第39話 ギルドマスターの悩み
デミウスは笑みを消し、丸められた何枚もの苦情の手紙を無造作に机へ放り投げた。そして窓辺へと歩み寄り、窓を押し開ける。
「下を見てみな」
ローウェンとトゴルトも窓辺に立ち、階下を見下ろした。
喧騒に包まれた一階のギルドホール。その片隅で、擦り切れたローブ姿の若者が、通りがかった冒険者の裾にすがりつき、何度も頭を下げて懇願していた。
絡まれた冒険者がひどく鬱陶しそうに彼を振り払う。若者はよろけて尻餅をついたが、すぐさま起き上がり、また別の者へと這いずるようにすがりついていく。
「ルーチ。二十歳、Cランクの魔術師だ」
デミウスは腕を組み、呆れたような、それでいてどこか見捨てきれないような声を出した。
「ここ半月、毎日ギルドに入り浸っちゃあ、仲間の遺体を回収するために迷宮へ同行してくれと、あんな風に誰彼構わず懇願している」
「見ていて痛々しいな」
トゴルトが小さくため息を吐く。
「けど、あれじゃ完全にギルドの秩序を乱してるだろ。あんたのいつものやり方なら、さっさとつまみ出せばいいんじゃないか?」
「ただの厄介者なら、とうの昔に追い出してるさ」
デミウスも短く息を吐いた。
「半年前、彼のBランクパーティはミセリ迷宮の第三層で、極めて稀な『ボス変換現象』に遭遇した。本来そこにいるはずの悪魔巨猿が、Aランクパーティでも手を焼く化け物――『水晶巨蠍』にすり替わっていたんだ」
リネアがハッとして、思わず聞き返す。
「『ボス変換現象』って……部屋に足を踏み入れた瞬間、前触れもなく天井が崩落したり床が抜けたりして、本来のボスとは全く別の魔物が現れるっていう、あれですか?」
「ああ。三年に一度起こるかどうかの超低確率を、運悪く引き当てちまったのさ」デミウスは頷く。「Bランクパーティにとって、水晶巨蠍との遭遇なんて、もはや一方的な虐殺でしかない」
ギルドマスターの執務室に、重い沈黙が降りた。
「パーティは一瞬で全滅。彼だけが運良く逃げ延びた。Aランクを雇う金もなく、それでも諦めきれずに、今じゃあのザマだ。おまけに、その変異種が居座っているせいで、他の冒険者たちも第三層に寄り付かなくなっちまった」
そこで言葉を区切り、デミウスは声を一段低くした。
「だが、だからこそ問題なんだ。第三層があの化け物に占拠された結果、迷宮内の生態系が完全に崩壊し、魔物の数が異常増殖している。このまま放置すれば、いずれキライナの迷宮探索依頼は完全にストップするだろう。ギルドとしても、もはや看過できない危機的状況に陥っている」
その言葉に、トゴルトは腑に落ちないというように怪訝な表情を浮かべた。
デミウスは彼の疑問を見透かしたように、小さく肩をすくめる。
「他のAランク冒険者に依頼すればいい、って顔をしてるね? 残念ながら、元々このキライナに常駐している高位冒険者はそう多くないんだ。ここに留まっている連中も、大半は極東大陸から輸入される珍しい宝や希少素材の取引が目当てでね。迷宮の変異種討伐の賞金なんて、大して興味を持っちゃいないのさ」
デミウスは窓の外へ視線を向け、自嘲気味に続けた。
「ましてや、死体拾いのためだけにCランクの足手まといを連れて行ってくれるお人好しなんていない。あの『流星』小隊のような三人組でさえ、ここではトップクラスの戦力として扱われているくらいだからね」
そこでデミウスは鼻で笑い、皮肉げに付け加えた。
「まあ、私の目から見れば、あいつらはまだまだ半人前だがね」
デミウスはローウェンに向き直る。
「正直なところ、冒険者の死なんて日常茶飯事だ。パーティの全滅も珍しくはない。ただ……あんな風に必死にすがりつく姿を見せられちゃあ、どうにも見捨てられなくてね。あいつが早まって、一人で迷宮に乗り込んで犬死にするんじゃないかってヒヤヒヤしてるんだ」
「ローウェン。ギルドマスターとして、事後処理班に依頼する。遺体を連れ帰るでも、あの馬鹿な幻想を完全に打ち砕いて諦めさせるでもいい。この厄介事を片付けて、ついでに迷宮に刺さったトゲを抜いてくれないか」
窓の下では、またしても突き飛ばされ、床に転がる痩せ細った背中があった。
ローウェンは数秒の沈黙ののち、無言で背を向け、扉へと歩き出す。
「ローウェン? 受けないんですか?」
リネアが問いかける。
「事後処理班には一定の評価基準がある。来る者拒まずの慈善団体ではない」
ローウェンは振り返ることなく、木製の扉を押し開けた。
「俺が直接あいつの言い分を聞いてから……どう『事後処理』するかを決める」
そう言い残し、一階のギルドホールへと足を踏み出す。
トゴルトは小さく笑い声を漏らし、両手を後頭部で組みながら、リネアと共に悠然とその背中を追った。




