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第九十四回

 いつもの位置で食べ始めた上山だが、人の気配がないと落ちつかなかった。手早く食べ終え、社内の様子をひと通り調べてみるか…と上山は巡った。彼にぴったり付いている幽霊平林は、少し、だれてきていた。

『どうも、変化がないと人間社会は興味が薄れますね』

「そう云う君だって、最近までは人間だったじゃないか」

『ははは…。そりゃまあ、そうですねえ』

 二人の会話は他愛もなく続いた。結局、その日は、まったく何もなく終わったといってよかった。何もなかったという真の意味は、何も起こらなかったといことではなく、起こるための要因が何もなかった、ということである。

 帰宅した上山は、一杯ひっかけて、早めに眠ることにした。もちろん、南枕で、である。スタンドの灯りを消して両眼を閉じたとき、これで明日の朝、すべてが元に戻ってりゃいいが…と、上山は真に思った。今日の朝方はそうでもなかったものが、こうして一日が経ち、寝る頃になると、かなり心底にこたえていたのである。

 次の朝、鳥のさえずりで目覚めた。鳥が囀るのは昨日の朝と同じで、問題はない。要は人が見えるかどうかだった。見えなければ、上山としては万事休すである。それは他に原因が考えられないからだった。上山は、いつもと同じパターンで朝の行動をしていった。そして、家事をひと通り終え、背広の上着に手を通した。一刻も早く人の姿を見たい…と念じる強い気持が上山の心を支配していた。車が流れる音は窓越しに入ってはいた。だが、上山が期待する人の姿は生憎あいにく、窓からは見えないのだ。道路が上山の家の表通りになっていないためもある。さらに、家前は、いつも人の姿がまばらで、まったく人影を見ない日が普通だったのだ。加えて機械音のみでは人がいるとは断定出来ない。現に、昨日だって、駅へ発着する車輌の音は上山の耳に入っていた。

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