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第29話 ハーフエルフの帰還

あの日、泥酔したローウェンが酒場で漏らした「せめて……誰かがあいつらの骨を拾いに行ってやらねえと」という呟き。

ギルドの本部部長は、その言葉を大義名分として利用した。


彼はすぐさまギルドの権限を行使し、『事後処理班』なる特務部署を新設。ローウェンを班長に任命するという強引な手口で、死に急ぐように危険な任務ばかりを受けるこの若き剣士を、最前線から強制的に引き剥がしたのである。


ローウェンは最初こそ、このふざけた左遷人事だと激しく反発した。だが心の底では、死地へ向かう無謀な冒険者たちを放っておけなかったのも事実だった。


無謀なヒヨッコの命を一人でも救い出し、一欠片でも遺骨を遺族の元へ返すたび、自身の心にこびりついた重い罪悪感が、ほんの少しだけあがなわれるような気がしていたからだ。


――しかし、現実は彼が思い描いていたような「悲劇の救済」ばかりではなかった。


魔物の脅威から命を救うことよりも遥かに多く直面したのは、血の気の多い冒険者たちが引き起こす「理不尽極まりない二次災害」の尻拭いであった。


考えなしの火炎魔法が引き起こした地下水道のガス爆発。魔物との戦闘の余波で崩落した街の防壁。さらには、それに巻き込まれた一般市民への土下座まがいの謝罪行脚と、莫大な賠償金の交渉――。


来る日も来る日も、無能な者たちが撒き散らす大惨事と、終わりの見えない苦情処理に向き合い続ける日々。それは、ローウェンの心に残っていた僅かな「贖罪の熱」さえも、ヤスリをかけるように完全にすり減らしていったのだ。


かつて彼を突き動かしていた狂気的な怒りも、胸を締め付ける深い悲しみも、やがてはあらゆる物事に対する絶対的な『無関心』へと変わっていった。


仲間と共に最下層の扉を押し開けた熱血の若き剣士は、こうして完全に死に絶えた。

度重なる絶望と、書類仕事と謝罪の泥沼の中で、彼の感情は徹底的に麻痺してしまったのだ。


そして、現在。

五年前の悲劇から立ち直るどころか、分厚い氷の壁でさらに深く心を閉ざした男の日常が、今日もまた始まろうとしていた。

食堂で明かされた陰惨な過去は、重い鉛のように居合わせた者たちの胃の腑に沈み込んだ。だが翌日、太陽が昇ると――スタート村の日常は、表面上は何一つ変わらない顔をしてそこにあった。


スタート村の冒険者ギルド支部、ギルドマスター執務室。


バルガスは机の上で両手を組み、険しい表情で向かいに立つ若者を見つめていた。


「……事の顛末はすべて理解したぞ、ローウェン」


ローウェンの顔には一切の感情が浮かんでおらず、視線はバルガスを捉えてすらいない。


「他に任務の指示がないなら、あの馬鹿の特訓のために採石場へ行きます」


「待て、まだ聞きたいことがある」

バルガスは背を向けようとしたローウェンを呼び止めた。


「お前は今でも……魔王軍と相打ちになることしか頭にないのか?」


「……その話はしたくありません」

ローウェンは足を止め、背を向けたまま答えた。


バルガスは苛立たしげに荒い髪を掻きむしった。

「いいか! Aランクのパーティーが束になっても、直属幹部が相手では全滅させられるのが現実なんだぞ! 今のお前がたった一人で挑んだところで、犬死にするだけだ!」


「それは俺が考慮すべき問題ではありません」

ローウェンの声は、背筋が凍るほど平坦だった。


「本部の命令でこの事後処理班にいる以上、俺から最前線へ赴くことはありません。ですが、俺の行き着く先は一つです。奴らが俺の前に現れたなら、その時は命と引き換えに道連れにする。……他にご用は?」


バルガスは奥歯を噛み締め、勢いよく自身の袖を捲り上げると、右腕に刻まれた骨まで達するかという古い傷跡を突きつけてみせた。

「俺だって若い頃に多くの仲間を失ってきた! お前の気持ちが分からないわけじゃない、だがな――」


「分かるのでしたら、もう俺のことは放っておいてください、ギルドマスター」


ローウェンは冷たくバルガスの言葉を遮った。わずかに首を巡らせたその語気には、誰も寄せ付けない絶対的な拒絶が滲んでいた。


「他に用件がないのであれば、これで失礼します」


言葉を待つことなく、ローウェンは自ら木製のドアを開けて部屋を出ていった。

「バンッ!」

という重いドアの音がこの不毛な対話を断ち切り、執務室には苦悩と無力感に満ちたバルガスだけが残された。


……


村の郊外、とうに廃れた採石場では、今日も理不尽極まりない特訓が繰り広げられていた。


「い、偉大なる空間の主よ! 呼び声に応え、眼前の――」


「ゴツッ!」

鈍い痛撃音が、容赦なく詠唱を途切らせた。


「痛いいいっ……!」

ぶかぶかの魔法衣を身にまとった線の細い少年が、頭を抱えて地面にうずくまり、涙を浮かべていた。『賢者』の称号を持つリヴィは今や、イタズラが見つかった子供のように小さく縮こまり、震える声で呟いている。


