15.母は強し
「これは…捻挫ね。とりあえず、保冷剤を渡しておくからそれで冷やして置いて。腫れが引いたら一応病院へ行った方がいいと思うわ」
そう言って、保健室の先生が保冷剤をタオルで包んだものを渡してくれた。
「はい、分かりました。ありがとうございます」
私は保健室の茶色いソファに腰掛けて、言われた通り足首を冷やす。因みに靴は保健室の外に脱ぎ揃えてあるので、今は靴下だけだ。
転んだ時に汚れてしまったのだろう。白いソックスは一部が砂に塗れて茶色くなってしまっていた。
『………』
トクトクと静かに鳴る心臓の音にさらに緊張を深めながら、私はそうっと靴下をめくる。
ジンジンとした痛みから薄々分かってはいたが、足首は赤く腫れていた。
もらった保冷剤をゆっくりと近づけて当てる。
「いッ…」
たぁぁぁい!!痛い!何これめちゃくちゃ痛いんだけど!?
「転んだ時に安静にせず、無理に立ち上がって走ったそうね?」
「ひぃッ!?」
恐る恐る顔をあげると、先ほどまでは無表情だった保健室の先生が般若のような形相になっていた。
いや、あれは無表情だったんじゃない。
(症状を悪化させた私に対して怒ってたのを顔に出さないようにしてたんだ…!!)
「す、すみませんッ!」
「リレーだったらしいから、天道さんの気持ちも分からなくはないけど…」
僅差だったらしいしね。と、先生は椅子から立ち上がりこちらへと歩いてくる。
そのままバンッ!と勢いよく目の前の机を叩き、カッ!!と目を見開いて言う。
「あなたの体は一つしかないの!それも一生使うのよ!?ちゃんと大事に!しなさい!!」
「は、はいぃぃ…」
びっくりしてオドオドした声しか出なかったけれど、胸の奥がじんわりと暖かくなる。
先生が、私のことを心から心配してくれてるのだと分かるから。
「大体あなた細すぎよ!ちゃんと一日3食食べてしっかり寝てる!?いつも一体何時に寝てるの?ていうか…!(超絶スーパー早口」
「え、えぇっと、うーんと…(パニック」
ど、どれから答えたらいいの〜!?
と、その時。静かながらも凛とした声が横から響いた。
「先生。日陰が戸惑っているし、質問もそれくらいでいいだろ」
「あら…いたの?」
「ずっと目の前にいたが!?」
「あらそう?ごめんなさいね。天道さん、私に助言してくれたボーイフレンドにお礼を言ってあげて?」
何故か先生がニヤニヤしながら言ってきた。
私は足首から玲君の方へと視線を上に移し、お礼を言う。
「ありがとう、玲君」
「別に、大したことじゃない」
玲君はすいっと私から視線を逸らした。
「あらあら〜。素直じゃないわね!」
「口を閉じてくれないか?」
「あらまぁ、神羅君ったら怖ぁい。ね、天道さん?」
「玲君、あまり先生にキツイこと言ったらダメだよ?」
「(これ俺が怒られるのか…)」
「神羅君?へ、ん、じ、は?」
先生が私の肩を掴んで後ろに隠れながら言う。
からかいすぎて玲君が怒るかもしれないと思っているだろうに、それでもニヤニヤとした笑みを崩さないなんて…ブレないなぁ、この先生。
「先生もそのからかうみたいなテンションは控えてもらえると…」
「というか早急に日陰から離れろ」
「何が…"というか早急に日陰から離れろ"だ?」
突然の低い声に、玲君の表情がサッと強張ったのが分かった。
先生はギリギリで気配を察知したのか、気づけば私から手を離している。
「………」
「ふん。無視か?少し見ないうちに随分と偉くなったものだな。えぇ?」
「お、お父さん…!?」
いつの間に…。などと思っていると、お父さんと立ち上がった玲君がバチバチと火花を散らしていた。
そこに、私のお母さんと玲君のお母さんがやってくる。
「あら。これが修羅場ってやつなのかしらね?」
「全く玲ったら…」
保健室が重たい雰囲気に支配される。
「お前が数年前に犯した愚行…よもや忘れたわけではあるまいな?貴様の愚かさのせいでどれだけ娘が傷ついたと思っている!」
お父さんがヒートアップして怒鳴り始めた。こうなってしまえば、私一人では止められない。
「すみませんでした」
玲君は深々と頭を下げた。
「何が、すみませんでした何だ?」
「日陰に振られて、自暴自棄になって…勝気と付き合って日陰をさらに傷つけたこと……です」
「そうだ。その後日陰を見舞いに来たお前に対して言ったこと。そして交わした約束。もちろんまだ覚えているだろう?」
「二度と天道家の敷居を跨がないこと。用がない限り日陰に関わらないこと…」
「そして、日陰と他人のふりをすることだ!そう言ったはずだよなぁ?何故お前が未だに馴れ馴れしく日陰の名を呼ぶんだ!!」
「それは…」
玲君は反論の言葉が見つからないようで、黙って目を伏せた。
「お父さん」
「何だ日陰?」
玲君に向けた態度とは180度変わった優しい声でお父さんが言った。
「玲君は、ちゃんと約束を守ってくれてたよ…体育祭委員に一緒に選ばれた時だって私が話しかけても最初無視してたぐらいだし…」
「無視だと!?」
「落ち着いてあなた。まだ、日陰が話しているでしょう?」
「そうね。ここはお互い理性的に話し合うべきじゃないかしら。感情的に怒鳴ったって何も解決しないと思うわよ?もちろんただ黙ってたって解決しないけれどね」
ね〜、玲?と玲君のお母さんが極寒の視線を向けていた。
『(この空間、怖すぎる…!!)』
「そ、それに!私は名前呼びでもいいと思ってるから!いや、いいって言うか、むしろそっちの方が嬉しいし!」
『う、嬉しい…?』
何故かお父さんと玲君まで動揺していた。
「小僧、被せてくるんじゃない!」
「別に被せてはいない。偶々だ」
「ふふ、面白いわね」
「意外といい空気だったりするのかしら…?」
最早保健室はカオスだった…。
すると、誰かの話し声が聞こえてくる。
全員の話し声が一斉にぴたりと止んだ。
「だ…ら、ボクはこ…だと……」
「へぇ…こ…ところに…し……かっ…」
(この声…?)
