8話
「誠に申し訳ありませんでした」
ヴィクターと魔女の娘が深々と頭を下げた。修復明細書を鞄にしまったマーガレットはきょとんとした顔になる。心当たりはまったくなかった。試しに点火したオイルライターの火力は故障する前と遜色ない。フリントホイールを回すと小気味いい音と共に炎が出た。
修復後の魔導具について、マーガレットは再度来店して受け取ることにしていた。すぐに受け取りたかったし、郵送時の万が一を考えてのことだ。
突然の謝罪を受けたのは、ヴィクターの丁寧な修復過程の説明をやっと聞き終えたときだった。簡易なスツールに長く座っていたせいで尻が痛い。正直なところ最後の方の説明はほとんど聞き流していた。
「心無いことを言ってしまいました。呪われた物を直すなんて理解できない、と……」
――嗚呼。そのことか。
「フフッ」
豪放磊落を装ってマーガレットは笑い飛ばした。虚勢だと自覚はしている。
「何のことかと思えば。気にすることはない。むしろ今はそういう方が多数派なのだ。直す必要なんて、ないのだろうな……」
――こんなものに、いつまでも執着するのはみっともない。
修復に持ち込む前、故障した魔法陣を見つめながらマーガレットは考えていた。
――いっそのこと、手放すべきなのではないか。
これを大切に握りしめていても、空っぽなだけだ。
支えだった夫は、もういない。
大切にしたって何の意味も――。
「直らなくいい魔法はありません」
マーガレットは顔を上げる。テーブルに置かれたヴィクターの拳は力んで震えていた。いつの間にか俯いていたことに気がついた。
「描かれていた魔法陣は、地味ですが洗練されたものだった。安価でもなかったはずです。これを贈った人物は、間違いなくあなたを特別に想っていた」
――僕の妻になってください。
声の掠れたヴィクターがゲホゲホとせき込む。
必死な彼の姿が、まだ出会った間もないころの夫と重なった。
結婚をして、逃げるように引っ越して。
眼下に海の見える自宅のバルコニーで、彼が贈ってくれたのだ。
――君は僕よりも愛煙家だから。
特別な魔法をかけておいた、とはにかんで。
安心させるように凪いだ彼の瞳の端に、夜の静かな海岸線が映っている。
――本当は、好きになりたかった。
あなたの好きなものだったら、どんなものでも。
食事も、生活習慣も、趣味も。
あなたの家族だって、好きになりたかった。
あなたと、同じことで、一緒に笑って、喜んで。
そんな日々を願っていた。
――でも、現実は違う。
私たちの結婚は、あなたとあなたの家族を引き裂いた。
どんな陰口も、嫌がらせも、耐えることができた。
でも、あなたとあなたが愛したはずの家族が疎遠になるのは、耐えがたかった。
「手放さないと」
――私は、彼に愛されるべきではなかった。
これを手放したくらいで、赦されるなんて思ってはいないけれど。
赦されることなんて、ないだろうけど。
愛された報いは受けるべきなのだ。
「私が、これを持っていては……っ!」
「あなたこそが、持つべきです」
ヴィクターは断言した。諭すように。慰めるように。
「魔法は祈りだ。あなたは、あなたのために祈る彼からそれを受け取った。あなたにとってそれは、大切な魔導具のはずです」
そう言い切って、ヴィクターは再び臆病な態度に戻った。
マーガレットはさりげなく自分の目許に触れる。涙は落ちていなかった。この歳になって人前で泣けるほど厚顔ではない。それでも目頭はじんと熱くなっていた。
「あなたに修復を頼んでよかった。このライターは誰になんと言われようと、私にとっては大切なものだから」
マーガレットは心から感謝をしながら、年季の入ったライターを懐へ戻した。
(´▽`*)




