第36話 総動員
「たったの二人か?」
埠頭の端で、ローウェンは息を切らして戻ってきたトゴルトを見た。
その後ろには、流星小隊の三人を除けば、まだ寝ぼけ眼のローブ姿のBランク魔術師が二人いるだけだった。
「仕方ねえよ」
トゴルトはお手上げといった様子で両手を広げた。
「ギルドの主力はみんな依頼に出払ってるし、残りの連中は昨夜の祝賀会で潰れちまってる。ギルドマスターも、この二人を叩き起こすのが精一杯だったらしいぜ」
黒い泥で完全に封鎖され、巨大なタール池と化した広大な港を見渡す。
これだけの人手では、三日三晩不眠不休で掘り続けたとしても片付きそうにない。
ローウェンは首を向け、肩を落とすライトを見た。
「どうやら、お前たちの『英雄としての魅力』を発揮してもらう必要があるようだな」
ライトはきょとんとした。
ローウェンは、後方の通りで顔を覗かせている、絶望に暮れた市民たちを指差した。
「港を潰したくなければ、シャベルとバケツを持って手伝いに来いと住民に伝えてこい。今すぐだ」
ライトはローウェンの意図を理解した。
彼は力強く頷き、隊員たちを引き連れて通りへと駆け出し、群衆に向かって全力で叫び始めた。
「キライナの市民たちよ! 聞いてくれ!」
ライトは全力を振り絞り、意図的に悲壮感と熱気を込めた声を張り上げた。
「これは未曾有の災難だ! だが安心してくれ、俺たち『流星小隊』は絶対にみんなを見捨てない! 今、この故郷を救うために、あんたたちの力を貸してほしい! シャベルやバケツ、なんなら洗濯桶でもいい、手に取ってくれ! 俺たちと共に戦い、この黒い悪夢を港から追い出そう!」
そのわざとらしいお涙頂戴の演説を見て、トゴルトは背後で思わず白目を剥いたが、盲信的な市民たちにとって、この手が異常なほど効果的であることは認めざるを得なかった。
「ライト隊長の言う通りだ!」
「みんなで手伝おう!」
群衆の絶望は一瞬にして熱気へと変わり、次々と踵を返して道具を探しに家へと走っていった。
「道を開けて! 中和剤を持ってきたわ!」
車輪のガラガラという音とともに、リネアが木樽を積んだ手押し車を押して埠頭へ戻ってきた。
「ローウェン、中和剤ができたわ! これは粘性構造を破壊して、あの黒いゲルをただのイカ墨に還元できるのよ」
彼女は額の汗を拭い、広大な港を見渡したが、長い耳を悩ましげに垂れ下げた。
「でも、大きな問題があるの! これを直接海に撒いちゃダメ。港の海水量が多すぎて、溶剤がすぐに希釈されちゃって、反応に必要な濃度に全然達しないわ!」
「希釈の問題なら心配いらない。俺の計画通りに動け」
ローウェンは懐から手帳を取り出し、紙の上に素早く港の簡単な見取り図を描いた。
「海で希釈されるなら、固体にしてから引き揚げればいい。よく聞け、これからの手順だ」
「リネア、お前はあの二人の魔術師を率いて、最大範囲の氷結魔法を使え。図に記した立ち位置に従い、海面上の黒いゲルを海水ごと凍らせろ」
「凍らせた後はどうするの?」
「砕くんだ」
ローウェンは地上に転がっていた大型のハンマーを拾い上げ、重さを確かめるように軽く振った。
「前衛は全員で粉砕作業にあたる。最後に、市民たちに砕いた氷を市街地の中央広場まで運ばせろ。そこで一斉に中和剤をかけて溶かし、廃水をそのまま下水道へ流し込む」
ローウェンは首を向け、防波堤の外に浮かぶ巨大な烏賊の死骸を瞥見した。
「ライト」
「あ! は、はいっ!」
ライトは飛び上がるほど驚き、無意識に背筋をピンと伸ばした。
「まだ動かせる船を数隻見つけて、あの死骸を一旦遠くへ曳航しろ」
ローウェンは淡々とした口調で指示を続ける。
「港の処理が終わり次第、すぐに陸へ引き揚げて解体しろ。これ以上海に浸からせて、二次災害を引き起こすな」
「わ……分かりました!」
役割分担が決まると、この急ごしらえの救済機構は直ちにフル稼働を始めた。
「『氷雪領域』!」
リネアと二人のBランク魔術師が桟橋の縁に立ち、杖から同時に骨を刺すような冷気を爆発させる。
紺碧の魔力が海面を薙ぎ払い、極めて粘着性の高かった黒いゲルが極低温の下で「パキパキ」と小気味よい音を立て、下部の海水もろとも分厚い黒氷へと結氷していった。
「かかれ!」
ローウェンの号令とともに、彼自身が先陣を切って氷の上へと躍り出た。
埠頭から徴用した大型ハンマーを両手で振り被り、腰のタメを利かせて力任せに叩きつける。
「ドォン――!」
強固な黒氷が轟音とともに砕け散り、無数の拳大の破片へと変わる。
「俺の細剣は、こういう荒仕事には向いてないんだがな!」
トゴルトは文句を言いながらも、仕方なく廃棄されていたバールを拾い上げ、ライトやドゥハンらと共に、まるで人足のように氷の上で狂ったように打撃を繰り返した。
一方、流星小隊の呼びかけに応じた市民たちが続々と埠頭へ押し寄せてきた。
「早く! 砕いた氷を詰めろ!」
「急げ、溶ける前にな!」
老若男女が手押し車を押し、木バケツを提げ、中には自宅の洗濯桶まで持ち出し、前衛たちが砕いた黒氷を素早く詰め込む。
そして、まるで蟻の引越しのように、大群となって市街地の中央広場へと運び込んでいった。
広場では、氷の欠片を浴びたリネアが山積みになった黒氷の前に立ち、手際よく中和剤を氷山へと振りかけていく。
「ジュウゥゥッ――」
耳障りな化学反応の音が響き渡る。
薬剤に触れた瞬間、黒氷の粘性構造は完全に破壊され、急速に崩壊し、融解していく。
最後には全く無害な黒いイカ墨へと戻り、広場を囲む排水溝に沿って、ザアザアと広い下水道システムの中へと流れ込んでいった。
凍結、粉砕、運搬、融解。
このシンプルかつ強引な救済プロセスは、全市民と冒険者たちの連携プレーによって、午後いっぱいぶっ通しで続いた。
夕日が西に傾く頃。
オレンジ色の落日がキライナの大埠頭を照らしていた。
海面は再び静けさを取り戻し、商船の傾斜危機も去り、桟橋の黒いゲルも綺麗さっぱり取り除かれていた。
「ふぅ……つ、疲れて死にそうだ……」
ライトと流星小隊の面々は、体裁も気にせず桟橋にへたり込み、もはや指一本動かす力も残っていなかった。
手伝った市民たちも三々五々に地面へ座り込み、息を切らしながらも、その顔には危機を乗り越えた安堵の笑みが溢れていた。
「こりゃ間違いなく、俺の人生で一番しんどい任務だぜ」
トゴルトはバールを放り投げ、木箱の上に仰向けに倒れ込んで大きく息を吐いた。
リネアは空の木樽の上に座り込み、疲れ果てて長い耳までだらりと垂れ下がっている。
疲労に満ちた荒い息遣いの中、ローウェンはすでに変形した大型ハンマーを静かに下ろした。




