第38話 姉御肌のギルドマスター
夜の街道は、潮風が少し肌寒かった。
宿へ戻る道すがら、リネアとトゴルトはすこぶる上機嫌だった。
「ライトの奴の最後の顔、見た!? 見事に青ざめてたわね!」
リネアはご機嫌に鼻歌を歌いながら、軽やかな足取りで歩く。
「当然さ。あの莫大な賠償金だ、奴らは向こう一年、港で荷働きの借金返済生活だろうな」
トゴルトは肩をすくめ、愉快そうな笑みを浮かべた。
ローウェンは黙って先頭を歩き、会話には加わらなかった。
ふと何かを思い出したように、トゴルトがローウェンの背中に声をかけた。
「そういやローウェン。明日支部へ報告書を提出しに行くついでに、ここのギルドマスターに挨拶していこうぜ。今朝人手を借りた時、あんたがいるって聞いたら、わざわざ顔を見せに来いって言付けを頼まれたんだ」
ローウェンは振り返らず、ただ軽く頷いただけだった。
翌朝、キライナ冒険者ギルド支部、ギルドマスター室。
木扉を押し開けると、大きな執務机の奥に一人の女性が座っていた。
彼女こそがキライナ支部のギルドマスター、ラミア・デミウスである。年齢は三十代半ばほどで、胸元を大胆に開けたワインレッドのドレスを身に纏っている。極めて豊満なプロポーションと、一挙手一投足から滲み出る大人の色気があり、細かいことは気にしない豪快な姉御肌といった雰囲気を全身から漂わせていた。
「おっ! 本当に来たね!」
三人の姿を見るなり、ラミアは豪快に笑い声を上げた。彼女は執務机の奥から歩み出ると、先頭にいたローウェンとトゴルトを完全に無視し、横にいたリネアをガシッと捕まえた。
「わぁっ! なにこの可愛いエルフの妹分!」
ラミアはリネアを力いっぱい抱き寄せ、その頬を自身の豊満な胸の谷間に埋めてぐりぐりとすり合わせた。
「むぐぐっ! ま、離し……窒息するぅっ!」
リネアは顔を真っ赤にし、長い耳をパタパタと慌ただしく動かしながら、空中で両手をじたばたと振り回した。
「あはははっ! ローウェン、お前この数年間どこで油を売ってたんだ? よくもまぁこんな可愛い隊員をたぶらかしたもんだ!」
ラミアは笑いながら、今にも気絶しそうなリネアをようやく解放した。そして、その視線をローウェンへと移す。
だが、ローウェンの現在の姿をはっきりと捉えた瞬間、彼女の顔からゆっくりと笑みが消え失せた。
ラミアは目を細め、ローウェンをじっくりと値踏みするように見つめる。
「……お前、なんでそんな顔になってんだ?」
ローウェンは何も答えず、無表情のままその場に立ち尽くしていた。
「八年前、お前たちの小隊がキライナに来た時、お前はもっと爽やかに笑う熱血馬鹿だったじゃないか」
ラミアの口調には、驚きと信じがたいという思いが入り混じっていた。
「なんだい今の、その死んだような、万年氷みたいな冷たいツラは?」
ラミアの詰問に対し、ローウェンはただ静かに目を閉じた。
トゴルトが傍らで小さくため息をついた。
「色々あったんだよ、ギルドマスター」
その一言を皮切りに、室内の空気は一瞬にして重く沈んだ。
「……ああ、知ってるさ」
ラミアは背を向け、執務机の縁に軽く寄りかかった。先ほどまでの豪快な眼差しは、穏やかで、そして感傷的なものへと変わっていた。
「七年前、お前たちの小隊が全滅したって知らせを聞いた時……アタシはこの部屋に閉じこもって、三日三晩、やけ酒を煽ったんだ」
彼女は天井を見上げ、まるで過去の記憶に浸るように言った。
「いつも優しい声で話す、あのハーフエルフの魔術師……リンデリル。アタシ、あの頃不器用ながらに贈り物までしたってのに、あの鈍感な男は最後までアタシの気持ちに気づきもしなかった……」
ラミアの声が微かに震えていた。
「あんなに優しく笑う馬鹿が……どうしてあんな風に、死んじまったんだろうね」
豪快な女ギルドマスターの目尻から一滴の涙がこぼれ落ち、絨毯に染み込んだ。
ギルドマスター室は水を打ったような静寂に包まれた。
リネアもすっかり大人しくなり、ローウェンとトゴルトは黙って目を閉じ、心の中で改めて、亡き友へ哀悼の意を捧げた。
「パンッ、パンッ!」
突然、ラミアが力強く二回手を叩き、室内に立ち込めていた沈鬱な空気を強引に打ち払った。
彼女は乱暴に手の甲で目尻の涙を拭うと、再び豪快な笑みを浮かべた。
「よしっ! 昔話はここまでだ! なにより一番大事なのは、ローウェン、トゴルト、お前ら二人がこうして生きてるってことさ。それだけで十分だ!」
彼女は机の上から市街地の地図を一枚抜き出すと、勢いよくリネアの手に押し付けた。
「お前ら、今は休暇中なんだろ? よく聞きな、南区にある『海鴎亭』の焼き魚は絶対に外せないよ! それから白塔から見る夕日は、この可愛いエルフを連れて行くには打ってつけの絶景さ!」
美味しい食べ物の話を聞いた途端、リネアの目がパッと輝き、先ほどの重い空気はどこへやら。ローウェンも脳内で静かに焼き魚の店の場所を書き留めていた。
「では、俺たちはこれで失礼する」
ローウェンは軽く会釈し、背を向けて立ち去ろうとした。
「待ちな」
背後から響いたのは、先ほどの気のいい姉御肌の声ではなく、ギルドマスターとしての威厳に満ちた低い声だった。
ローウェンの足が止まる。
ラミアは笑みを消し、腕を組むと、その眼光を鋭くしていた。
「昔話と観光の案内はここまでだ。ローウェン、昨日港の尻拭いのために人手を貸してやったこと、アタシに一つ小さな借りを作ったことになるよな?」
ローウェンは振り向き、静かに彼女を見返した。
「事後処理班に依頼か?」
「その通りだ」
ラミアは頷き、重々しい口調で告げた。
「昔馴染みとしてじゃない。ギルドマスターとして、お前たちに頼みたい依頼がある」
彼女はローウェンの凪いだ瞳を真っ直ぐに見つめ、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「一人の、『全滅からの生還者』の処理を、手伝ってほしい」




