第4話 地下の狂気
数日後。スタート村の闘技場。
眩しい朝の光が、闘技場の中央に組まれたばかりの頑丈なリングを照らしている。
観客席はすでに満席で、周りにはお祭り騒ぎを楽しむ村人や屋台の活気で溢れ返っていた。
最前列にある、派手な布で装飾されたVIP席では、近隣の貴族たちが優雅に扇子を揺らしながら、これから始まるイベントを楽しみに待っている。
司会費用を浮かすため、ギルドマスターのバルガス自らが、普段より少しマシだが窮屈そうな制服を着込み、声を拡張する魔導具を手にリングの中心に立っていた。
「あー、あー! 冒険者ども、ならびに協賛の皆様! 今年の『冒険者昇級試験・特別武闘大会』へようこそ!」
バルガスの腹の底から響く声が闘技場に広がり、すぐに割れんばかりの歓声が沸き起こった。
「無駄話はここまでだ。さっそくルールの説明をするぜ!
今回の大会は勝ち抜きトーナメント方式、そして戦闘スタイルの制限は一切ナシだ!
魔法、剣、罠、アイテム……相手を倒せるなら、どんな手を使っても構わねえ!」
「だが、よく聞けよ! 相手を故意に殺すこと、会場を破壊すること、観客席を巻き込むことは絶対に禁止だ! ルールを破った奴は即座に失格にし、警備隊に引き渡すからな!」
バルガスは言葉を区切り、血気盛んな若い冒険者たちを見渡し、一段と真剣な声になった。
「それから、一つ注意しておく。今回の試験は『勝ち負けがすべてじゃねえ』!
ギルドと協賛の審査員が、お前らの戦うセンス、状況判断、魔力のコントロールを見て総合的に評価する。
動きが良ければ、一気に二ランクアップする可能性もあるぞ。だが、あまりに無様な戦いを見せたら、ランクダウンの罰もあると思え!」
会場から少しざわめきが漏れたが、次に発表された目玉の前に、すぐにかき消された。
「最後に、今回の大会の特別ボーナスだ!」
バルガスはさらに声を張り上げた。
「優勝した奴には、スポンサーが提供するレア素材に加えて、なんと『金貨五枚』の特別賞金を出すぜ!
これだけあれば、パーティー全員の装備を頭からつま先まで、まともなものに新調できるぞ!
優勝できなくても、上位五名に入れば金貨一枚のボーナスがもらえるからな!」
「金貨五枚!?」
「五位に入るだけで金貨一枚だと!」
会場にいるすべての冒険者が一気に沸き立ち、その顔に熱い闘志を燃やした。
「それじゃあ、予選の第一試合、スタートだ!」
バルガスが大声で宣言した。
「Cランク冒険者リネア 対 Dランク冒険者ロリンス!」
大きな拍手の中、リネアが落ち着いた足取りでリングに上がる。
彼女は今日、地下水道の清掃のための分厚いツナギではなく、体にフィットした動きやすい暗色のレザーアーマーを着ていた。
腰のベルトには、様々な色の粉や液体が入った特製の小さなガラス瓶がずらりと並んでいる。
彼女の表情は冷徹なまでに集中しており、リングに上がった瞬間から、遠くの賞品台に鎮座する『無垢月光草』だけをじっと見つめていた。まるで周囲の人間など初めから存在しないかのように。
一方、リングの反対側から重たい足音が響く。
上がってきたのは、使い古された鉄の鎧を着た若い剣士だ。
彼の両眼は恐ろしいほど血走り、剣を握る両手はガタガタと震えていた。
リネアは賞品から目を離し、眼前の対戦相手を一瞥すると、わずかに眉を寄せた。
彼女はこの男を知っていた。
数日前の地下水道でガス爆発を起こし、最後はローウェンの「請求書」を見てその場で気絶した四人の新人のうちの一人だ。
もちろん、ロリンスもリネアのことに気がついた。
あの悪魔のような男の隣にいたハーフエルフを前にして、ロリンスの顔には、狂気にも似た「生き残りたい」という執念だけが張り付いていた。
彼は今、とんでもない金額のインフラ賠償金を背負っている。
この大会で死ぬ気で勝ち上がり、あの金貨の賞金を手に入れなければ、これからの五年間、本気でトイレ掃除とオークの糞処理の依頼だけで借金を返す羽目に陥るのだ。
(負けられない……絶対に五年間もトイレ掃除なんかしたくない!)
