9話
朝の空気は、まだ少し冷たかった。
男子寮の敷地の周りを静は散歩していた。
(ちょっと早く起きすぎちゃったな……)
普段なら二度寝を決め込む時間だ。
しかし、昨日の放課後に見かけた光景が頭から離れなかった。
優牙がサッカー部の三年生三人の囲まれて怒鳴られた。
優牙本人は相変わらずの無表情で何を考えているのか読めなかったが、同じ寮生こしてはどうしても気になってしまう。
(まぁ、僕が心配したところで僕にできることなんて何もないんだけど……)
自嘲気味に息を吐き出すと、白く濁った空気が朝の静寂に溶けていった。
その時だった。
タッ、タッ、タッ、と規則正しい足音が聞こえてきた。
白い息を勢いよく吐き出しながら、一定のペースでランニングを続けている優牙だった。
汗で額に張り付いた髪と、少しだけ赤くなった頬。
静は足を止め、近づいてくる優牙に向かって軽く手を挙げた。
「おはよう、水瀬くん。朝早くから偉いね」
「!」
静に声をかけられた優牙は足を止めた。
息を整えながら静の正面に立つ。
しかし、その顔は相変わらず無表情でピクリとも動かない。
瞳にも光が宿っていないように見え、言葉を返す気配もなかった。
「………」
「………」
静寂が二人を包み込む。
じっと見つめ返してくる優牙はポーカーフェイスそのものだった。
静は小さく息を吐き、困ったように眉を下げた。
「……あのさ、水瀬くん。嫌なら嫌でいいんだけど、ちゃんと反応してほしいな。挨拶を無視されると地味に傷つくんだよ?」
軽く注意するような口調でそう言うと、優牙はほんのわずかに首を傾げた。
そして、全く変化のない無機質な表情のまま、ボソリと口を開いた。
「ちゃんと反応してます」
「してないよ」
即答する静。
優牙は一瞬だけ言葉を詰まらせたように見えたが、やはり顔の筋肉は一切動かない。
「してます」
「……どこが?」
静はあきれたように笑ってしまった。
優牙は至って真面目に答えているつもりらしいが、第三者から見ればただの突っ立っている無口な檀紙生徒にしか見えない。
昨日の先輩たちとのやり取りも、きっとこんな調子だったのだろう。
優牙に悪気がないのはわかるが、これでは周囲に誤解を与えてしまうのも当然だった。
静は少しだけ真面目な顔つきになった。
「あのね、水瀬くん。いくらサッカーが上手くても、サッカーは団体競技なんだから先輩たちと上手くやらないとダメだよ」
「………」
「君が何を考えているのか、その顔じゃ周りには伝わらないんだ。昨日の先輩たちとのこともそうでしょう? 黙ってそんな顔をしていたら、『生意気な1年生』って思われちゃうよ。せっかくすごい技術を持ってるのに、そんなところで損をするのはもったいないと思うんだ」
静としては、先輩らしいアドバイスのつもりだった。
しかし、帰宅部で運動部の厳しい上下関係とは無縁の静。
「……俺はちゃんと喋ってます。先輩たちの話もちゃんと聞いてます」
「表情と声に出してくれないと分からないんだってば……」
思わずツッコミを入れた静に、優牙はジッと視線を送り続ける。
「……真砂先輩には伝わりませんか」
「え?」
不意に落とされたその言葉に、静の思考が一瞬フリーズした。
「俺が、真砂先輩と話せて嬉しいって思ってること……伝わってないですか」
「え……」
いつの間にか、静のペースが乱されている。
「……伝わって、ないよ。全然」
静は照れくささを隠すように咳払いを一つした。
「とにかく! もっと分かりやすくリアクションすること。いい? 挨拶されたら返す、返事は大きく。……次に僕が話しかけた時は、もう少し嬉しそうな顔をしてよね」
「善処します」
やっぱり表情は変わらない。
けれど、心なしか優牙の耳の頭がほんのりと赤くなっているような気がした。
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