第八十七回
「ああ…。それも今、思えば、そうだったというだけでね」
『今まで寝ておられたってことだけですか?』
「まあ、そういうことだ。昔から、北枕で寝るのは、死んだときだけだって云うからなあ…。他に、コレ、っていうことがないからな。思い当たるのは、この北枕くらいのことだが…」
『なら、そうなんでしょう。結果、課長は今、人々が見えない訳です。…でも、僕の姿は、今までどおり見えるんてすよね?』
「ああ、見えるよ。むしろ、今まで以上に、くっきりと…。まあ、これは冗談だがね」
『茶化さないで下さいよ』
「いや、すまんすまん」
上山は謝る破目になったことを悔いた。
『だったら、今夜まで我慢して下さるっていうのは、どうでしょう?』
「今夜、元の状態で眠りゃ、戻るって寸法か?」
『はい…、たぶん。戻らなきゃ、また考えましょう』
「随分、荒療治だな…。それで今日は会社へ行けばいいのか?」
『僕に訊かれても知りませんよ。課長の思われるままに…』
「それで、あの開閉しては走る無人列車に乗るのかい?」
上山は無人で発着する列車を指さして訊ねた。
『見えないだけで、現に人はいる訳ですから、そうされればいいでしょう』
「…って、君には見えてるのかね?」
『ああ、まだ云ってませんでしたね。僕には、いつものように人の動きは見えてます』
「馬鹿! なぜ、それを早く云わんのだ。だったら悩むこたぁないんだ。私が見えないだけなら、あとから考えるよ」
『はあ、どうもすいません…』
上山は少し怒りぎみにベンチを立ち、そそくさと改札口へ向かった。




