第17話 ハーフエルフの村
翌朝。
コンディションを完全に取り戻したローウェンと、大きな荷物を背負ったリネアは、装備を整えてギルドマスターの執務室へとやって来た。
レウスはすでにデスクの奥に座り、2人を待っていた。
彼はリヒト大公国冒険者ギルドの正式な刻印が押されたクエストの依頼書を、ローウェンの前へと静かに滑らせた。
「クレーターの穴埋め作業と氷玉竜の素材の運搬は、ひとまず一段落したよ」
レウスはいつもの笑みを消し、事務的で真剣な口調に変わる。
「だが、今回の事件の『事後処理』には、最後にして最大の仕事が残っている」
ローウェンはその依頼書を手に取り、内容にサッと目を通した。
「今回の大惨事を引き起こした張本人、『賢者リヴィ』を生け捕りにし、ギルドへ連行して審問にかける」
レウスは両手で指を組み、ローウェンを見つめる。
「このクエスト、キミに任せるよ」
「……了解です」
ローウェンは余計な事は一言も言わず、依頼書を事務的に折りたたむと、革鎧の内ポケットにしまった。
これが予想通りの面倒事である事は、最初から分かっていた。
「それじゃ、さっそく出発ね!」
リネアはやる気満々で、腰の短剣をポンッと叩いた。
「リネアさん」
レウスが突然口を開き、穏やかに笑って言う。
「すまないけど、先にギルド1階の裏庭へ行って、乗る予定の馬車が準備できているか確認してきてくれないかい? ボクはローウェンと2人で、少し話があるんだ」
「え? は、はいっ!」
リネアは少し首を傾げたが、6000年も生きている大先祖様を前にして逆らえるはずもなく、大人しく部屋を駆け出していった。
ドアが閉まり、執務室にはローウェンとレウスの2人だけが残された。
ローウェンは、全てを見透かしたようなレウスの笑顔を見て、たちまち嫌な予感がした。
「……何の用ですか?」
ローウェンは淡々と問いかける。
「大した用じゃないさ」
レウスは椅子の背もたれに体を預け、気楽な口調になる。
「ただ、昨日キミが休んでいる間に、あのお嬢さんにキミの昔の話を少しだけしておいたと伝えたくてね」
ローウェンの顔色が一瞬にして沈み、その瞳にはどうしようもない疲労感と苛立ちが過ぎった。
その反応を見て、レウスの口元の笑みはさらに深くなる。
「そんな顔をしないでおくれ。あのクエスト以来、キミはずっと1人で行動してきたわけだけど……」
レウスの口調には、長老としての期待と気遣いが滲み出ている。
「もう彼女の事を足手まといだと思わない事だ。せっかく相棒になったんだから、もう少し他人を頼りなさい。側に手伝ってくれる人がいた方が、仕事もやりやすいだろう?」
ローウェンは少しの間、沈黙した。
この何千年も生きる古狐が、また勝手にお節介を焼いて、彼が長年築き上げてきた心の壁を壊そうとしているのは痛いほど分かっていた。
彼は反論する事も、礼を言う事もしなかった。
ただ背を向け、ドアノブに手をかける。
「……余計なお世話です」
その不平を言い残し、ローウェンはドアを押し開けて大股で去っていった。
執務室の中で、再び閉ざされた木のドアを見つめながら。
レウスはデスクの上のすっかり冷え切った紅茶を一口飲み、楽しそうに軽く声を上げて笑った。
エルフの森へ向かう道中。
ギルドが特別に手配した馬車が、滑らかに道を駆け抜けていた。
馬車の中で、ローウェンは腕を組み、いつもの鉄仮面のような無表情を崩さずに。
一方、向かいに座るリネアはといえば、落ち着きのないウサギのように体をモジモジと身をよじらせ、目でチラチラとローウェンの方を盗み見ていた。
昨日レウスから、ローウェンの過去である「パーティ全滅」の惨劇を聞いて以来、彼女の好奇心は、まるで隠された箱の中身を覗き込みたくてたまらない猫のように、ウズウズと騒ぎ立てていたのだ。
何度も口を開いて質問しようとしたが、その度にローウェンの人を寄せ付けない顔を見て、言葉を飲み込んでしまうのだった。
「……これ以上ジロジロ見るなら、お前を馬車から蹴り落とすぞ」
ローウェンは目すら開けず、冷たく一言を投げかけた。
リネアはビクッとして慌てて視線を逸らし、誤魔化すようにコホンと2回咳払いをした。
「ゴホン! み、見てなんかいないわよ! あたしはただ、この後森に入るための戦術を考えてただけだもん!」
彼女は仕事を口実にして後ろめたさを隠そうとする。
「いいか、ローウェン。いくらギルドマスターの紹介状があっても、エルフの領域はすごく複雑な構造になってるの。一番外側に私達ハーフエルフが住む村があって、その村を抜けると広大なエルフの森。そして一番奥のコアな部分が、純血エルフの禁足地である『世界樹の森』よ」
ローウェンはようやく目を開け、彼女を見た。
「それで?」
「だから、外部の人間がエルフの森に入るには、絶対に強行突破なんかしちゃダメ。内部から認められたハーフエルフのガイドがどうしても必要なの」
