第26話 血牢のブロド
南方の荒野を突き進むにつれ、空気は次第に乾燥し、肌を刺すような熱気を帯びていった。
黄砂に半ば埋もれるようにして佇むのは、まるで巨大な墓標のような古代の廃墟。地上の建造物こそ風砂に侵食され尽くしていたが、地下へと続くダンジョンの通路は今なお健在であり、奥底から冷々と陰湿な冷気を放っている。
「これが、例の『緋緋色金』が眠るっていう遺跡ね。確かに古代の軍事要塞っぽい雰囲気はあるわ」
大きな背嚢を背負うリネア。その瞳には、希少素材への狂気的な熱意がギラギラと輝いていた。
「ハハハ! この俺様というAランク冒険者がついているんだ、ダンジョンへのピクニックにでも来たつもりで気楽にいこうぜ!」
トゴルトは自信満々に先頭を歩き、手にした刺剣を軽快に振り回して見せた。
二人の進撃は、文字通り無風そのものだった。
「シャー、シャー――」
薄暗い岩の隙間から、丸々と太った砂漠の毒蛇が数匹這い出てくる。しかし、奴らが毒液を撒き散らすよりも早く、トゴルトの放った刺突が銀色の稲妻と化し、正確にその急所を貫いた。
「ちょっと、毒腺を壊さないでよ! それ、極上の麻痺薬の触媒になるんだから!」
リネアはすぐさま嬉々として駆け寄り、手際よく毒蛇を解剖しては、その毒液を硝子瓶へと回収していく。
さらに奥へと進むと、通路には錆びついた鉄剣を握るアンデッドの死骸や、重厚な岩石のゴーレムが門番として現れ始めた。
だが、それすらも二人の脅威にはなり得ない。トゴルトは華麗な身のこなしと精密な一撃で易々とアンデッドをバラバラに刻み、驚異的な防御力を誇るゴーレムは、リネアが投げつけた特製の錬金爆裂ポーションが関節を的確に捉え、ただの動かぬ鉄屑の山へと変えられた。
「楽勝ね! ゴーレムの動力核ゲット!」
リネアは戦利品をご機嫌で背嚢に詰め込んだ。
「このペースなら、外で野営する必要なんてまったくないわ。今日中に最深部の『緋緋色金』を回収して帰れるわね!」
二人はまるで市場を歩くかのように軽口を叩き合いながら、螺旋状の巨大な石階段を下り、遺跡の最底部へとたどり着いた。
そこは、異様なほど広大な地下大広間だった。
だが、リネアが照明の魔石を高く掲げ、広間の中央に広がる光景を視界に捉えた瞬間、二人の気楽な笑みは一瞬にして凍りついた。
広間の中央には、夢幻の素材が収められた宝箱など存在しなかった。
代わりに転がっていたのは、暴力によって無残に粉砕されたゴーレムの残骸。
そして、その残骸の中心に、一人の男が佇んでいた。
上半身を完全に露わにした、異様なほど屈強な肉体。
顔面を除く全身にびっしりと刻まれた「八卦陣」のような複雑で奇怪な黒い刺青が、毛の逆立つような不気味さを醸し出している。
武器の類は一切携えていない。
だが、その十本の指には、色も形状も異なる奇妙な指輪が嵌め込まれていた。
男は苛立たしげにゴーレムの破片を蹴り飛ばすと、低く毒づいた。
「チッ……こんな僻地を底までひっくり返して、未だに『緋緋色金』が見当たらねえ。あの究極の金属がなけりゃ、さらなる魔力に耐えうる『十一枚目』の指輪をどうやって鋳造しろってんだ?」
足音を察知し、男はゆっくりと振り返る。
その容貌を視界に収めた瞬間、トゴルトの顔から血の気が完全に引いた。額から凄まじい量の冷汗が噴き出し、刺剣を握る手さえも、極限の緊張によって微かに震え始める。
「おい……お嬢ちゃん」
トゴルトは視線を逸らさぬまま、背後のリネアに向かって、極めて低い、かつてないほどに切迫した声を絞り出した。
「背嚢の中の、金になりそうな瓶詰めは全部捨てろ。ここからは一瞬たりとも油断するな。持てる手札のすべてを尽くして、俺の援護に回れ」
「……え?」
リネアは呆気にとられた。
「あいつは……魔王軍だ。それも間違いなく、四天王直属の幹部クラスだぞ……」
その肩書を耳にした瞬間、リネアは息を呑んだ。
「ほう? ネズミの分際で、俺の素性に気づいたか」
男は首を捻り、骨の擦れる不快な音を響かせた。指輪の嵌まった両手を掲げ、その口元に酷薄な笑みを刻む。
「その通りだ。俺は魔王軍参謀メダラス様直属――『血牢のブロド』だ。緋緋色金が手に入らねえなら、代わりに貴様らの命を我が指輪の血祭りにあげてやる!」
「仕掛けるぞ!」
トゴルトが咆哮すると同時に、Aランク冒険者としての極限の脚力が爆発した。一陣の烈風と化し、その魔力を纏った刺剣がブロドの喉元へと一直線に突き出される!
