世界でちゃんと揉まれているのか。
心配でたまらなくなり、静は先輩として様子を見に来てしまったのだ。
「……あ、いた」
見つけた。
背番号入りのビブスを身につけ、ボールの周りに集まる部員たちの中に、その小さな背中があった。
静はネットから少し離れた木の影に立ち、そっと息を潜めた。
サッカー部の中に混ざると、優牙の小柄さはよりいっそう際立っていた。
大柄な上級生に囲まれれば、まるで大人と子供だ。案の定、周りの部員たちが声を掛け合っている中で、優牙は一人だけ無表情のままぽつんと立っている。
(やっぱり……上手く馴染めてないんじゃ……)
静が胸を痛め、助けに入りたくなるような焦りを覚えた——その時だった。
ピーッと鋭い笛の音がグラウンドに鳴り響いた。
「紅白戦、ラスト一本!」
コーチの叫び声とともに、フィールドの空気が一変した。
そして次の瞬間、静は自分の目を疑うことになる。
「——来いッ!!」
地響きのような通る声がグラウンドを突き抜けた。
静が一瞬、誰の声か分からなくなるほど力強く、威厳に満ちた怒号。
声を上げたのは、他でもない優牙だった。
(え……っ!?)
静は息を呑んだ。
寮で見せる、あのポーカーフェイスは影も形もなかった。
眉間には深いシワが刻まれ、その瞳は肉食獣のようにギラギラと怪しい光を放っている。夕日を反射して輝く汗。
小さく引き締まった身体から放たれる、周りを圧倒するほどの鋭い覇気。
優牙の足元に、高速のパスが送られる。相手チームの身体の大きな二年生が、巨体をぶつけるようにしてボールを奪いに飛びかかった。
「危険だ!」と静が心の中で叫んだ瞬間。
優牙は鋭いフェイント一つで相手の重心を崩し、すれ違いざまに肩を接触させながらも、ビクともせずに上級生を置き去りにした。小柄な身体のどこにそんな軸の強さがあるのか。
「止めろ! 水瀬にいかせるな!」
「右、切れ!!」
先輩たちの焦りを含んだ叫びが飛ぶ。しかし、優牙の耳には届いていないかのようだった。
彼の視線は、まっすぐにゴールだけを見据えている。
その表情は、凶暴と言ってもいいほどに感情が剥き出しだった。
歯を食いしばり、眉を寄せ、全身から「勝ちたい」「ゴールを奪いたい」という強烈な執着が溢れ出ている。ボールを追うその動きには一切の迷いがなく、荒々しく、そして息をのむほど美しかった。
(すごい……なに、これ……)
静は胸の奥が熱くなり、バクバクと心臓がうるさく脈打ち始めるのを感じた。
「上手くやっていけてるか心配」なんて、完全な杞憂だった。
寮の部屋で、静が「何を考えているのかな」と顔を覗き込むと、いつも無表情で静かに首をかしげていたあの水瀬優牙が。
ピッチの上では、誰よりも感情を爆発させ、誰よりも雄雄しくフィールドを支配している。
——ドカッ!!
優牙の右脚が鋭く振られた。
放たれたシュートは美しい軌道を描き、ゴールキーパーの手をかすめてネットを激しく揺らした。
「よしっ!!」
優牙が拳を固く握り締め、咆哮した。
すると、周りの先輩や同級生たちがワッと集まり、彼の頭を乱暴に撫で回し、背中を叩いて健闘を称え合った。優牙はフッと荒い息を吐きながら、誇らしげに胸を張っている。
孤立なんてしていなかった。むしろ、その圧倒的な実力と熱量で、チームの中心として認められていたのだ。
(……カッコいい……)
静はゴクリと唾を飲み込んだ。
身体の奥が痺れるような感覚。胸を突く、今まで感じたことのない激しいときめき。
心配な可愛い後輩だと思っていた。
けれど、こんな男らしくて、力強くて、ギャップの塊みたいな一面を見せつけられて、静の頭の中は収まりがつかなくなっていた。
「心配して損した……っていうか、なんなんだよ、あのギャップは……」
ぽつりと漏らした自分の声が、少し震えていることに静は気づく。
練習が終わり、部員たちが片付けを始めるのを見届けると、静はこれ以上ここにいたら自分の激しい動揺が見透かされそうな気がして、逃げるように足早にグラウンドを後にした。




