第40話 涙では何も取り戻せない
ローウェンたち三人が階段を下りると、一階のギルドホールではすでに騒ぎが起きていた。
「離せって言ってんだろ! 行けるわけねえだろ!」
大柄な冒険者が乱暴に腕を振り払い、すがりつく若者を床へ突き飛ばした。周囲の冒険者たちは冷ややかな、あるいは哀れむような視線を向けるが、誰一人として彼に手を差し伸べようとはしない。
ルーチは無様に床に這いつくばり、乱れた髪がその顔の半分を覆い隠していた。彼が歯を食いしばって上体を起こし、次のテーブルの冒険者に這い寄ろうとしたその時――泥に汚れた革靴が、彼の目の前でピタリと止まった。
ルーチが顔を上げる。
ローウェンは近くにあった木椅子を引き寄せ、彼を見下ろすように腰を下ろした。
「ギルド直属の『事後処理班』だ。仲間の遺体回収を手伝ってくれる冒険者を捜しているそうだな」
ローウェンは淡々と告げる。
「俺たちが手を貸すに値する『理由』を提示しろ」
ルーチは一瞬呆然とした後、藁にもすがる思いで猛然と飛びつき、ローウェンの革靴を両手で死に物狂いに抱え込んだ。
「頼む、お願いだ! 第三層まで行ってくれるだけでいいんだ!」
掠れた声で叫び、みっともないほどに顔を涙と鼻水で濡らしている。
「隊長の……ジェリコのおっさんや、ナターシャが……みんな、まだあそこにいるんだ!」
彼は半ば錯乱しながら語り続けた。
孤児だった自分を拾ってくれたジェリコは、彼にとって父親であり師匠だった。ナターシャは実の姉のような存在だった。彼らは元々、第三層のボス討伐依頼を受けに行っただけだった。だが、ボスの部屋に足を踏み入れた瞬間、頭上の岩盤が崩落し、周囲の環境が完全に変貌してしまったのだという。
「本来ならあそこには、悪魔巨猿がいるはずだったんだ……! なのに、現れたのは巨大な水晶のサソリだった!」
あの絶望の瞬間に引きずり込まれたかのように、ルーチは全身をガタガタと震わせた。
「そいつの尻尾が青く光ったと思ったら……おっさんもナターシャも、他の二人も、一瞬で水晶に変えられて……そして、そして……あの巨大なハサミで、粉々に砕かれたんだ!」
ルーチは泣き崩れ、爪が剥がれそうなほど強く床の石板を掻きむしる。
「俺は、たまたま崩れてきた岩の陰にいて、光を浴びずに済んだ……俺は逃げたんだ! 俺だけが逃げ出したんだ……! 金なんてない、だけど、みんなの欠片を連れ帰ってくれるなら、俺の命なんてどうなったっていい!」
重苦しい沈黙が場を支配する。
リネアは痛ましげに下唇を噛み、トゴルトもいつもの軽口を叩くことなく、静かにその惨状を見つめていた。
ローウェンはすがりつくルーチを突き放すこともせず、かといって慰めの言葉をかけることもしなかった。
ただ無表情に、泣き喚く生還者を見下ろしている。
「涙で遺体は取り戻せない」
ローウェンが淡々と口を開き、ルーチの嗚咽を断ち切った。
「まだ己を冒険者だと自負しているなら、情報で機会を買え」
ルーチはハッと息を呑み、涙を流すことすら忘れて硬直した。
ローウェンは懐から手帳とペンを取り出す。
「巨蠍の体長は? 甲殻の厚さと色は?」
「え……あ、家一軒分くらいあって……甲殻は薄い青色で……」
「尻尾が発光する前の溜め時間は、何秒だ?」
「大体……三秒! 尻尾の先から、魔力が集まるような音が先に鳴るんだ」
「ボス部屋の地形は? 遺体の欠片の散乱半径はどの辺りだ?」
「部屋は……閉鎖された円形の洞窟で、中央広場よりもずっと広くて、死角はない。おっさんたちは……入り口から左に十五歩くらいの範囲に散らばっていて……」
ローウェンの無機質で矢継ぎ早な質問によって、強制的にパニックから引き戻されたルーチは、しどろもどろになりながらも、記憶の底から確かな戦場情報を絞り出していく。
最後の情報を書き留めると、ローウェンはパタンと手帳を閉じた。
「情報は受け取った」
ルーチの目に、熱を帯びた期待の光が宿る。
「じゃ、じゃあ、手伝ってくれるん――」
「相手はAランクパーティですら手に余るイレギュラーだ。対して、こちらのAランク戦力は二名のみ」
ローウェンはゆっくりと立ち上がった。
「隊長として、俺はリスクを詳細に評価する義務がある。一時の同情だけで、部下を犬死にさせるわけにはいかない」
ルーチの両手から力が抜け、すがりついていた革靴からズルリと滑り落ちた。
ローウェンは背を向け、冷たく言い放つ。
「帰って顔を洗え。頭を冷やせ。これ以上、乞食のように人にすがりつくのはやめろ。お前の価値を底辺まで落とすだけだ」
そこでローウェンは一瞬だけ言葉を区切り、横顔越しに告げた。
「明日の朝、答えを出してやる」
言い残し、まっすぐギルドの扉へと向かって歩き出す。
トゴルトも黙ってその後を追った。リネアはへたり込むルーチに向けて、こっそりと励ますように小さく拳を握ってみせると、小走りで二人の背中を追いかける。
騒々しいギルドホールの片隅。
冷たい石板の床に座り込んだルーチは、遠ざかる三人の背中を、ただ瞬きもせずに見つめていた。




