第25話 ギルド酒場の雑談
夕暮れ時、スタート村の冒険者ギルドに併設された酒場。
いつもなら様々な事後処理の案件に追われる地獄のような光景とは異なり、今日のリネアは異常なほど暇を持て余していた。
ローウェンがここ数日、南方の廃採石場で例の賢者のスパルタ特訓につきっきりだからだ。ギルドマスターのバルガスは、ローウェンにあの歩く時限爆弾を村に戻す口実を与えないため、本当に約束を守り、歯を食いしばって事後処理班の全ての書類仕事や雑務を一人で丸抱えしていた。
そのお陰で、相棒であるリネアはすっかり手持ち無沙汰になっていた。彼女は搾りたての果汁を注文し、一人で壁際の木卓に腰掛け、悠々と実験ノートや素材の目録を整理していた。
「よぉ! エルフのお嬢ちゃん。今日はあのいつも不機嫌そうな奴に、溝掃除を強制されてないんだな?」
やけに快活な声が響いた。トゴルトが串焼きが山盛りになった皿と並々と注がれたエールの大ジョッキを手に、遠慮なく椅子を引いてリネアの対面に腰掛けた。
「あら、特権階級じゃない」
リネアは顔を上げることすらなく、羽ペンを走らせてノートに書き込みを続ける。
「ローウェンは今、あの賢者のスパルタ特訓にかかりきりなのよ。あいつのお陰で、あたしは滅多にない休暇を堪能してるんだから」
「ハハハ! あの『不動』に子守りをさせるとは、ギルドマスターも随分なことを考えつくもんだ!」
トゴルトは串焼きを豪快に齧り、たまらず吹き出した。
その二つ名を聞いた瞬間、リネアの手が止まった。
彼女はゆっくりと顔を上げ、片手で顎を支えながら、対面に座る男を探るように見つめた。
「そういえば、あいつが五年前、小隊を全滅させたっていう話を聞いたんだけど」
リネアは僅かに声を潜め、どこか問い詰めるような口調になった。
「あんたも同じ小隊だったんでしょう? 一体何があったの? その時、あんたは何をしてたわけ?」
その問いを耳にした瞬間、トゴルトの咀嚼する動きがピタリと止まった。
彼の代名詞とも言える軽薄な笑みが一瞬にして消え去り、代わりに、滅多に見せない、どこか苦渋と重苦しさを孕んだ真剣な表情が浮かび上がった。彼は手にしていた大ジョッキをゆっくりと置き、木製の卓上に鈍い音を響かせた。
うつむいたまま、ジョッキの中で波紋を広げるエールを見つめるその姿は、何か複雑な感情を押し殺しているかのようだった。
「……お嬢ちゃん、もうあの惨劇のことを知っていたのか」
トゴルトの声は低く、いつもの軽妙さは完全に失われていた。
「だがな、あの任務の時、俺は単独で別の依頼を遂行していたんだ。だから、あの現場にはいなかった」
ジョッキを握る彼の指先に力がこもり、関節が白く浮き出た。
「依頼を終えて戻り、あの事件の顛末を聞かされた時には……あいつはもう傷を癒やし、一人で西方へと旅立った後だったよ」
トゴルトの語気には、仲間と共に戦えなかったことへの無力感と後悔が滲んでいた。
対面から伝わる重苦しい空気に、リネアもこれまでの気楽な態度を改めた。彼女は羽ペンを置き、真剣な眼差しで彼を見据えた。
「あいつ、西方で何をしてたの?」
リネアは静かに尋ねた。
「誰も知らないさ」
トゴルトは首を振り、深く重いため息を吐き出した。
「あいつは西方に一年ほど滞在していた。そこで何を経験したのか、今に至るまで誰にも一言も語っちゃいない」
トゴルトは顔を上げ、自嘲気味に苦笑した。
「とにかく、一年後にあいつが北方の本部に舞い戻ってきた時には、かつて常に最前線に立ち、熱く剣を振るっていたあの熱血剣士の姿は消え失せていた。代わりに残ったのが、お前が今見ている、あの生気の失せた顔で何事も面倒くさがる、無気力な男ってわけだ」
「その後、他人の尻拭いを専門にする『事後処理班』ができたのは、もっと後の話さ。なんでも、本部の幹部と泥酔した勢いでくだらない大口を叩いた結果、あんな奇妙な編成が誕生しちまったらしい」
重苦しい過去の話により、酒場の片隅の空気は異常なほどに淀んでいた。
こうした陰鬱な雰囲気を最も嫌うトゴルトは、己の両頬を「パァン!」と勢いよく叩いた。深く息を吸い込み、無理やり自信に満ちた笑みを作り出して、その陰りを払いのけようとした。
「よし、済んだ昔話はここまでだ!」
トゴルトはいつもの大げさな態度を取り戻した。
「エルフのお嬢ちゃん、せっかく今は暇を持て余してるんだ。この俺様と一緒に依頼をこなしに行かないかい?」
「興味ないわ」
リネアは一瞬の躊躇もなく拒絶し、不躾に目をそらした。
「あんたみたいな奴と手を組んだって、何の収穫もないじゃない」
「そう急いで断るなよ!」
トゴルトは思わせぶりに顔を近づけた。
「今回の任務の場所は、ちょうど村の南方――つまり、ローウェンが特訓を行っているあの廃採石場のすぐ隣にある古代遺跡だ。等級はただの探索と低級魔物の排除だけで、ソロのCランク依頼にすぎない」
「それがどうしたのよ?」
「俺が小耳に挟んだ話によればな……」
トゴルトはわざとらしく言葉を引き延ばし、声を潜めた。
「あの遺跡の最深部には、伝説とされる夢幻の金属素材――『緋緋色金』が眠っている可能性が極めて高いらしいぜ」
「っ!」
その名を耳にした瞬間、リネアの身体が激しく震えた。その顔に、狂気じみた熱が浮かび上がった。
さきほどまで胸を占めていたローウェンの過去に対する重苦しさや求知欲など、「伝説の素材」という誘惑の前には、一瞬にして綺麗さっぱり吹き飛んでいた。
「緋緋色金!? それ本当に言ってるの!? あらゆる魔力を完璧に融合させるっていう、錬金術師にとっての究極の金属じゃない!」
リネアは歓喜のあまり勢いよく立ち上がり、両手を卓上へと叩きつけた。その身を乗り出し、トゴルトの顔面に掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。
「おいおい、落ち着けって! あくまでただの噂だ!」
トゴルトはその気迫に気圧され、大慌てで己のエールを死守しながら苦笑した。
「どうだい? 条件は至って単純だ。俺様はクエストの討伐報酬と名声だけが欲しい。遺跡の中にある素材はすべてお前に譲る。悪くない話だろう?」
素材の狂人たるリネアに、躊躇などという言葉は存在しなかった。
彼女は卓上のグラスを引っ掴むと、勢いよくトゴルトのジョッキへと叩きつけ、グラスを打ち鳴らす快音を響かせた。
「明日の朝、遺跡の入り口でね!」
実は、バルガスは「ローウェンの仕事を代わりに片付ける」とは言いましたが、リネアの分まで代行するとは一言も言っていません。
つまり彼女はただサボっているだけです。
したがって、本話のリネアは完全に『給料泥棒』です。




