番外編 無垢月光草とハーフエルフの野望
五十年前。精霊の森の周縁に位置する集落、ラビニス。
「ここ数ヶ月、満月の夜になると精霊の森に不審者が現れる。そいつはあろうことか、森を覆う樹冠に向かって『氷の矢』を乱れ撃ちするらしい。おかげで巡回隊は血眼になって犯人捜しをしているわけだが……俺はその正体を、痛いほどよく知っている」
村の掲示板に貼り出された『森林破壊者を手配中。発見次第、捕縛せよ』という物々しい手配書を見上げ、デロイは深々とため息をついた。
彼は巡回隊に加わったばかりのハーフエルフだ。支給されたばかりの少しダボつく革鎧を鳴らしながら、憂鬱な気分で肩を落とす。
無理もない。件の「破壊者」とは、他でもない彼の幼馴染なのだ。この数ヶ月、デロイは胃を痛めながらこっそり自身の巡回ルートをごまかし、必死に彼女の隠蔽工作に奔走していた。
「やっほー! デロイ!」
背後から、泥だらけの手が容赦なくデロイの肩を叩いた。
ビクッと肩を跳ねさせたデロイが振り返ると、そこには翠色の瞳をらんらんと輝かせたハーフエルフの少女が立っていた。
「リネア! 声がでかい! 頼むから静かにしろ! 今、隊の警戒がめちゃくちゃ厳しいんだぞ!」
周囲を気にしながら、デロイは歯を食いしばって声を押し殺す。
「分かってるわよ。だからこそ、あんたに巡回ルートの確認に来たんじゃない!」
リネアは悪びれる様子もなく笑い飛ばすと、ぐっと顔を近づけてきた。
「いい? 次の決行は明後日。満月の夜よ!」
「頼むから一旦大人しくしててくれ……」
デロイはズキズキと痛むこめかみを揉んだ。
「そもそも、なんで満月の夜に樹冠をぶっ壊す必要があるんだよ」
「『無垢月光草』を探すために決まってるじゃない!」
リネアは胸を張り、堂々と答えた。
「古文書によるとね、月光草は生まれつき魔力に欠陥があるの。満月の夜、『葉の遮りがない』場所で純粋な月光を一晩中吸収して初めて、夢幻の素材へと変異できる。でも精霊の森は葉っぱが密集しすぎてるから、あたしが氷の矢で『ちょっとした隙間』を開けて、月光が差し込むようにしてあげてるのよ」
「……で、成功したのか?」
「失敗よ。氷の矢じゃ威力が足りなくて、開いた穴が小さすぎたの」
リネアは悔しそうに唇を尖らせる。
「だから先月、方法を変えたの。月光草を根こそぎ引っこ抜いて、こっそり森の外に持ち出して月光を吸収させようとしたわ。でも、どうなったと思う? 森の魔力圏から出た瞬間、一瞬で枯れちゃったのよ!」
「そりゃ当たり前だろ……」デロイは深い疲労感を覚えて天を仰いだ。
「だけどね! 苦思惨憺の末に、あたしはついに失敗の原因を突き止めたの!」
リネアは両手で拳を作り、世紀の大発見でもしたかのように熱弁を振るう。
「絶対、前回は掘り出した土の量が少なすぎて、月光草の養分と魔力を維持できなかったのが原因よ! だから今回は大型の荷車を用意して、草の周りの地面ごと、土を丸ごと掘り出して持っていくわ!」
あまりに真剣なその顔を見て、デロイは「いくら何でも冗談だろう」と高を括っていた。「絶対にそんなことするなよ!」と念を押し、逃げるようにその場を後にしたのだが――。
彼は、素材狂人の執念というものを完全に甘く見ていた。
決行予告日である、満月の夜。
デロイは数名の隊員と共に、森林の境界付近で警備に当たっていた。
真夜中を回った頃。森の奥から突然、「ガタガタガタ」と車輪が軋むような音と、「ドスン、ドスン」と重い土塊が地面に落ちる鈍い音が響いてきた。
「異常発生だ! 現場へ向かうぞ!」
巡回隊長が長剣を抜き、隊員たちを率いて音のする方へと駆け出す。
松明の明かりが森の境界を照らし出した瞬間、デロイを含む巡回隊員たちは全員、その場に立ち尽くした。
そこには、全身を泥だらけにしながら、自らの怪力だけで巨大な荷車を引っ張るリネアの姿があった。おまけに小柄な体格には不釣り合いな大型のスコップを振り回し、狂ったように精霊の森の土を掘り返している。
森の境界には、すでに牛が一頭丸ごと埋まりそうなほどの巨大なクレーターが穿たれ、傍らの荷車には黒々とした森の土が山盛りに積まれていた。
「お、お前、一体何をしている!?」
隊長が怒りで声を震わせる。
巡回隊の存在に気づいたリネアは、逃げ出すどころか焦ったように大声を上げた。
「ちょっと待って! あと少しだけ土を掘らせて! もうちょっとで終わるから!」
「この森を破壊する狂人を捕縛しろッ!」
隊長の怒号が夜の森に響き渡った。
疑いを避けるため、そしてこの馬鹿な幼馴染が余計なことを口走るのを防ぐため、デロイは腹を括って真っ先に飛び出した。彼女を地面に組み伏せ、素早くエルフの捕縛縄でぐるぐる巻きにする。
「離してよ! あたしの無垢月光草があぁぁぁッ――!」
耳をつんざくような悲鳴が響き渡る中、前代未聞の「盗土事件」は現行犯逮捕という形で幕を閉じた。
翌朝。
「悪意を持って精霊の森を破壊した」という罪状はあまりにも常軌を逸していた。村長と巡回隊長による短い審問の末、リネアには極めて重い判決が下された。
『今後百年間、精霊の森周辺への立ち入りを一切禁ずる』。事実上の追放処分である。
朝霧がまだ晴れぬ、村の入り口。
見習いのデロイは、罪人を村の外へと押送する役目を負っていた。巨大なリュックを背負った彼女の後ろ姿を見つめながら、デロイは胸の内に少なからず罪悪感を抱いていた。
村を追い出されたショックで泣いているかもしれない。そう思い、慰めの言葉をかけようと口を開きかけた――その時だった。
リネアはくるりと振り返った。その顔に悲壮感など欠片もなく、両手を腰に当てて意気揚々と地平線の彼方を指差す。
「見てなさいよ、デロイ!」
リネアは高らかに宣言した。その瞳には、ギラギラとした野心の炎が燃え上がっている。
「ここで採集させてくれないって言うなら、あたしは外の世界に行くわ! 冒険者になって、世界中のレア素材を全部集め尽くして、一獲千金の大事業を成し遂げてやるんだから!」
デロイは完全に呆気にとられた。
意気揚々と外の世界へ踏み出していくお調子者の背中を見送り、彼は深い溜め息をこぼした。
だが、昨夜の審問を思い返す。彼女は最初から最後まで「自分一人の単独犯だ」と強硬に主張し、デロイが巡回ルートをごまかして協力していたことなど、ただの一言も漏らさなかったのだ。
(俺を巻き込まないでいてくれて、ありがとな……)
デロイは苦笑交じりに首を横に振り、心の中で静かに祈った。
どうか、外の世界にいる魔物たちが、無事に平和でいられますように――と。




