「記号的人物設計」
──ショートドラマ。
SNSなどのプラットフォームを利用したスマートフォン向けのショートドラマ。
若い世代を中心として広がり、1話3分未満という時間で、場所を問わず楽しむことができる。
スポンサーも大袈裟な舞台装置も要らない。カメラと役者と、届けたいものさえあれば作れる。
再生数に上限はなく、さらに国境もない。
響にとってそれは、ジャンルの名前ではなかった。長年探し続けた──武器の名前だった。
***
「だめよ、こんなんじゃ」
事務所に響の怒声が上がる。
対面の巌は後頭部を掻きながら難しそうに首をひねった。
「もっと分かりやすく。それと1話ごとの引きを重視しなくちゃ。綿密な設定も回りくどい言い回しもいらない。小学生でも理解出来て、止め時が分からなくなるような物語にしなくちゃ」
「うーん。そりゃ舞台のシナリオとは全然別モノだな」
「大丈夫。お父さんならやれるわ」
響の根拠のないエールをどう受け取って良いかわからないまま、巌は再びパソコンに向かった。
「ういーす! 準備運動終わりました」
事務所のドアが開き、汗だくの直哉、悠、つむぎが入ってくる。
事務所に入るなり、悠は転ぶように倒れた。
「おら、新人! これくらいでへばってんじゃねえよ」
そういう直哉も息が荒い。どうやら準備運動と言いつつ、その強度を普段よりも上げているらしい。嫌がらせ、ではなく。悠に対する純粋な対抗意識からくるものだった。唯一、つむぎだけは平気な顔をしていた。
「おお。そしたら基礎の発声練習からやろうか」
巌が”しめた”という顔で立ち上がる。一瞬、響が睨んだが、気付かなかったふりをした。
*
「先生、苦戦してますね」
「ああ、参考にと思っていくつかドラマを見てはみたんだが。感性が古いのかな、物語に入り込む前に、荒ばかりが気になって集中できないんだよ」
「ショートドラマは勢いで見せる、って言いますからね」
悠も劇団一ノ瀬の公演動画を見たが、職人気質で文学的な物語ばかりだった。好みとしては良いのだが、ショートドラマに向いている題材とは思えない。
「悠くんは本をよく読むんだろう? なにかアイデアはないか?」
「……僕も、正直ああいうドラマは分からないです……」
「あの、私……」
つむぎが声を上げた。彼女にしては珍しく、おずおずとした様子だった。
「知り合いに、趣味でネット小説を書いてる子がいるんです。もし、良かったらですけど、いくつか書いてもらってきましょうか?」
「おお、それは助かるよ。そのまま使えなくてもいいんだ。なにか、その、インスピレーションのきっかけになればいいから」
「じゃあ、ちょっと頼んでみます」
そう言うとつむぎは恥ずかしそうに笑った。悠はその表情に違和感を覚えた。どうということはない仕草。それでも、悠の共感能力には、引っかかるものがあった。
*
「え? もう書いてきてくれたのか」
翌日。巌の前にやってきたつむぎは、開口一番に言った。
「はい。何か筆が乗っちゃったらしくて。とりあえず20話分の構想をジャンル別で三つ用意しました」
「ジャンル別? 三つも」
「はい。上司とのワンナイトラブ系と、どろどろ愛憎劇系と、サレ妻の復讐・ざまぁ系の三つです」
「うん。全然わからないや」
「なに? なんの話?」
響が事務所に入ってくる。巌はばつの悪そうな顔でへらへらと笑った。
「いや、実はな……」
響は事情を聞くとつむぎから構想の入ったUSBを受け取った。しばらくの間、無言で読み続けた。マウスの音だけが事務所を支配した。
──そして。
「うん。これよ、こういうのを待ってたの」
響が歓声のような声を上げた。つむぎは嬉しそうに笑った。巌は目を丸くしてその様子を見ていた。
*
「それじゃ、配役を発表します」
事務所には全員が集まっている。悠がエコー・エンタテインメントに所属してから一週間が過ぎようとしていた。
「まずはヒロインはもうつむぎちゃんで決まりね。で、そのヒロインと一夜を過ごす上司役はお父さん。ヒロインの幼馴染の財閥御曹司が直哉くん。そしてヒロインに恋心を抱く義理の弟が悠くん。以上です」
「義理の弟……」
悠は、自分に割り当てられた役名を口の中で転がした。ヒロインに恋心を抱く、純粋で一途な弟。血縁ではない。だからこそ、その思いにけじめをつけることができない。
脳の書庫を、風がそっと吹き抜けた。
——何も、落ちてこなかった。
「……響さん」
「なに?」
「その役、どんな人間ですか」
「明るくて、真っ直ぐで、姉のことが大好きな好青年よ。読めば分かるから、台本渡しておくわね」
台本を受け取った。
ページをめくる。
セリフを目で追う。
(……明るい。真っ直ぐ。姉が大好き)
書庫の風が、もう一度吹いた。今度は少し強く。
