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過去編 世界樹の露

ローウェンは弾かれたように目を覚ました。


無意識に長剣を振るおうとしたが、両手が掴んだのは真っ白なシーツだけだった。冷たい剣の柄もなく、粘り気のある血もない。視界に飛び込んできたのは、あの煉獄のようなダンジョンではなく、鼻を突く薬品の匂いが漂う北方王国冒険者ギルドの医務室だった。


「やっと気がついたか!」


傍らに控えていたギルドの医師が、足早に近づいてくる。その目には信じられないといった驚嘆の色が浮かんでいた。

「内臓が焼け焦げるほどの恐ろしい呪いを受けたうえに、絶対零度の猛吹雪の中にいて、よく生き延びられたものだ……まさに神の加護、奇跡としか言いようがない」


奇跡?

神の加護だと?


医師の声は、分厚い水膜越しに聞いているように遠く感じられた。ローウェンの耳には、レドリットの指の骨が砕ける生々しい音と、口から血を流したコフトが声もなく吐き出した『逃げろ』という言葉だけが、耳にこびりついて離れなかった。


医師の驚嘆など意に介さない。縫合されたばかりの傷口が再び裂けるのも構わず、滲み出した血が真っ白な包帯を赤く染めるのにも頓着せず、ローウェンはよろけながら医師を突き飛ばし、追い詰められた野獣のように医務室を飛び出した。


「おい! まだベッドから出ちゃ――!」


背後からの制止など耳に入らない。ギルドロビーの受付まで一直線に突き進むと、血まみれの両手で職員の胸ぐらをきつく締め上げた。落ち窪み、痛々しいほど血走った両眼で、相手の顔を射抜くように睨みつける。


「寒氷山脈のダンジョン……他の奴らは!? 俺の仲間はどこだ!」

ローウェンは血の味のする喉から、しゃがれた咆哮を絞り出した。


悪鬼のようなその形相に、職員は血の気を失い、カウンターの奥に縮こまりながらどもるように答えた。

「あ、あの時、異常な魔力波動が観測されたため……後から北方王国が正規軍を直接突入させたんですが……」


「あいつらはどこだと聞いてるんだ!」


「も、もぬけの殻だったんです……」職員は震える声で言った。「軍が最深部に到達した時、そこには何もありませんでした。転送陣も、魔物も……それに、あなたの仲間たちの……遺体も。一面の血だまりを残して、忽然と姿を消したように……」


ローウェンの手が、ピタリと硬直した。


遺体が、ない。


その事実は、魔王軍が彼らを連れ去ったという絶望を意味している。アンデッドの素材にされたか、魔物の餌に成り果てたか。七年間、生死を共にしてきた家族の遺体を回収し、名前を刻んだ墓標を立ててやることすら、徹底的に奪い去られてしまったのだ。


ローウェンは力なく手を離し、支えを失ったかのように、冷たいカウンターに背を預けてずるずると崩れ落ちた。


世界が絶対的な静寂へと沈んでいく。極限まで張り詰めていた理性の糸が完全に千切れようとしたその時、はるか遠い記憶の欠片が、深淵の底から不意に浮かび上がった。


あれは野営の夜だった。焚き火がパチパチと音を立てる中、ハーフエルフの魔導士リンデリルが少し酒を飲みながら、幼い頃に村で聞いたという古い神話を笑って話してくれた。


『僕たちハーフエルフが絶対に足を踏み入れることのできない「世界樹の森」の最深部には、神々すらも垂涎する「世界樹の露」があるらしいんだ』

当時のリンデリルは、聖地への憧れに瞳を輝かせていた。

『伝承によれば、肉体さえ残っていれば、たとえ魂が抜け出ていたとしても、その一滴の露が、生と死のことわりを覆すことができるんだって』


生と死の理を覆す。

その言葉は、暗黒の深淵に垂らされた一筋の、血塗られた蜘蛛の糸だった。


そうだ。遺体がダンジョンにないのなら、魔王軍から奪い返せばいい! 奪い返し、あの伝説の秘薬を見つけ出しさえすれば、まだ希望はある! あいつらは死んでいない。俺が助けに来るのを待っているだけだ!


