幕間 その二(前編)災難小隊の日常
「ガタゴト、ガタゴト――」
リヒト大公国の首都を発ってから、すでに半日以上が過ぎていた。
今回の帰路、レウスはあの上質な魔法クッションを備えた二頭立ての客車を用意してくれず、代わりに手配したのは、もともと素材を運ぶための改造された貨物馬車だった。
車内の空間こそ無駄に広かったが、足元の硬い木製車輪が田舎の砂利道を踏みつけるたび、激しい揺れが乗客のお尻へと容赦なく伝わってくる。
馬車のなかで、ローウェンは腕を組み、木製の壁に背を預けて目を閉じていた。車体の揺れに合わせて、その体が小さく揺れる。
そして車内の最奥では、十年のタダ働き契約を結ばされた賢者リヴィが、まるで人見知りの子猫のように、隅っこの干し草の山に縮こまっていた。両膝を抱え、うつろな目で床を見つめている。
じっとしていられない性格のリネアは、退屈そうに頬杖をついていた。
バッグの中のポーションを数え終えると、行き場をなくした好奇心は、自然とこの馬車における唯一の「新鮮な存在」――リヴィへと向けられた。
「ねえ、ちょっと」
リネアはリヴィの目の前までにじり寄り、珍しい魔物でも観察するかのようにまじまじと上下に見つめた。
「ローウェンが、あんたはもう六十歳を過ぎてるって言ってたけど、それってどういうこと? エルフにも見えないし」
リネアの問いかけに、リヴィはびくっと身をすくめ、あまり思い出したくなさそうな様子を見せた。
「こいつが昔、身の程知らずの馬鹿だったからだ」
ずっと目を閉じていたローウェンが、珍しく口を開いた。その声にはわずかな皮肉が混じっている。彼は目を開けることなく、淡々とした声で過去の歴史を語りはじめた。
「こいつは生まれつき異常なほどの魔力と、並ぶ者のない魔法の才能を持っていた。十歳で北方王国の最高魔法学院を首席で卒業し、二十代の頃にはすでに『賢者』の称号を得ていたほどだ」
「二十代で賢者っ!?」
リネアは目を丸くして、隅っこでがたがたと震える少年を見た。
「あまりにも早く頂点に達してしまったせいで、若い頃のこいつは極限まで傲慢だった。この世に自分が扱えない魔法など存在しないと思い込んでいたのさ」
ローウェンに黒歴史を暴露され、リヴィの顔は一瞬で真っ赤になった。彼は頭を膝に埋め、消え入りそうな、後悔に満ちた声でその続きを引き取った。
「あの頃のボクは……普通の魔法じゃ満足できなかったんだ……」
リヴィの声がかすかに震える。
「だから、ボクは隠れて古代の文献を調べて、絶対の禁忌――『時間魔法』に挑もうとしちゃったんだよ」
リネアは息をのんだ。
魔法に詳しくない者であっても、時間に干渉することは神の領域であり、決して触れてはならない禁忌であることくらい知っている。
ローウェンが言葉を繋ぐ。
「結果、時間を操るどころか、逆に時間の逆流を喰らって肉体の時間を巻き戻され、少年の姿のまま永久に固定された。おまけに、時間魔法がもたらした膨大な情報の副作用で脳をやられ、今のような有り様になったってわけだ」
リネアは納得した。
なぜ彼が今このような状態になっているのか。魂をも崩壊させかねない情報の過負荷が、この天才が持っていた本来の自信と胆力を完全に破壊してしまったのだ。残されたのは、永遠に成長しない器と、少し壊れてしまった臆病な頭脳だけだった。
「だから……緊張すると頭が真っ白になって、魔法を乱射しちゃうわけ?」
リネアのリヴィを見る目が、それまでの侮蔑から、ほんの少しの憐れみへと変わった。
リヴィは目尻を赤くしながら、黙ってうなずいた。
「若い頃は無詠唱のスペシャリストだったらしいが、その事故のせいで、今じゃ魔導書を開いて呪文を目視しなければ魔法を発動できなくなっている」
ローウェンが補足する。
馬車のなかは短い沈黙に包まれ、車輪が砂利を踏みつける音だけが響いていた。
「グゥゥゥゥ――」
あまりにも空気をぶち壊す大きな腹の虫が、リヴィのお腹から鳴り響いた。
リヴィは気まずそうにお腹を押さえ、弱々しくローウェンを見た。
「あの……ローウェン……ボクたち、お昼ご飯は何を食べるの?」
リヴィは唾を飲み込み、恐る恐る提案した。
「それとも、ボクが『転移魔法』を使って、首都のレストランにある出来立ての料理を、お皿ごとここに転移させようか――」
「メキッ!」
石のように硬い軍用の干し肉が、空中に綺麗な放物線を描き、リヴィの額へと容赦なく命中した。
「痛いっ!」
リヴィは額を押さえて悲鳴をあげる。
「二度と余計なトラブルを起こすな。レストランごと転移させてしまったら、自分で後始末しろ」
ローウェンは相変わらず目を閉じたまま、一切の猶予もない口調で言い捨てた。
「黙って、その干し肉でも噛んでいろ」
口を閉じたらどうやって食べるのよ、とリネアはツッコミを入れそうになったが、リヴィが涙を浮かべながら樹皮でもかじるように硬い干し肉と必死に格闘している姿を見て、ついに耐えきれず、お腹を抱えて大爆笑した。
冷徹な保護者、素材マニア、そして零落した天才。
歩く厄災のようなこの小隊は、激しく揺れる馬車に揺られながら、賑やかにスタート村への道を突き進んでいくのだった。