リネアは真剣にルールを説明する。
「じゃないと、森の中に住んでるハーフエルフ達から、無差別の魔法攻撃を食らう事になるわよ」
ローウェンは頷き、理解を示した。
「そのガイドの人選に、心当たりはあるのか?」
「もちろんだわ!」
リネアは自信満々に胸を張る。
「あたしの故郷である『ラビニス』に着いたら、あたしの古い友達に頼むわ。名前はデロイ。森の道にはすごく詳しいから、彼に任せておけば絶対に大丈夫よ!」
半日ほどの馬車の旅を経て、2人はエルフの森の外周にあるハーフエルフの村――ラビニスへとゆっくりと入っていった。
ここの建物は、そのほとんどが巨大な樹木とツルが絡み合ってできており、自然と魔法の息吹に満ちている。
リネアは慣れた足取りでローウェンを連れ、賑やかな木造の市場を抜けながら、顔馴染みの露天商達に情報を聞いて回った。
「デロイかい? あの子なら今日、村の外れにあるエルフの森の入り口の警備に回されてるよ」
果実酒を売るハーフエルフのおばさんが、笑って方向を指差した。
2人はおばさんが教えてくれた道に沿って、村の端までやって来た。
そこには、空高くそびえ立つ2本の大樹が交差してできた天然のアーチがあった。アーチの奥には、底知れぬ薄暗い森が広がっている。
そしてアーチの側にある木造の監視小屋では、革鎧を着たハーフエルフの男が、無防備にも柱に寄りかかり、目を閉じてスースーと軽い寝息を立てていた。
彼こそが、リネアの言う古い友人であるデロイだ。
入り口を厳格に守るべき警備兵が居眠りをしているのを見て、ローウェンは呆れたように小さくため息をついた。
一方、リネアにとっては見慣れた光景だったらしい。彼女は声をかける事もなく、遠慮なしに2、3歩助走をつけると、鮮やかな身のこなしで飛び蹴りを放ち、デロイの頭部にクリーンヒットさせた。
ドゴォォォン!
「ぎゃあああっ!」
バランスを崩したデロイは、椅子もろとも地面に転げ落ち、悲鳴を上げた。
「誰だ! 俺様を闇討ちする命知らずは――!」
デロイは這いつくばって立ち上がり、剣を抜こうとしたが、リネアの底意地の悪い笑顔と目が合った。
「よっ。気持ちよさそうに寝てたわね、デロイ。入り口の警備兵がすでに睡魔に撃破されてるって、村長に報告してあげようか?」
「リ、リネア!?」
デロイは打ちつけたお尻を擦りながら目を丸くした。
「お前、あと100年は村に帰ってこれないはずじゃなかったのか? なんでこんなに早く、尻尾を巻いて逃げ帰ってきたんだよ?」
「誰が逃げ帰ったって!? しかも残りの禁止期間は50年よ! あたしはね、大公国ギルドの正式なクエストで帰ってきたんだから!」
リネアは得意げに腰に手を当てた。
「……挨拶はそこまでだ」
ローウェンは幼馴染みたちの思い出話など無視して一歩前に出た。その冷たいオーラに、デロイは一瞬で口を閉ざした。
「冒険者ギルド、事後処理班のローウェンだ」
ローウェンは短く名乗り、単刀直入に尋ねた。
「俺達はリヴィという危険人物を追っている。最近、奴がここに来なかったか?」
「リヴィ」という名前を聞いた瞬間、デロイのヘラヘラした表情が消え去った。
彼はリネアをちらりと見て、それからローウェンを見て、少し深刻な顔つきになる。
「お前ら、あの厄介者のために来たのか……」
デロイは後頭部をかきむしり、苦笑いしながら言った。
「奴なら、確かに森へ入った。だが、俺達は誰も奴の姿を見ていないんだ」
「どういう意味だ?」
「前日の夜中、月のない暗闇に紛れて、そのリヴィって奴は『最上級の隠蔽魔法』を使ったんだ」
デロイの口調には、悔しさと驚嘆が少し混じっていた。
「奴は自分の姿も魔力の波長も完全に消し去って、外周にいたハーフエルフの警備兵を音もなく全員やり過ごし、おまけに探知結界すら発動させずに、そのまま森へ潜り込みやがった」
リネアは驚いて口をあんぐりと開けた。
「結界も発動しなかったの!? じゃあ、どうやってあいつが入ったって分かったのよ?」
「俺達は全く気付かなかったさ」
デロイはお手上げだというように両手を広げた。
「昨日の朝になって、奥の世界樹の森にいる純血エルフ達が異常な魔力の波長を察知して、外周に向けて『外部からの侵入者あり』っていう警報を出したんだ。それで初めて、村の連中も誰かが潜り込んだって気付いたわけだ」
デロイの報告を聞き、ローウェンは自分のこめかみがジンジンと痛むのを感じた。
魔物を見ればすぐに血が上り、隕石や爆発魔法を乱れ撃つあのバカ賢者が。
追跡を逃れるために、極度の精神力を消耗し、精密な操作を要求される「最上級の隠蔽魔法」を、あろうことか初めて使ったのだ。
「……あのトラブルメーカーのバカは、一体何を考えているんだ?」
完全に姿を消し、底知れない実力を持つ賢者を相手にしなければならない。
このエルフの森での「生け捕りクエスト」は、予想していたよりも数倍の困難を極めそうだった。