少しした後、コンコンとノックの音が聞こえ、ガラッとドアが開けられた。
そこにいたのは…
「歩友ちゃん!」
「と…嘉神か」
シノ君は特にこの様子に驚いた感じもなく、いつも通りのほのぼのとした感じで話し始める。
「やっほ〜ひーちゃん、レイレイ。片付け手伝いに行ったら二人がこっちだって聞いたからさ〜来ちゃった。皆さんお揃いみたいだねぇ」
「日陰、足はどう?」
そこでやっと全員の注意が私の足へと向く。
いつの間にか痛みは引いており、触ると少しの痛みと冷たさを感じた。
「あんま触らない方がいいよ〜ひーちゃん。悪化しちゃうかもしれないから〜」
純粋な心配を向けてくれたシノ君を、何故か歩友ちゃんがジト目で見ていた。
「えっと…お大事に?」
しかしそれも少しのことで、歩友ちゃんからは少し戸惑いがちな言葉をかけてくれた。
(まぁ、こんなに人がいたら気まずいよね…)
むしろいつも通りの笑顔を保っているシノ君がとっても凄いってだけで、自称コミュ障陰キャとことあるごとに言う歩友ちゃんの反応が普通だと思う。
「そ、それじゃあ私はこれで…」
歩友ちゃんはよほど居た堪れなかったらしく、今来たばかりなのにそそくさと帰ってしまいそうだった。
「待て、揣摩」
「今度こそはまたないっ!」
歩友ちゃんはドアに手をかけようとして…
「ボクも待ってほしいな、あゆぽん♪」
その手はドアの取手を掴む前に、シノ君にあっけなく捕まえられた。
「何…?」
諦めたらしく、超ローテーションで歩友ちゃんが振り返った。
「別に大した話じゃないからそう嫌そうにしないでくれ…ただ、揣摩があんなに早く走れたんだなって」
「ボクもそう思ったなぁ…練習の時と違いすぎでしょ〜」
「あ〜…その話ね?いや、今する話ではなくない…?」
「頼む揣摩、10分…いや5分でいい」
「まぁ、5分なら別にちょっとの雑談くらいはいいけど…」
玲君の切羽詰まったような様子に、歩友ちゃんは同情の視線を向けると話し始めた。
「別に練習の時はただ手を抜いてたってだけだよ。別に全力で練習しなければいけないってわけでもないし」
「だが、全力でやらなければ練習にはならないだろう?」
「いやそんなにモチベなかったし…いざとなれば頑張ればいいかなって軽く考えてたからさ…。だから練習に真摯に向き合ってた神羅はすごいと思うよ?最後のも神羅じゃないと出来なかったし、逆転もきっと無理だった」
「それは、ひ、じゃなくて天道が頑張って走ったからだろ」
「別に天道って呼ばなくていいよ玲君…お父さんとお母さんもいるから分かりにくいし」
「いや、だがな…」
お父さんが待ったをかけようとしたが、お母さんが遮る。
「あなた、往生際が悪いわよ。他でもない日陰自身が言っているのに」
「本当に昔っから頑固なところは変わらないわよね…」
「うぐ…仕方ない。許可、しようッ…」
『どれだけ許可したくないのよ…』
お母さんと、玲君のお母さんの呆れたような声が重なる。
「良かったね〜。ひーちゃん、レイレイ」
「て言うか嘉神のひーちゃん呼びは許されるんだな…」
「ボクは別にどの生徒に対しても結構こんな感じだし〜。それに天下の生徒会だからね〜」
シノ君が、ひらひらと手を振りながら言った。
などと話しているといつのまにか時間が経っていたようで、最終下校時刻を伝えるチャイムと放送が軽やかに聞こえた。
本当にどうでもいい話なのですが、保健室のソファってほとんどが茶色な気がしてます。




