第15話 偽りの平和
冒険者ギルド1階に併設されたレストラン。
ちょうどランチタイムという事もあり、あちこちから冒険者達の騒がしい声が響き渡っていた。
しかし、レストランの一番奥にある大きなテーブルだけは、なんとも異様な雰囲気に包まれている。
「このリゾット、よく味が染み込んでいるね。米に宿る大地のエネルギーを、とても美味しく感じられるよ」
レウスは優雅に木匙を持ち、皿の上のご飯をじっくりと味わいながら、幸せそうな表情を浮かべている。
彼とは対照的に、向かいの席ではリネアが腕を組み、一口も喉を通らない様子で座っていた。そしてもう1人、ローウェンは驚異的なスピードで皿の料理を平らげながらも、顔には一切の感情を浮かべていない。
「ギルドマスター」
リネアはとうとう我慢できずにテーブルを叩き、その翠眼でレウスを睨みつけた。
「魔王軍と氷玉竜の事を教えてくれるって約束したわよね!? なんでそんなに楽しそうにご飯食べてるのよ!」
「食事の時は楽しい気分でいないと。それは食べ物への礼儀というものだよ」
レウスは笑ってスプーンを置き、ナプキンで優雅に口元を拭いた。
そして、彼が軽くパチンと指を鳴らした、その瞬間――。
周囲を包んでいたレストランの騒がしい喧騒が、嘘のようにピタリと消え去った。彼らの座るテーブルの周囲にだけ、外の音を完全に遮断し、中の声も一切漏らさない強固な『防音結界』が展開されたのだ。
突然の静寂にリネアが息を呑む中、レウスは彼女に視線を向ける。その目には、年長者が若者を見るような慈愛の色が少し混じっていた。
「お嬢さん。キミにエルフの血が流れているなら、今の『世界樹の森』が、実は世界樹の本来の場所ではない事は知っているかい?」
リネアは首を振った。
「6000年前、エルフ達は元々さらに北にあるナシア大陸に住んでいた。だが、先代の魔王が大軍を率いて、エルフ達をそこから追い出したんだ。生き残ったエルフ達は世界樹の欠片を持ち出し、西へと逃げた。それが今の世界樹の森であり、そこに再び根を下ろしたんだよ。だからこそ、全てのエルフは魔王軍を不共戴天の敵だと見なしているのさ」
「ろ、6000年!?」
リネアは目を丸くした。
「それってもう神話の時代の話でしょ!? なんでそんなに詳しいのよ?」
「だって僕は、6000年前に母さんを連れて西にやって来たエルフの1人だからね。5000年前には、世界樹の森を出て外の世界に来たんだよ」
レウスは微笑んだ。まるで、なんでもない些細な事を話すかのように。
「僕は森の中での、来る日も来る日も何も食べず何も飲まない生活に飽きてしまってね。だから飛び出して来たんだ。思えば、当時の周りの連中からは変わり者だと言われていたよ」
リネアは息を呑んだ。
目の前にいる、現代的なスーツを着こなすエルフを見て、言葉を失った。
彼女はレウスの事を、せいぜい数百歳くらいだろうと思っていたのだ。まさか目の前に座っているのが、神話の時代から生きる大先祖だとは夢にも思わなかった。
「……昔話はいい。要点をお願いします」
ローウェンは最後の一口を飲み込み、空になった皿を押しやって、無慈悲に話題を現実へと引き戻した。
レウスは軽く笑い、話を続ける。
「今から5000年前。僕が森を出た時、当時の勇者が先代の魔王を撃退し、魔王軍をナシア大陸へと追い返したと聞いた。そしてその大戦の中で、世界樹は勇者を助けるために、強力な魔法生物の群れを創り出した……それが『氷玉竜』の始まりだよ」
「氷玉竜って、元々は魔王軍と戦うために生まれたのね……」
リネアはぽつりと呟いた、
氷玉竜に対する印象が、「レア素材」から一瞬にして「偉大なる先烈」へと変わった瞬間だった。
「大戦の末、先代の魔王は北へ敗走する途中で重傷を負い、命を落とした、だが、彼は死の間際に、まだ幼い現魔王を当時の魔竜将軍ラオ・ルベルに託したんだ。ラオは後に、魔王軍四天王の筆頭にもなった。それからというもの、人類と魔王軍は時折小競り合いを起こしながらも、概ね4800年近くは相対的な平和を保ってきたのさ」
リネアは夢中になって聞いていたが、すぐに眉をひそめた。
「おかしいわ! 村の吟遊詩人達は、『北方王国は数千年にわたり、今もずっと大陸を守り抜いてる』って歌ってるわよ。もし平和だったのが4800年間だけなら……最近の数百年は、平和じゃなかったって事!?」
「……それが、北方王国の上層部や各国の首脳達が、必死に隠蔽している真実というわけです」
ローウェンはテーブルの上のエールを手に取って一口飲み、冷たい口調で話を引き取った。
「およそ100年ほど前。魔王軍四天王の参謀、リベル・デュリンが、どういう方法を使ったのかは分かりませんが、当時の北方王国の国王を暗躍によって裏から操り始めた。操られた国王は極めて残虐な統治を始め、人類の防衛線を内側から崩壊させようとしました」
「だからこそ、当時の『大公リヒト』は毅然として反旗を翻したのさ」
レウスが後を引き継ぐ。
「僕がリヒトに手を貸したのは、魔王軍の参謀が大陸全土に勢力を浸透させるのを食い止めるためだったんだ」
リネアは自分の頭が破裂しそうになるのを感じた。神話時代の因縁、魔王軍の暗躍、そして大公国建国の真の理由。これら世界情勢をひっくり返すほどのとんでもない秘密が、まさかランチタイムに全部暴露されるなんて。
「世間が思い描く平和など、とっくの昔に崩れ去っているのですよ」
ローウェンはジョッキをテーブルに置いた。
「100年以上も前から、水面下で魔王軍は動き続けています。この前の冒険者試験会場での破壊工作も、そして今回も……。今回は、あのような黒い針の魔石を使い、かつて自分達に対抗するために生まれた氷玉竜を操りました。そして、それを生体兵器としてリヒト大公国の首都に投下した。もし、あのリヴィが偶然通りかからなければ……レウス。あなたのギルドも、この国も、おそらく壊滅的な被害を受けていたでしょうね」
レウスは笑みを完全に消し去り、銀色の瞳の中に冷ややかな光を宿した。
「どうやら、100年以上の潜伏期間を経て、魔王軍が再び行動を起こし始めたようですね」
防音結界の外では、レストランの喧騒が今も変わらず続いている。重たい歴史と情報の共有は、ひとまずここで一段落した。