——それでも、何も落ちてこなかった。
(これじゃ……芝居ができない)
家に戻ってからも、悠は何度も台本を読んだ。そして脳内の書庫をめぐる。それを延々と繰り返した。いつの間にか、東の空が少しずつ明るくなっていた。
ヒロインは20代のОL。
ある日、同僚に誘われて行った婚活パーティーで、以前勤めていた会社の上司と再会。お互いの恋愛観で意気投合し、お酒の勢いもあって一夜を共にしてしまう。だが彼女には幼馴染で婚約者の御曹司がいた。さらに義弟の歪んだ想いも絡み、秘密と欲望が静かに絡み合っていく──。
弟の人となりが見えてこない。悠が今まで読んできた本の中にも類型がいない。台本を読み込もうにも弟の内面がそもそも描写不足だった。
この少ない情報から人物像を理解し、それを降ろさなければならない。
*
「なに? 台本の作者に会いたいって?」
エコー・エンターテインメント事務所。
「はい。どうしても、この人の人物像が入ってこないんです。弟だけじゃなく、ヒロインの事も聞きたいです」
つむぎは一瞬困ったような顔をした。そして思いついたような表情で。
「メールのやりとりだけなら良いよ。ただ、日中は仕事してるから夜ね。あなたに連絡をいれるよう伝えとくわ」
*
その夜。
悠はアパートの部屋で台本を開いたまま、天井を見ていた。
スマートフォンに、メッセージが届いた。
知らないアドレス。台本の作家からだ。差出人は”Nuts”。たしか英語のスラングで、”頭のおかしいやつ”、といった意味だ。
『台本について聞きたいことがあるとか。何でしょう?』
何の前置きもなしに、Nutsは言う。悠は少し考えてから、返信した。
『台本……というより、登場人物の像が見えてこないんです。もう少し詳しく教えてもらえませんか』
『台本は読んでもらえましたか?』
『読みました。何度も』
正直に書くか、一瞬迷った。
『義理の弟の描写が、薄いんです。明るくて真っ直ぐ、というのは性格の説明であって、人間の描写じゃない。どんな人生を送ってきて、なぜ明るくなったか。何が怖くて、何が悲しくて、それでも笑っているのか。そこが書けていな──』
書きかけて、悠の指が止まった。自分は何様のつもりだろう。”それ”ができないことを他人のせいにしようとしている。
『これ、役に立ちますか? 物語やキャラクターの設定表です』
迷っていると、Nutsからテキストファイルが送られてきた。添付をクリックして開く。
悠は、それを、見て言葉を失った。
「なんだ……これは」
実に、長編小説一冊分。10万字以上の、詳細な設定や登場人物のプロフィールが書かれていた。本編の倍以上の文字数だ。
『これ、なぜ台本に入れなかったんですか?」
素朴な疑問だった。
『こんな設定全部詰め込んだら誰も読まないでしょ?』
『いや、この設定があるから面白いんじゃないですか』
『それは、あなたが読み物として台本を読んでいるから。ショートドラマという媒体を考えなさい。1話3分未満。一人ひとりの登場人物に細かい設定なんて出してたらいつまでたっても物語が進まないでしょ』
たしかに。けれどそれで人物像が視聴者に伝わるのだろうか。
『たとえば、悠くん。あなたが主人公の台本を書くなら、どんな出だしになる?』
自分が主人公。まずは自分の考え方、人生観や価値観といったものを視聴者に植え付ける。となると……。
『石ころには、声がない。感情がない。石ころは、ただそこにある。だが、それを誰にも気づかせない。だから──安全だ………………(以下略)』
『それだけで3分終わるわ!!』
『いや、でもまずは自分のことを理解してもらわないと……』
『何、石ころって。他人の長たらしい独白になんか、誰も興味がないの』
悠は反論の言葉を飲み下した。彼にとってそれは全く未知の価値観だった。だが、納得はできる。
『だからキーワードが必要なの。”真面目”とか”優しい”とか。そのキーワードをもとにあなたが演じればいいの』
『キーワードをもとに演じる?』
『そう。たとえば、”立つ”というなんでもない仕草に”真面目”というキーワードをはめ込む。片足に重心をかけて手を腰に当てるのと、両足均等のバランスで手を前で組む。どっちが真面目そう?』
実際にやってみる。
なるほど、何となく片足に重心を乗せ、腰に手を当てるだけで、鏡に映る自分の姿は、どことなく偉そうに見えた。立つという行為だけでこんなに違うのか。
『……後者ですね』
『でしょ? そういうことよ』
『Nutsさんはお芝居に詳しいんですね』
そう送ったあと、妙に間が空いた。しばらくして、返信がくる。
『こんなの一般常識だから。もう用件は済んだでしょ。明日から本読みが始まるんだから早く寝なさい!』
(……なんで明日からの本読み稽古のこと知ってるんだろう)