ローウェンの喉から、壊れたような乾いた笑い声が漏れた。


彼はまだ癒えていないボロボロの体を引きずってよろよろと立ち上がると、ギルドにいる全員の驚愕と恐怖の視線を浴びながら、一度も振り返ることなく扉の外へと歩き出した。


……


数ヶ月後、精霊の森の外縁部。


ボロボロの外套を羽織った枯れ木のような一人の男が、まるで幽霊のように複雑に絡み合う古木の間をすり抜けていた。


ローウェンがトップクラスの前衛としての潜伏技術を駆使しているというよりは、今の彼の気配が、温度を持たない死体と同等にまで希薄になっているからにすぎない。彼の体は極めて不安定な魔力の薄膜に覆われている――それは彼が記憶を頼りに、賢者『リヴィ』の魔導書から見様見真似で覚えた中途半端な隠身の術だった。


手法は稚拙だったが、尽きかけた生命力が皮肉にも気配を殺す結果となり、奇跡的に外縁の防衛線を突破させていたのだ。


だが、見えない結界を越え、純血のエルフのみに立ち入りが許された真の「世界樹の森」へと足を踏み入れた瞬間、そんな偽装はすべて笑い話と化した。


ブゥン――。


聖地の魔力に触れた瞬間、中途半端な隠身の術は、針で突かれたシャボン玉のように呆気なく弾け飛んだ。


「何者だ!」


同時に、洗練された気配を放つ軽量の革鎧をまとった五人の純血エルフが、樹冠から音もなく舞い降りた。手に握られた付与魔法エンチャント付きの長弓はすでに引き絞られ、鋭い矢尻がローウェンの眉間を正確にロックオンしている。


見つかった。


ローウェンに躊躇いはなかった。餌を守る狂犬のように、瞬時に腰の刃こぼれした長剣を抜き放つと、退くどころか地を蹴り、最前列のエルフに向かって凶暴な突撃を仕掛けた。


「身の程知らずの人間め」


ローウェンの突襲に対し、純血のエルフは冷たく鼻を鳴らしただけだった。重傷が癒えぬまま長旅を続けてきたローウェンは、とうの昔に限界を迎えている。純血エルフの強大な自然魔法と極めて俊敏な身のこなしを前にしては、彼の荒々しい剣技など微塵の脅威にもならなかった。


交刃は、ほんの数合。


カァーンッ!


ローウェンの長剣はいとも容易く弾き飛ばされ、続いて四人のエルフが一斉に飛びかかり、彼を湿った泥だらけの地面に力任せに押さえつけた。


「聖地を侵す者は、死あるのみ」

リーダー格のエルフが氷のような視線で見下ろし、腰の短剣を抜く。血と悪臭を放つこの侵入者を、今この場で処刑するために。


「離せ……露をよこせ……あいつらを、助けなきゃならないんだ……」

ローウェンは頬を泥に強く押し付けられ、口の中に砂を噛みながらも、一切の尊厳を捨てて狂人のようにもがき続けていた。


まさに短剣が振り下ろされようとした、その瞬間。


森の最深部から、唐突に、柔らかく温かい、それでいて抗うことの許されない絶対的な威厳を伴った、古の魔力波動が伝わってきた。


処刑を執行しようとしていたエルフたちの体がビクッと震えた。彼らは即座に武器を収め、森の奥深くに向かってこの上なく恭しく頭を下げた。そして、泥と血にまみれたローウェンを地面から引きずり起こし、拘束したまま禁足地の中心へと歩き出した。


三十分ほど歩いただろうか。周囲の古木がまばらになり、不意に視界が開けた。


死水のように濁りきったローウェンの瞳でさえ、顔を上げた瞬間、眼前の光景に息を呑むほかなかった。


それは、真の「天を突く巨木」だった。


幹の太さは数十メートルにも及び、まるで揺るぐことのない巨大な要塞のようだ。そして、青々と茂る枝葉は四方八方に数キロ先まで広がり、天空を支える緑の巨大な傘を形成していた。


その世界樹の巨大な幹の正面には、太い木の根が自然に絡み合ってできた、天然の椅子があった。


今、その木の椅子の上には、静かに座っている1つの影がある。


それは実体ではなく、純粋な緑色の魔力が集まってできた、まるで「立体映像」のような半透明の女性の姿だった。


彼女は古いローブを纏い、底知れない慈愛と、全てを包み込むような古代のオーラを放っている。


世界樹の化身、「母」。


静かに、ローウェンを見つめていた。

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