第9話 戦場のムダ話
深夜。黒岩のダンジョンの入り口に広がる森。
夜風には、濃い血の匂いが混じっていた。
まっ暗な森の中や岩のすき間に、飢えた獣のような赤い目が無数に光る。耳をつんざくような「ギャアッ」というかなきり声と、金属がこすれる音とともに、山をうめつくす緑色の軍勢が波のように押し寄せてきた。
トゴルトは深く息を吸いこみ、隙のないかまえで細剣を抜く。
リネアはまがまがしい光を放つ劇薬を、両手の短剣にゆっくりとたらした。「シューッ」と刃がとけるような音が響く。
そしてローウェンは、あいかわらずチームの最前列に立っていた。
かつてとよく似た絶望的な光景を前にしても、ローウェンはもうあの恥ずかしいセリフを叫ぶことはない。ただ静かに目の前の緑の波をみつめ、片手剣を抜いた。
「ギャアアアッ——!」
何百匹ものゴブリンが土砂崩れのように、サビた鉄剣や棍棒を振りまわして3人に襲いかかってきた。
普通のパーティーなら絶望する数だ。だがリネアは、まるで巨大な実験場を与えられた学者のように、楽しげに笑った。
「さあ、新薬の遅効性をテストさせてもらうわ!」
彼女は風のように緑の波へとびこんだ。
短剣を逆手にもち、ハチのように敵の間をすり抜けながら、刃でゴブリンの皮膚を軽くかすめていく。ほんの1センチの傷でも、強力な酸と神経毒のミックスは一瞬で効果を発揮した。
「ギガッ!?」
傷を負ったゴブリンは全身をこわばらせ、丸太のように倒れてけいれんする。リネアはそれを見向きもせず、その体を踏み台にして次の標的へ向かった。
そのすぐ隣では、銀色のカミナリが次々とまたたいていた。
「自分ばかり楽しむなよ、お嬢さん! 俺様の華麗な剣技も見てくれ!」
トゴルトは酒場でのまぬけな姿を完全に消し去り、A級の本性を見せつけていた。
ムダのないなめらかなステップでゴブリンの急所を的確に貫き、きれいな血の花を咲かせる。背後から飛びかかってきた3匹に対しても、ふり返りもせずに腰の短剣で2匹の首を裂き、最後の一匹を蹴りとばして後続の群れに激突させた。
血肉が飛び散る戦場の中央で、この2人はまるでお茶会でもしているかのように、軽口をたたき合っていた。
「おい! 俺様はもう30匹やったぜ! スピードなら俺様の勝ちだな!」
「あたしはデータを集めてるだけよ! でも、さっきのステップは悪くなかったわ。10点満点で6点ってところね!」
「6点だと!? お前、剣術の美しさが分かってねえな!」
2人がムダ話をしているころ。
戦場の反対側では、背筋が凍るような異常な空間が広がっていた。
ローウェンの戦いには、ムダな動きも、派手な剣閃も、そして音すらもなかった。
彼はかまえることすらせず、片手剣を下げたまま、もっとも敵が密集している場所へ向かって淡々と歩きつづけている。
彼の間合いに入ったゴブリンは、悲鳴を上げるヒマすらなかった。
シュッ。
ただの横なぎに見える一撃。
飛びかかってきた3匹のゴブリンは、かまえていた粗悪な鉄盾ごと、一瞬にして真っ二つに両断された。
ちぎれた肉と血の雨が降るなか、ローウェンはまばたき一つせず次の足を踏みだす。防御はいらない。敵が彼に触れる前に、ただの肉塊に変わってしまうからだ。
彼はまるで感情を欠いた冷酷なミンチ機だった。あふれる緑の波の中に、血ぬられた一本の道を強引に敷いていく。
ムダ話をしていたリネアとトゴルトも、思わず動きを止めた。
ゴブリンたちですら、その人間離れした残酷な前進にビビりあがり、本能的に彼の前を避けていた。
「ねえ、あいつ『不動』って呼ばれてるんでしょ?」リネアが引きつった顔で指さした。「めちゃくちゃ動いてるし、ハンパじゃなくヤバいわね」
トゴルトは剣の血をふり払い、苦笑した。
「あいつには今、守るべき背中がないからな。『不動の壁』が『進む刃』に変わった時、それがすべての敵の終わりってことさ」
地上にあふれ出た下級ゴブリンたちは、一方的な殺りくの末、またたく間に脅威にならない数まで減っていた。
残党のそうとうを後続の応援部隊に任せ、3人は黒岩の迷宮の奥深くへと足を踏みいれた。
迷宮内はうす暗く、腐臭が充満している。
ここに潜んでいるのは、地形やワナを利用する悪知恵の働く「エリートゴブリン」だ。3人は歩調を落とし、警戒を強めた。
しかし、口の減らない臨時パーティーのムダ話は止まらない。
「このクソみたいな悪臭、ミスリルの鎧が汚れる! 絶対にギルドにメンテナンス代を請求してやる!」
「うるさいわね、特権階級。ここの生態系、凄く面白いじゃない。おっ、これ猛毒の洞窟グモの巣ね! 最高の調合素材……」
