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第37話 事後処理班の権限

夜のとばりが下り、キライナの港町には次々と魔石灯の温かな明かりが灯り始めていた。

冷たい夜風が微かに潮の香りを運び、先ほどの騒動の名残を僅かに留めている。

手伝っていた市民たちも疲労を抱えながら家路につき、防波堤のそばには、完全に精魂尽き果ててへたり込む『流星』小隊の三人だけが残されていた。


隊長のライトは、刃こぼれした自慢の長剣を見つめながら、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

昇格したばかりのAランク冒険者でありながら、こんな初歩的なミスを犯し、あろうことか「清掃員」と見下していた事後処理班に尻拭いをされたのだ。その事実が、彼の自尊心をズタズタに引き裂いていた。


一方、彼らから少し離れた場所では――先ほどまで疲労困憊だったはずの事後処理班が、全く別の意味で忙しく立ち回っていた。正確には「一人だけ」が異様な活力を取り戻していた。


「うふふふっ、深海覇王烏賊ディープシー・クラーケンの吸盤! まだ破れてない墨袋! ああ、これも高く売れそう!」

臨時ボーナス(素材)を前に完全に息を吹き返したリネアは、上機嫌で鼻歌を歌いながら、解体用の短剣を凄まじい勢いで振るい、死骸の残骸から使えそうな素材を次々と剥ぎ取っていた。その綺麗な顔には、わずかにイカの体液が飛沫しぶきとなって付着しているが、本人は全く気にしていない。


「おい、ストップ。もうその辺にしとけって」

防波堤に腰掛け、まだぐったりとしているトゴルトが鼻をつまみながら、心底嫌そうに文句を垂れた。

「お前、今完全にヤバい猟奇殺人鬼の顔になってるぞ。つーか、俺の服まで磯臭くなっちまったじゃねえか。これじゃあ今夜、酒場のネエチャンに嫌われちまうだろ」


「何言ってるんですか! Aランク魔獣の希少素材ですよ!? 現場の管轄権を握っている事後処理班の『特権』を使わない手はないじゃないですか!」


リネアが頬を膨らませて抗議する中、ローウェンは少し離れた場所で、手帳にペンを走らせていた。

彼にとって、部下のこのやり取りは日常茶飯事である。

ローウェンは素材漁りに狂喜するエルフをとがめることもなく、手慣れた様子で本日の被害総額を計算し終えると、パタンと手帳を閉じた。


「そこまでだ、リネア。本来の業務を済ませるぞ」

「はーい!」

リネアはホクホク顔で大量の素材を袋に押し込み、トゴルトもやれやれと肩をすくめる。

そしてローウェンを先頭に、三人は防波堤でへたり込む『流星』小隊の元へと歩みを進めた。


夜の波止場に、淡々とした規則正しい足音が近づいてくる。

それに気づいたライトは忌々しげに顔を上げ、警戒するように身構えた。。


だが、彼らを見下ろすローウェンの声は、ひどく平坦だった。

「お前たちのせいではない」


「……は?」

虚を突かれたライトをよそに、ローウェンは淡々と事実を述べる。


「昨夜はちょうど大潮だった。海獣の死骸に腐肉食魚が群がり、死肉を食い荒らす過程で、誤って体内の墨袋すみぶくろを噛み破ったのだろう。これまでの事例から見ても、予測困難な突発的事故に分類される」


一瞬、安堵の息を漏らしかけたライトだったが――直後、己の失態を『清掃員』に庇われたという猛烈な羞恥が、どす黒い怒りへと反転した。

彼は猛然と立ち上がり、吠えた。


「だったら、なんで昨夜の時点でハッキリ言わなかった! あんたがあんな適当な忠告だけ残していったのは、俺たちが恥をかくのを見たかったからだろうが!」


血を吐くような怒号が、夕暮れの埠頭に響き渡る。


その瞬間、トゴルトの顔からヘラヘラとした笑みが消えた。

親指で細剣レイピアつばをカチリと押し上げ、氷のように冷たい視線を射抜く。リネアもエルフの長耳をピンと伏せ、指の間に赤く発光する爆発薬の小瓶を挟み込んでいた。


「下がれ」

ローウェンが静かに片手を上げる。

その一言で、トゴルトは剣を鞘に納め、リネアも小さく鼻を鳴らして薬瓶をしまった。


ローウェンは再びライトに向き直る。

「事故は事故だ。だが、お前たちに責任がないわけではない」


手帳を取り出し、ローウェンは無機質な声で読み上げ始めた。

「深海覇王烏賊の討伐依頼を受けた以上、あの死骸の処理義務は『流星』小隊にある。怠慢によって引き起こされた二次災害の責任は、当然お前たちが負う」


「臨時調合した薬剤の材料費、Bランク冒険者への臨時任務報酬、市民動員への補償金、桟橋の修繕費――そして、港が丸一日封鎖されたことによる経済的損失。今夜中に総額を算出し、明朝、報告書と共にギルドへ提出し、お前たちに請求する」


「なっ……!?」

「そ、装備を全部売っても払いきれねえぞ……っ!」

莫大な請求項目に、大盾戦士のドゥハンが顔面を蒼白にして悲鳴を上げる。


ライトは青筋を立て、歯を食いしばって叫んだ。

「何様のつもりだ! ギルドマスターがそんな理不尽を認めるわけねえだろ! 俺たちはAランクの英雄なんだぞ!」


だが、叫んだ直後。ライトの脳裏に、Aランク昇格時の講習の記憶がフラッシュバックした。


『北方王国本部に直属する「事後処理班」は、独立した調査権と現場での裁量権を持つ。冒険者が引き起こした重大な災害に対し、直接罰金を科し、場合によっては強制的に資格を剥奪する権限すらある。本部部長を除き、誰にも彼らの決定を覆すことはできない――』


ライトの視線が、ローウェンの胸元に引き寄せられる。

そこには、小さくも絶対的な権力を示す、本部直属のバッジが鈍く光っていた。

目の前の男は、ペン一本で自分の冒険者人生を終わらせることができる存在なのだ。


その事実に気づいた瞬間、ライトは下唇を強く噛みしめ、両手を血が滲むほど握りしめたまま、一言も反論できなくなった。


完全に心を折られた彼らを見て、トゴルトは薄く笑い、両手を後頭部で組んで口笛を吹きながら背を向けた。

リネアも先ほど回収したばかりの巨大な吸盤の入った袋を背負い直し、ライトに向かって思いきり舌を出す。


「べーっ! 自業自得よ!」

そう言い残し、トゴルトの後に続く。


ローウェンはもう彼らに一瞥もくれることなく、静かに背を向けて立ち去った。



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