第30話 ハーフエルフのドロップキック
スタート村の冒険者ギルド、ギルドマスター執務室の重い扉が勢いよく開け放たれた。
「リネア、完全復活よ! バルガスのおじさん!」
医務室で丸五日間も昏睡していたハーフエルフの少女が、今は元気いっぱいに扉の前に立っていた。
「ダンジョンで不意打ちしてきた、あの刺青野郎はどうなったの?」
リネアは遠慮なく椅子を引いてどっかりと座り、まくし立てるように尋ねた。
「医務室の人から聞いたけど、最後に私たちを助けたのはローウェンなんでしょ? あいつ、本当にハンパなく強いわね! で、そのローウェンは今どこにいるの?」
バルガスは公文を処理していた羽ペンを止めた。
いつものようにこのトラブルメーカーに向かって怒鳴り散らすことはせず、ただ深くリネアを見つめた。その無骨な顔には、かつてないほどの深刻な色が浮かんでいた。
「ローウェンは……今、廃採石場でリヴィを特訓している」
バルガスは両手の指を組んで顎に当て、少ししゃがれた声で言った。
「実はな、ダンジョンでの一件の続きと、ローウェンの過去について……お前が知っておくべきことがあるんだ」
それからの三十分間、執務室の中は恐ろしいほど静まり返り、バルガスの低く沈んだ声だけが響いていた。
ダンジョンでブロドと対峙した後の出来事から、五日前にローウェンが自らの口で語った「五年前の小隊全滅」という地獄のような記憶まで。バルガスは一切隠し立てすることなく、そのすべてをありのままにリネアに伝えた。
すべてを聞き終えたリネアからは、いつものお調子者らしい活力が消え失せていた。
衝撃と驚愕、そしてやがて、抑えきれない怒りが胸の奥から込み上げてくる。彼女の両手は、ギリッと強く握りしめられていた。
「……あの大馬鹿野郎」
リネアは強く歯を食い縛り、声を微かに震わせた。
「あいつの気持ちは痛いほどよく分かる」
バルガスはため息をつき、自らの苦い過去を思い出すかのように、どこか遠くを見る目をした。
「俺だって若い頃、生死を共にした仲間を大勢失ってきた。一人だけ生き残ってしまったという罪悪感は、人を狂わせる。だから今は、そっとしておいてやれ。ちょうどここに、魔物と接触しなくて済む事後処理の依頼が……」
「その廃採石場って、どこなの!」
リネアはバルガスの言葉を最後まで聞かず、勢いよく立ち上がった。
「今すぐ行ってくる!」
「おい! 人の話を聞け!」
バルガスの呆れたような呼び声を背に、リネアは緑色の旋風のように駆け出し、部屋を飛び出していった。開け放たれたままのドアを見つめながら、ギルドマスターは頭痛を堪えるようにこめかみを揉み、永遠に終わらない書類仕事へと戻るしかなかった。
……
時を同じくして、村の郊外にある廃採石場。
今日の特訓の光景は、ここ数日とは少し異なっていた。
「偉大なる風の主よ! その力を我に――」
「パーンッ!」
極めて甲高く、小気味いい平手打ちの音が採石場に響き渡った。
ローウェンによる正確無比な剣の柄頭打ちとは違い、今日代役としてリヴィを指導しているトゴルトは、容赦のない平手打ちで直接賢者の詠唱を中断させたのだ。
「こりゃダメだな」
トゴルトは手を払い、軽薄な語気の中に呆れたような色を滲ませた。
「この坊主、まるで進歩がねえ。ただのホーンラビット相手に、広範囲の暴風魔法をブッ放そうとするとはな」
傍らにいるローウェンは何も言わず、いつものように生気のない傍観者として、無表情でこの茶番を眺めていた。
その時、採石場の入り口から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「おっ! エルフのお嬢ちゃん、全快したみたいだな!」
いち早く来訪者に気づいたトゴルトが、笑顔で手を振った。
しかし、息を切らしたリネアはトゴルトを完全に無視した。
彼女の視線はローウェンただ一人を射抜くように睨みつけており、全身から背筋が凍るような怒気を放っていた。
「はぁ……はぁ……やっと、見つけたわよ……!」
リネアは腰をかがめ、両手を膝について肩で息をしていた。そして、弾かれたように顔を上げた。
事前の警告も、一切の無駄話もない。
ハーフエルフの少女は驚異的なバネで宙に舞い上がると、ローウェンに向かって容赦のないドロップキックを放った!