「一歩下がれ」
最前列のローウェンが声で制止し、剣先で地面を指した。そこには、風景に完全に溶けこんだ極細のワイヤーがあった。
「足元のワナに気をつけろ。バーベキューの串刺しになりたくなければな」
ローウェンの的確な先導により、3人は最深部である「祭壇」へと到達した。
そこには陣形を組んだ十数匹のエリートゴブリンと、祭壇の上で火球の呪文を唱えはじめた骸骨面のゴブリン魔術師たちが待ち構えていた。
「魔術師はあたしに任せて!」
リネアが特製のガラス瓶を二つ、祭壇の上へ放り投げる。
割れた瞬間、紫色の刺激臭のするケムリが爆発した。呪文を封じられた魔術師たちは、激しくせきこみながら次々と高所から転落していく。
魔法のサポートを失い、敵の陣形がゆらいだ。
「俺様のショータイムだ!」
トゴルトが跳躍し、幽霊のような動きで陣形の端を切り崩す。
一方、真正面ではローウェンが再び「不動の岩」と化していた。斧を振り下ろすエリートゴブリンに対し、彼は一歩も下がらず、力任せに敵のガードを引き裂いていく。
またたく間に、祭壇の戦闘は終わった。
トゴルトが剣を拭いながら祭壇の中央へ歩み寄る。そこには、あの「ベテラン冒険者」たちが標的にしていたエリートオーガの巨大な死体が転がっていた。
トゴルトは死体を軽く蹴り、ふと眉をひそめた。
「待てよ……報告書じゃ『5匹討伐』だったよな? なんでここには3匹の死体しかないんだ?」
言い終わるより早く、祭壇の裏の暗闇から凄まじい殺気が爆発した!
残る2匹のエリートオーガは、生きたまま耳を切り取られた激痛と屈辱で、完全に理性を失い怒り狂っていた。
そのうちの一匹が、恐ろしい風圧とともに、巨大な戦斧をローウェンの背中めがけて振り下ろす!
「ローウェン! 後ろだ!」
だが、ローウェンはふり返りもしなかった。
長年の死線で培った勘だけで、斧が当たるギリギリの瞬間に上体をそらす。同時に、片手剣を下から上へ、凶暴な軌道で振り上げた。
ブシャァァッ——!
オーガの巨腕が、あの極太の戦斧ごと肩からきれいに切断された。
バランスを崩して倒れこむオーガ。ローウェンは流れるように反転し、片手剣を眉間に深々と突き立ててその脳を破壊した。
だが、ピンチは終わっていない。
同時に飛び出してきたもう一匹のオーガが、もっとも弱そうなリネアを標的に定めていた。トゲだらけの巨大な金棒が、彼女の頭上に振り下ろされる。
魔術師の死体から素材をあさってしゃがみこんでいたリネアには、もう避ける時間がなかった。
「チッ!」
距離が遠いトゴルトは舌打ちし、ためらうことなく、手にしていた極めて高価な魔法の細剣を槍のように全力で投げつけた!
シュッ——!
流星のように飛んだ細剣は、金棒を振り上げたオーガの腕を完全に貫き、その巨体ごと隣の岩壁にピン留めしてしまった!
「グガァァアアアッ!!」
オーガが苦しげなうなり声をあげ、剣を抜こうともがく。
死にかけたリネアは跳ね起き、目に危険な光を宿した。
「あたしを後ろから狙うなんて! 死になさい、デカぶつ!」
壁に縫い付けられているスキに、彼女は猛毒を塗った短剣を構え、オーガの無防備な胸や腹を十数回連続で切り裂いた。
細胞をこわす劇薬が一瞬で血に混ざる。オーガのうなり声が唐突に止み、その巨体が目に見えるスピードでドロドロに溶け崩れていく。最後には悲鳴を上げる間もなく、不気味なアワを立てる悪臭のする血の池へと変わってしまった。
祭壇はついに、完全な静寂を取り戻した。
トゴルトは大きく息を吐き、血の池をイヤそうに避けながら自分の細剣を引き抜き、ハンカチでていねいに拭った。
彼はまだ少し動揺しているリネアを見て、ニヤリと得意げに笑う。
「嬢さん、どうだ? これで、この前の大会であんたにワンパンされた借りは、チャラってことにしておこうぜ?」
リネアは短剣を収め、くやしそうに口を曲げたが、頬は少しだけ赤くなっていた。
「ふん、調子に乗らないでよ。あんたが剣を投げなくても、あたしの薬であの武器ごと溶かしてたわ……」
彼女はぷいっと顔をそむけ、小さな声でボソッと言った。
「……でも、まあ、少しは感謝してあげるわ」
ローウェンは、そんなツンデレ全開の2人のムダ話など気にも留めていなかった。
彼は少し離れた場所へ歩み寄り、片手剣についた黒い血をサッと地面に振り払う。そして手首をくるりと回すと、「キンッ」と澄んだ音を立てて完璧に鞘に収めた。
「事後処理、完了だ」
ローウェンは淡々とした声で呟いた。
松明の弱い光が揺れるなか、黒岩のダンジョンはようやく、本当の平和を取り戻した。




