第九十六回
上山は岬と話しながらも、人の姿が見えたことで、ほっと安堵していた。究極の問題が解決されたからだ。やはり、北枕だったか…と、上山は岬と他愛もない話をしながら考えていた。自分は、やはり他の者より霊界に近い存在なのだ。そう考えて、上山は一瞬、ゾクッ! っと寒気を覚えた。それって、死にかけているんじゃないか…と。
「課長! どうかされました? なんか顔色が蒼いですが…」
「んっ? いやあ、なんでもないさ。君の思い過ごしだよ、ははは…」
笑って誤魔化したものの、内心では、やはり気が重かった。ただ、ともかく人の姿は見えるようになったのだ。一歩、境界区域の人間界寄りへ戻ったことは確かなんだから…と、上山は自らを慰めることに努めた。駅には当然のように人々が満ちあふれ、社内にも多くの社員が存在していた。昨日のアレは何だったんだろう…と、上山は課員達と朝の挨拶を交わしながら思った。なぜか、過去とまったく変わらない今ある時間が、貴重で幸せなもののように上山には思えた。岬が席へ着き、上山も課長席へと座った。その時、出勤してきた出水が、岬と入れ違いに上山の席へと近づいてきた。
「いやあ、課長…。よかったですよ、ご無事で。昨日は、連絡が取れずに心配してたんですよ」
「そうか、すまなかったな。来てたことは来てたんだが…」
「えっ? なんて、おっしゃいました?」
「んっ? いや、なんでもない…」
「そうですか。まあ、よかったよかった」
出水に云ったところで分かってもらえそうにない、と上山は刹那、思った。というより、誰に云ったところで変人扱いされそうな気がした。
数日が事もなげに過ぎ去り、上山も岬と亜沙美との結婚の祝辞を考えていた関係で、少し霊の発想から遠退いていた。そこへ佃から電話が入った。幸いにも家にいる夜の時間帯で、上山は助かった、と思っていた。多くの課員がいる社内での霊の話は、いささか放し辛かったからだ。