「ドゴッ――!」
「何を……!」
ローウェンは咄嗟に鋼のように硬い腕を上げてガードしたが、怒りに満ちたその一撃の威力に低い呻き声を漏らし、よろめきながら半歩後退した。常に凪いでいた彼の表情が、この時ばかりは珍しく驚愕に歪んだ。
「まずは、あんたの仲間の代わりの一発よ!」
リネアはピタリと着地するなり、ローウェンの鼻先を指差して声を荒らげた。
「バルガスのおじさんから全部聞いたわ! ダンジョンのことも、五年前のことも! あんたがずっと鉄仮面みたいな顔をしてた理由がこれだったなんてね! せっかく世界樹の『お母様』に半年もかけて治療してもらったのに、あんたの頭の中にはそんな馬鹿げた考えしか詰まってなかったわけ!?」
ローウェンの表情は一瞬にして凍りつき、採石場内の温度が氷点下まで下がったかのように冷え込んだ。
「……トゴルト」
ローウェンの声は恐ろしいほど低く、極めて危険な警告の響きを帯びていた。
空気が最悪だと察したトゴルトは、慌てて恐怖に震えるリヴィの首根っこを掴み、遠くの岩陰へと放り投げて避難させた。それから二人の間に割って入り、その場を取り繕おうとした。
「まあまあ、二人とも落ち着け。座ってゆっくり話し合おうじゃねえか……」
「言ったはずだ」
ローウェンは冷たくトゴルトの言葉を遮り、凍てつくような低い声でリネアを牽制した。
「この件は、お前には関係ないはずだ、と」
「関係あるわ!」
リネアはその冷え切った視線に少しも怯むことなく、声を張り上げて言い返した。
「あんたがこの村に来た最初の日から、あたしがあんたの相棒でしょ! あたしはあんたの仲間なの! 何が『魔王軍と遭遇できる仕事だけを受ける』よ! 亡くなった仲間たちが、最後に命を懸けてやったことが、一体何のためだったと思ってるのよ!」
その言葉は、一本の鉄の杭となってローウェンの心臓を深く、そして容赦なく貫いた。
彼の脳裏に、再び五年前の光景が制御不能なまでにフラッシュバックする。血の海の中で満身創痍になったコフトが、最後の力を振り絞って振り返り、音のない言葉で彼に告げたのだ。――『逃げろ』と。
ローウェンは苦悶に満ちた表情で目を閉じた。彼は乱暴に背を向け、リネアとトゴルトから顔を隠した。今この瞬間の、激しく歪んだ自分の表情を誰にも見られたくなかったのだ。
「彼らは、あんたにもあそこで一緒に死んでほしかったとでも言うの!?」
リネアの声が空っぽの採石場に響き渡り、一言一句がローウェンの心の防壁を引き裂いていく。
「そのリサって子が、あんた一人にだけ緊急離脱の魔法をかけたのは、どうして!? あんたに生きてほしかったからに決まってるじゃない! 自分の命を大切にして、彼らの分まで生き抜くこと! 魔王軍と戦って犬死にすることなんかじゃなく、それがあんたのこれからの人生でやるべきことでしょ!」
傍らにいるトゴルトも、この言葉に深く心を揺さぶられた。普段は素材にしか興味を示さないこのハーフエルフが、これほどまでに事の核心を真っ直ぐに突いてくるとは思ってもみなかったのだ。
彼はいつもの軽薄さを完全に消し去り、ローウェンの背後に立って真剣な面持ちで口を開いた。
「ローウェン、嬢ちゃんの言う通りだ。かつてのチームメイトとして言わせてもらうが、もし俺がリンデリルたちと同じ立場だったら……お前には何としてでも、俺たちの分まで生きてほしいと願うはずだ」
採石場の中は、死んだような静寂に包まれた。
ローウェンは背を向けたままだった。振り返ることはなかったが、鋼のように硬直していたその肩が、今は制御できないほどに小刻みに震え始めていた。
「レドリット……リンデリル……キャサリン……リサ……コフト……」
ローウェンは空を仰ぎ見ながら、まるで喉から血を滲ませているかのように、極限まで押し殺した声でその言葉を絞り出した。
