幕間 その二(中編) 牛刀を振り回す賢者
ガタゴトと揺れる悪路を、馬車は一日走り続けた。
夕日が空を茜色に染め上げる頃、ローウェンは森林の境界線で馬車を止めた。
今夜の野営地となるのは、屋根の半分以上が崩れ落ちた、荒れ果てた木小屋だ。
ローウェンは手際よく馬を馬車から外して繋ぎ止めると、そこから先は、さながらカンスト済みのサバイバル技術を誇示するかのような驚異的な効率で作業を進めていった。
まずは、素早く焚き火を起こす。
それから小屋の周囲に虫除けの粉を撒き、簡易的な警戒魔法を施す。
さらには道中で仕留めた獲物を熟練の手つきで串肉にし、じっくりと焼き始めた。
リネアもただ見ていたわけではない。
道すがら摘み取った数株の香草や薬草を楽しげに刻み、肉串の上へと均一に振りかけていく。
一方、このパーティーの三人目のメンバー――賢者リヴィはといえば。
膝を抱え、大人しく木小屋の最奥の隅に縮こまってぼうっとしていた。
先ほどローウェンに近くで乾いた薪を拾ってくるよう言われたのだが、結果として彼は木の根に躓いて泥まみれになっただけでなく、あわや森林大火災を引き起こしかけたのだ。
理由はいたって単純。
少し湿っていた薪を『ファイアボール』で乾かそうとしたからである。
その瞬間から、ローウェンによって彼の行動権は完全に剥奪された。
そして下された鉄の掟が――『呼吸と、ぼうっとすること以外、一切の行動を禁ずる』であった。
焚き火がパチパチと音を立て、炭の上へと滴り落ちる脂が、食欲をそそる濃厚な香りを漂わせる。
リネアは手元の肉串をくるくると回しながら、生活能力ゼロの、隅っこで縮こまる少年を見やり、たまらず声を潛めてローウェンに尋ねた。
「ねえローウェン。あいつがそこまでポンコツなのに……あんたたち、昔はどうやってパーティーを組んでたの?」
ローウェンは手中の肉串を裏返しながら、表情一つ変えずに極めて簡潔な言葉を吐き出した。
「砲台だ」
「砲台?」
「俺が方向と目標を指定する。使用する魔法は固定の三種類のみ。それ以外の時間は、ただパーティーに付いてくるだけで、何もしなくていい」
ローウェンの説明は簡潔極まりなかったが、リヴィがかつて小隊で担っていた役割を完璧に言い表していた。
二人がそんな雑談を交わしている最中、木小屋の背後にある草むらから、微かなガサゴソという音が聞こえてきた。
リネアの耳がピクリと動く。
ローウェンは顔すら上げず、ただ黙って腰の剣柄へと手を伸ばした。
「ガルルルル――!」
肉が焼ける香りに引き寄せられたのだろう。
小牛ほどもある巨体に灰緑色の毛皮をまとった『フォレストウルフ』が二匹、木小屋の崩れた裏壁の隙間から突如として飛び出してきた!
そして、奴らが飛び出してきた場所は、あろうことかリヴィの真後ろだった。
「ひぃっ――!」
ぼんやりしていたリヴィが振り返った瞬間、視界に飛び込んできたのは、涎を垂らし、牙を剥き出しにした魔狼の、不気味に裂けた大口だった。
その一瞬で、天才の脳内にある脆弱な神経回路が完全に消し飛んだ。
極限の恐慌状態に陥った彼は、回避や防御魔法のことなど完全に失念し、身体の生存本能に従って、再びあの古びた魔導書を開いてしまった。
「紅蓮の災厄よ降れ――『ファイア・インフェルノ(火炎煉獄)』!」
リヴィは目を瞑り、ほとんど悲鳴に近い、裏返った声の速度で、上級火属性魔法の呪文を高速詠唱した。
「ゴオオオオオッ――!」
木小屋の内部の温度が、一秒にも満たない時間で、一気に恐ろしい領域へと跳ね上がる。
膨大な火元素が急速に集束したことで空気は激しく歪み、周囲の干し草が高温によって瞬時に自然発火した。
ご馳走にありつくつもりだった二匹のフォレストウルフは、悲鳴を上げる暇さえなく、魔法の発動前兆がもたらした高温の熱波によってその場で焼き上げられた。
全身から黒煙を吹き出し、焦げ臭い匂いを漂わせながら、「ドサリ」と地面に転がった。
このポンコツが自分たちを森ごと灰にする前に、ローウェンの身体が文字通り疾風のごとく動いた。
彼は肉串を放り投げ、一步でリヴィの目の前へと詰め寄ると、引き抜いた片手剣の剣柄をその脳天に向けて容赦なく叩きつけた。
「ゴツッ!」
「痛いいいっ――!」
リヴィは悲鳴を上げ、頭を抱えてその場にうずくまった。
空中に集まり、周囲一帯を焦土と化す手前だった膨大な魔力は、術者が物理的に妨害されたことで、一瞬にして萎んだ風船のように霧散していった。
木小屋の中の温度が徐々に正常へと戻っていく。
残されたのは、高温によって外はカリカリ、中はジューシーに焼き上がった魔狼の死体が、未だにジュージューと音を立てている光景だけだった。
ローウェンは淡々と剣を鞘へと収め、振り返って焚き火の傍へと戻る。
彼は未だに地面で頭を抱えてすすり泣いているリヴィを指差し、呆然自失としているリネアに向けて、起伏の全くない声で一言だけ告げた。
「――こういうことだ」
おかしな騒動のせいで綺麗に焼き上がった魔狼を見つめ、それから理不尽に怒られた子供のように泣いている『賢者』を見やったリネアは、ローウェンの心境が痛いほどよく理解できた。