ロリンスは心の中で絶望の悲鳴を上げた。
彼はギリッと歯を食いしばり、剣を高く掲げ、最初からすべてをぶつけるような捨て身の構えをとった。
全身から「借金取りに怯える債務者」のオーラを垂れ流す剣士を前にしても、リネアは一切油断せず、感情を揺らすこともなかった。
酷く緊張してガチガチになり、隙だらけになっているロリンスの構えを、ただ静かに見つめる。
「どうやらこの試合、あんまり手間はかからなそうね」
リネアは淡々とした声で呟いた。
……
地上のリングで試合スタートの大きな声援が響く頃。
闘技場の地下水道は薄暗く、不気味に静まり返っていた。
ローウェンは、地下の入り口を守る警備隊員に特別パスを見せた。
ギルドトップの権限を示すマークを見た隊員たちは、すぐに道をあける。
ローウェンはそのまま立ち入り禁止エリアに入り、ジメジメしたレンガの通路を一人で進み、VIP席の真下にあたる場所へとやってきた。
薄暗い魔晶石の灯りの中で、ローウェンは足を止めた。
捨てられた木箱と錆びた鉄パイプの間に、いくつかの『誘引の魔石』が等間隔に配置されていた。
それらは気味の悪い赤い光を放ち、魔力を通す銀色の糸で繋がれて、今にも起動しそうな巨大な魔法陣を形成している。
どうやら残りの魔石は闘技場のあちこちに隠され、糸を伝って魔力を送る仕掛けらしい。
ここにある陣が発動すれば、五十個の魔石が一気に魔物を引き寄せることになる。
魔法陣の中心にある魔石は、すでにチカチカと激しく点滅を始めていた。
魔石が完全に発動するまで、もう時間は残されていない。
ローウェンが陣を壊そうと前に踏み出した瞬間、幾つもの死線を越えてきた勘が、頭の上から僅かな殺意を感知した。
風の音すらない。
黒マントの影が、まるで幽霊のように、天井のパイプの死角から凄まじいスピードで落下してきた。
青白い光を放つ二本の短剣が、ローウェンの首の後ろと背中の急所めがけて、正確に突き出される。
その命を狙う落下攻撃に対し、ローウェンは振り返ることさえしなかった。
ただ、常人にはあり得ないほど最小限の動作で、体を僅かに斜めに逸らし、足をごく僅かに横へスライドさせただけだった。
猛毒の塗られた二本の短剣は、ローウェンの革鎧の縁を擦るようにかすめ、「ガキン」という音とともに、床の古いレンガに深く突き刺さった。
青白い毒液がレンガの表面に触れ、すぐに「シューッ」という嫌な音を立てて溶かし始める。
黒マントの男は、自身の必殺の一撃が外れたことに酷く驚愕したようだった。
しかし反応は速い。すぐに短剣を引き抜き、壁を蹴って後ろにジャンプし、距離をとる。
いつでも飛び掛かれる獣のように、ローウェンをじっと睨み据えた。
「クククッ……ギルドの雑魚がァ、俺の攻撃を避けるとはねェ」
黒マントの男は不気味な笑い声を漏らし、手の中で短剣をくるりと回した。
「でもォ、無駄なんだよねェ。陣はもう起動した。偉い貴族サマたちのために用意した、この素敵な花火大会はァ……だぁれにも止められないンだからねェ!」
ローウェンは相手の煽りを完全に無視した。
彼の視線は、毒液で黒くドロドロに溶かされた床のレンガに向けられ、微かに眉がひそめられた。
「地下に魔法陣を作ったうえに、違法な毒薬でレンガまで壊すとは……。これの事後処理がどれだけ面倒か、分かっているのか?」
ローウェンの声は平坦だったが、息ができなくなるほどの恐ろしいプレッシャーが混じっていた。
ゆっくりと腰の片手剣を抜き、剣の先を黒マントの男に向ける。
「この修繕代は、お前の手配書につけさせてもらう」
ローウェンは表情ひとつ変えずに宣告した。
「さて。自分でおとなしく麻袋に入るか? それとも、細かく切り刻んでから袋に詰めてほしいか?」




