第百十回
「あっ、どうも! 上山でございます…」
「佃の家内でござ~ます。あのう…宅へお越し下さ~ましたのは、初めてでござ~ますわね?」
「えっ? ああ、はい…」
「まあ、立ち話もなんでござ~ますから、お上がりになって下さ~まし…」
夫人はそう云うと、並んで置かれた数足の高級スリッパを手先で品を作って指さした。上山はふたたび夫人に云われるまま靴を脱ぎスリッパに両足を通した。瞬間、滑らかな極上の感触が上山の足先に広がった。上山の家のものとは明らかに数段の違いがあった。上山が夫人に先導されるまま紆余曲折に廊下を進むと、しばらくしてようやく夫人は立ち止まった。そこに広がる部屋は、どうも佃教授が寝ている寝室のように上山には思えた。
夫人はドアを開けると、「さあ、どうぞ…」とだけ云い残し去っていった。上山は部屋へ入り、ドアを閉じた。ベッドには、二度会った佃教授が目を閉じて横たわっていた。
「失礼いたします…」
上山が声をかけたとき、佃教授の両瞼が急にパチリと開いた。寝ていなかったのである。
「ああ…上山さん」
「お加減は、いかがですか?」
「ありがとうございます。もう大丈夫です、本当に…」
佃教授は、ことの他、明るい声で上山に返した。
「いやあ、教授のお加減が悪いと聞きまして、心配しましたよ」
「ははは…、こんなことは、かつてなかったんですがな。鬼の撹乱ってやつですかな」
「それで、どこがお悪いんですか?」
「はあ、それが妙なことに医者にも分からんと…。診立ては同じ大学の友人なんですがね…」
「そうでしたか…」