「あいつらの、あの時の姿……お前たちに、俺の気持ちなど分かるはずがない……」
それは彼にとって、どうしても乗り越えることのできない悪夢だったのだ。
「分からないわよ!」
リネアは荒々しく彼の言葉を遮った。彼女は大股で前に出ると、一切の恐れを見せずにローウェンの背中に向かって大声で宣言した。
「人間であるあんたの気持ちなんて、ハーフエルフのあたしには確かに分からない! でもね、忘れないでよ。あたしはこれでも百八十年生きているの! 精霊の森を出て外の世界を旅するようになってから、もう五十年も経つのよ! その長い年月の中で、あたしがどれだけの人と死に別れてきたと思ってるの? たかだか三十年ぽっちしか生きてないくせに、自分の痛みは誰にも理解できないなんて、勝手に決めつけないでよ!」
ローウェンの体が、ビクッと大きく震えた。
「でもね! それが長寿の血を引く者の宿命なのよ!」
リネアの目には涙が光っていたが、その語気はこれ以上ないほど力強かった。
「あたしは、彼らのすべてを覚えておく! そして、彼らの分まで生きていく! それが、先に逝ってしまった人たちに対する一番の恩返しなの! あんたみたいに、自分の命を粗末にして無駄にすることじゃないわ!」
ローウェンの震える肩は、その言葉を聞いて完全にぴたりと止まった。
彼は依然として沈黙を保っていた。長い間の後、ゆっくりと振り返ったが、トゴルトを見ることも、リネアを見ることもなかった。彼は脇目も振らずに、傍らでガタガタと震えているリヴィの元へと真っ直ぐ歩いていった。
「ひぃっ! ま、また特訓ですかぁ!?」
リヴィは怒りの矛先が自分に向いたのだと思い込み、パニックになって頭を抱え込んだ。
ローウェンは彼を見下ろした。長年固く閉ざされていた彼の纏う冷たい空気が、ほんのわずか、目に見えないほどだが和らいだように見えた。
「今日は運が良かったな。邪魔が入った」
ローウェンは冷たくそう言い捨てた。
「三日間の休みをやる。三日後、採石場で特訓を再開する」
そう言うと、彼はもう誰にも見向きもせず、きびきびとした足取りで採石場を後にした。その背中には、どこか逃げ出しているような気配すら漂っていた。
「ちょっと! まだ話は終わってないわよ! この馬鹿、待ちやがれ――むぐっ!」
立ち去るローウェンを追いかけてさらに説教しようとしたリネアだったが、背後からトゴルトに羽交い絞めにされ、大きな手で強引に口を塞がれた。
「むーっ! 何するのよ!」
リネアはトゴルトの手を力任せに剥がし、怒って彼を睨みつけた。
「今は一人にしてやれ」
トゴルトはローウェンが消えた方向を見つめながら言った。
「大丈夫だ、あいつにはちゃんと響いてるさ。それにしても、エルフのお嬢ちゃん……さっきはよく言ってくれたな。あんな立派な説教、俺にはとてもできねえよ」
褒められたリネアは服についた埃を払い、得意げにツンと胸を張った。
「ふん……あなたたち人間の見識が狭すぎるからよ!」
トゴルトは彼女のその得意げな様子を見て、ふと話題を変え、いつものような憎たらしい笑みを浮かべた。
「だがよ……そういえば前にギルドマスターから聞いたんだが、お前って大事件を巻き起こして精霊の森を『追い出された』んじゃなかったか? さっきは『外の世界を旅する』なんてカッコつけてたみたいだが……」
「……うるさいっ!」
図星を突かれて顔を真っ赤にしたリネアは、躊躇うことなく振り返り、トゴルトにさっきよりもさらに強烈な飛び蹴りをお見舞いした。
「ギャアアアッ――!」
トゴルトの悲鳴とともに、採石場の中にはまた別の形での賑やかさが戻ってきた。
その騒がしさの中で、五年間固く閉ざされていた分厚い氷壁の奥深くから、ついに微かな亀裂の音が聞こえたような気がした。