その致命の一撃に対し、ブロドは右手の小指に嵌まった緑色の指輪を微かに光らせた。極限まで加速された体躯が、易々と剣鋒を躱す。続いて、右手の食指の橙色の指輪が輝きを放った。
ブロドは無造作に腕を振るうと、人差し指と中指の二本で、その魔力の一撃をいとも容易く挟み込んだ。指輪がもたらす圧倒的な身体強化により、魔力を帯びた刺剣が完全にその場に固定される。
「死になさい!」
リネアはその隙を逃さず、側翼から鋭く踏み込んだ。両手を一斉に振り抜き、彼女の自信作である最高級の錬金爆裂ポーションが六瓶、ブロドの死角を正確に捉えて投擲される。
ブロドの眼光が冷たく据わった。左手の食指にある桃色の指輪が閃光を放つ。
「血色監牢」
虚空から這い出た無数の禍々しい血の鎖が、空中のリネアを容赦なく締め上げる。放たれた薬瓶ごと強固に拘束され、身動きを完全に封じられた彼女の顔が、驚愕に染まった。
「お嬢ちゃん!」
トゴルトが大声を上げた。
「煩わしい羽虫め」
ブロドの左手の親指に嵌まる黒い指輪が、宙に縛られたリネアへと向けられる。
漆黒の、破滅的な質量を孕んだ破壊の魔力弾が一瞬にして形成され、容赦なくリネアの身体へと叩き込まれた!
――ドォーーーン!!
凄まじい大爆発が広間に轟いた。リネアは悲鳴を上げる暇さえ与えられず、ボロ布のようになって吹き飛ばされ、遠方の岩壁へと激しく叩きつけられた。
鮮血が彼女の髪を無残に染め上げ、力なく地面へと崩れ落ちる。その生死は、もはや判別すらつかない状態だった。
「貴様ぁぁぁ!!」
トゴルトの目が血走った。彼は拘束された刺剣を躊躇なく手放し、左手で護身用の短刀を引き抜くと、我を忘れてブロドへと突撃した。
ブロドの右手食指にある橙色の指輪が再び輝き、圧倒的な怪力を宿した拳が叩きつけられる。
トゴルトは危機一髪のところで両腕を交差させて防御したが、その化け物染みた衝撃に鎧ごと力任せに吹き飛ばされた。
地面を何転もしながら大量の血を吐き出し、ミスリルの軽鎧は無残に凹んでいる。
リネアほどの致命傷ではないにせよ、全身を襲う激痛に耐えかね、彼は片膝をついて荒い息を吐き出すのが精一杯だった。
「この程度か」
ブロドは重傷を負って倒れるリネアの前へと歩み寄り、左手を掲げた。
親指の黒い指輪が再びその邪悪な光を宿す。このハーフエルフの少女に、確実なるとどめを刺すために。
「消え失せろ」
その破滅の魔力が放たれんとした、まさにその刹那――。
――ゴロゴロゴロ!!!
地下城の最深部、通常の理では決して破壊し得ないはずの強固な岩盤の天井が、突如として耳を聾するほどの悲鳴を上げた。
次の瞬間、地層を真っ向から貫通する、見る者を戦慄させるほどの純白の「聖光砲」が、遥か彼方の地表から一直線に降り注いだのだ!
――ズドォーーーン!!!
神聖な気配を孕んだ破滅の光束は、寸分の狂いもなくブロドとリネアのちょうど中間に激突した。
極厚の岩層と古代の床石が一瞬にして超高温で蒸発し、凄まじい衝撃波がブロドの巨体を数メートル後方へと強制的に押し戻す。
光が霧散した後に残されたのは、地上へと繋がる、強引に穿たれた巨大な縦穴だった。
乱舞する砕石と激しい土煙の向こうから、一つの影がその巨大な縦穴を、まるで隕石のごとき速度で墜落してきた。
普段の気だるげで無気力な様子は、そこには一切存在しない。今の彼が放つ威圧感は、まさに深淵の底から這い出た死神そのものだった。
濃烈な殺気が彼の全身から爆発的に吹き荒れ、平時の能面のような無表情とは完全に別人へと変貌を遂げている。
地面から十数メートル手前の半空で、彼は腰に帯びた実直な支給品の片手剣を引き抜き、雷霆の如き凄まじい勢いでブロドの脳天へと叩きつけた!
――ギィィィィィン!!!
鼓膜を震わせるほどの凄まじい金属の激突音が轟き、巻き起こった爆風が周囲の土煙を完全に吹き飛ばした。
ブロドの両足は、粉砕された床石の奥深くへと沈み込んでいた。
その口元に狂気的な邪悪な笑みを浮かべ、右手中指の黄色の指輪が眩い輝きを放っている。
絶対の防御強化によって、彼はローウェンのその狂暴なる一撃を、文字通り「素手」で完全に受け止めていた。
そして、彼らの遥か頭上、極めて高い天井の破口からは――先ほどまで無理やり地盤を撃ち抜かされ、戦術級魔法の反動でガタガタと恐怖に震える、一人の「移動型天災」の少年が、巨大な魔導書を必死に抱きかかえている姿が微かに見え隠れしていた。