「うぅ……ご、ごめんなさい……」


彼の前に立つローウェンは、ゆっくりと片手剣を引いた。たった今、彼はその剣の柄頭ぽんめるで、寸分の狂いもなくリヴィの脳天を叩きつけたのだ。


「実戦なら、お前は今頃トロールに挽き肉にされているぞ」

ローウェンは見下ろすように彼を睨んだ。

「基礎魔法で距離を取れ。やり直しだ」


「は、はい……」

リヴィは鼻水をすすりながら慌てて這い上がり、再び構えを取り直した。


……


「おい、少し休憩にしろ」


岩積みの上から声が降ってきた。トゴルトがいつの間にかそこに現れ、いつもの軽薄な笑みを消して、手にした水筒をローウェンに向かって放り投げた。


ローウェンは片手で水筒を受け取り、栓を抜いて一口煽った。一方のリヴィは地獄から解放されたように、這うようにして遠くの岩陰へと逃げ込み、そのままへたり込んだ。


廃採石場を微風が吹き抜け、わずかに砂埃を巻き上げる。


「……ローウェン」

トゴルトは岩から飛び降り、ローウェンの傍らへと歩み寄った。その語気はかつてないほど真剣だ。


「あの迷宮ダンジョンで一緒に戦えなかった後悔は、俺だってずっと抱えてる。お前が本当の地獄を見たことも分かっている。だがな……俺だって、あの七年間、お前たちと背中を預け合った同じ小隊の仲間だろうが!」


トゴルトはローウェンの横顔を強く睨みつけた。その目には、理解できないという困惑と、拒絶されたことへの傷ついた色が浮かんでいる。


「この五年間、なぜ俺に一言も話してくれなかった? なぜすべてを一人で抱え込もうとしたんだ?」


水筒を握るローウェンの手が、微かに止まった。


彼はトゴルトの方を振り向くことなく、ただうつむき、分厚いタコだらけになった自身の手のひらを静かに見つめた。


「……あんな経験をした後では、もう誰とも深く関わりたくないんだ」


ローウェンの声は相変わらず平坦だったが、そこには息が詰まるほどの重苦しさが宿っていた。


「俺は遅かれ早かれ、奴らと殺し合う運命にある」

ローウェンはゆっくりと顔を上げ、遠くの灰色の空を見つめた。


「もし将来、俺が魔王軍と対峙して死んだとしても……誰とも深い絆さえ結んでいなければ、生き残った者たちに深すぎる傷を残さずに済む」


これが、彼に一切の感情を押し殺させ、何事にも無関心な人間を演じさせていた本当の理由だった。誰かを守るためではない。自分が死んだ時、あんな凄惨な悲しみを、これ以上誰にも味わわせないためだ。


「お前ってやつは……ふざけるな!」


トゴルトは眉をひそめ、両拳をきつく握りしめた。

独りよがりで、自滅を前提とした馬鹿げた言い分など断じて認めるわけにはいかず、大声で反論しようとした。


だが、彼が顔を向け、ローウェンの視線と真正面からぶつかった瞬間、すべての言葉が喉の奥で詰まってしまった。


ローウェンの顔には悲しみも、恐怖も、未来に対する希望すらも浮かんでいなかった。それは自分自身をとうに放棄し、ただ『すべてを終わらせる』ためだけに存在しているような、虚無の表情だった。


その瞳を前にして、トゴルトの胸を満たしていた怒りの炎は、どうしようもない無力感へと変わり、最後には極めて重く、そしてやるせない深いため息へと変わるほかなかった。


……


重苦しい空気のまま、時は容赦なく過ぎていく。

食堂でのあの対話から、すでに丸五日が経過していた。


スタート村ギルドに併設された医療室。病床の上で丸五日間も昏睡していたハーフエルフの少女が、ついに微かなうめき声を漏らした。


「うぅ……」


リネアの長い睫毛が微かに震え、続いて、活力に満ちたその翠色の瞳がパッと見開かれた。彼女は勢いよく布団を跳ね除けてベッドから飛び起きると、真っ先に自分のぺちゃんこになったお腹をさすりながら、元気よく大声を上げた。


「お腹すいたーっ!」

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