第28話 仲間
翌朝。南の廃棄採石場。
昇り始めた朝日とは裏腹に、野営地の空気は淀んだ沼のように重く沈み返っていた。
「うぅ……おぇ……」
『歩く天災』と称される賢者リヴィは、大の字で地面に倒れ伏していた。両目は白目を剥き、口からは絶えず泡を吹き、陸に上がった魚さながら時折ビクビクと痙攣している。昨日、戦略級魔法『聖光砲』を二発も連続で撃たされた代償だ。海のように膨大だった魔力は最後の一滴まで搾り取られ、今は指一本動かすことすらできない。
その傍らで、ローウェンは手頃な岩の上に腰を下ろしていた。
昨夜の死闘を経てもなお、ローウェンの表情は凍てついたように動かない。左腕と肩には血の滲む包帯が雑に巻かれ、右手には淹れたてのブラックコーヒーが入ったカップが握られていた。
一口すすると、傍らの木剣を手に取り、地面に転がるリヴィを容赦なく小突いた。
「死んだふりをするな。昨日の二発目の聖光砲は、敵を直接消滅させられなかった。魔力制御は依然として落第点だ」
「十分に休んだらさっさと起きろ。今日の特訓を続けるぞ」
ローウェンは冷酷に言い捨てる。
リヴィの絶望的な嗚咽を背に、ローウェンはカップのコーヒーを一気に飲み干すと、立ち上がり、スタート村の方向へと歩き出した。
「報告書を出しにギルドへ行ってくる。お前はここに残って、昨日の汚れた服を洗濯しておけ」
……
一方、スタート村の冒険者ギルドに併設された医療室。
鼻を突く薬品の匂いが立ち込める中、リネアはベッドで固く目を閉じていた。命の危機は脱したものの、ブロドの破壊魔力弾による内臓へのダメージは深く、依然として昏睡状態が続いている。
病室の外では、ミイラのように全身を分厚い包帯でぐるぐる巻きにされたトゴルトが、頑なに壁に寄りかかって付き添っていた。
廊下の反対側から、ドタドタという足音が近づいてくる。
『魔王軍の直属幹部と遭遇』という衝撃的な報告を受けたギルドマスターのバルガスが、滝のような汗を流しながら駆けつけてきた。そして間もなく、野営地から戻ったローウェンもギルドの扉をくぐった。
リネアの眠りの邪魔にならないよう、三人は無言で視線を交わし、まだ営業時間前のギルド併設の食堂の隅へと場所を移した。
照明が半分落とされた食堂内の空気は、ひどく重苦しかった。
バルガスは、ローウェンから提出されたばかりの『魔王軍との遭遇および遺跡の被害報告書』を両手で強く握りしめ、顎髭に沿って冷や汗を絶えず流している。
「あまりにも荒唐無稽だぞ……南の砂漠の縁にある遺跡で、魔王軍に遭遇するとは……」
バルガスは汗を拭い、ひどく解せないといった視線をローウェンに送る。
「だがな、ローウェン。あの遺跡はお前が特訓していた採石場からそれなりに距離がある。戦闘が起きたからといって、即座に察知できるはずがない。お前は一体どうやって遭遇を知り、ピンポイントで真上の天井を吹き飛ばせたんだ?」
その問いに、トゴルトも顔を向け、複雑な眼差しでローウェンを見つめた。昨夜、もしローウェンの到着が1秒でも遅れていれば、彼とリネアはすでに冷たい骸となっていただろう。
ローウェンはテーブルのコップを手に取り、水を一口飲んでから淡々と答えた。
「簡単なことだ。前回の冒険者昇級試験で、魔王軍の影が村に潜入して以来、俺は少しばかり予防策を講じておいた」
コップを置き、事も無げに続ける。
「俺はギルドマスターやリネアの装備、それにスタート村のあらゆる重要拠点に、密かに『魔力探知の術式』を仕掛けておいた」
「……なんだと?」
バルガスは呆然とした。
「魔王軍の魔力波動を感知した瞬間、俺の通信宝石に正確な座標の警報が送られるようになっている。昨日、リネアに仕掛けた術式から異常な波動を受信した。俺はただ座標を確認し、リヴィに地表から道を開かせただけだ」
その言葉に、トゴルトとバルガスは背筋が凍るのを感じた。
誰一人知らぬ間に、身近な仲間の魔力を二十四時間体制で監視し続ける――それはもはや、単なる『用心深さ』などではない。病的とも言える、身の毛のよだつような過度な保護欲だった。
「お前……仲間を一体なんだと思ってるんだ……」
トゴルトはギリッと奥歯を噛み締めた。ただでさえ痛みのせいで青白い顔に、険しい怒りが滲む。普段の軽薄さを完全に消し去り、ローウェンを射抜くように睨みつけながら、昨晩から心に渦巻いていた疑問を叩きつける。
「昨夜、ブロドは『五年前の小隊』と言った。ローウェン、当時お前たちがあの地下迷宮で遭遇したのは、一体なんだったんだ? 魔王軍だったのか?」
『五年前』――その言葉を聞いた瞬間、コップを握るローウェンの手が硬直した。込められた異常な握力によって、指の関節が白く浮き出る。
彼は視線を落とし、テーブルの木目を見つめたまま、口を固く結んで沈黙の底へ逃げ込んだ。過去を抉られることを、全身が激しく拒絶している。
「ローウェン!」
バルガスは重々しくため息をつき、かつてないほど厳しい口調で言った。
「今はもう魔王軍の直属幹部が現れたんだ! これはお前一人の問題ではない。村を守るために、俺たちには情報が必要なんだ!」
ローウェンの瞳がわずかに揺れたが、それでも口を開こうとはしなかった。
バンッ!
トゴルトが勢いよく立ち上がり、裂けた傷口の痛みも構わず、両手で激しくテーブルを叩き据えた。
血走った目でローウェンを睨み下ろし、怒号を放つ。
「お前、一体いつまで逃げ続けるつもりだ! 監視の術式だろうが、間一髪の救出だろうがどうでもいい! 俺はもう何度も、お前と肩を並べて戦ってきたんだ。お前は俺を……あそこで寝ている嬢ちゃんを、一度でも『仲間』だと思ったことがあるのか!?」
血を吐くような悲痛な問いかけに、食堂は再び死のような静寂に沈む。
ローウェンはゆっくりと俯き、額の前髪が両目を覆い隠した。これまで氷のように微動だにしなかった彼の肩が、今、微かに震え始めている。
やがて、喉の奥から血を絞り出すような、ひどく掠れた声が落ちた。
「仲間……だと?」
ローウェンがゆっくりと顔を上げる。その瞳に浮かんでいたのは、底知れぬ漆黒の絶望だった。
「俺には……『仲間』を持つ資格なんてない……」
彼は目を閉じ、深く息を吸い込む。周囲の酸素とともに、過去の悪夢を肺の奥底へ飲み込むかのように。そして再び目を開いた時、その瞳には息苦しくなるほどの暗い重圧だけが残っていた。
「五年前、俺たちは寒氷山脈の地下迷宮で……」
ローウェンはついに、重い口を開いた。この上なく平坦で、それでいて骨の髄まで凍りつくような冷たい口調で、完全に抹消された歴史をゆっくりと語り始める。
かつて『不動』と呼ばれた熱血な前衛が、あの地下迷宮の最深部で、いかにして真の地獄と直面したのかを。




