9話
支払いを済ませたマーガレットがドレスの裾を翻す。彼女を見送ろうとしたリラはその後ろ姿に違和感を覚えた。
――ん?
見間違いだと思った。自分の目を疑って、もう一度確認する。
――尻尾?
マーガレットの着ているドレスの裾から鞭のように細い尻尾が飛び出していた。尻尾の先は可愛らしいハート型。感情を反映しているのか、ぴょこぴょこと動いている。
「マーガレット……ッ!」
勢いよく入口のドアが開け放たれる。入ってきたのは、小太りの初老の紳士だった。フェドーラ帽に鼻の下を埋める豊かな白髭。濃紺のフロックコート。身なりはいいが、顔面に浮かぶ汗と悲壮感たっぷりの表情でせっかくの気品が台無しだ。
「あ、あの、いらっしゃいませ……」
動揺したリラは何とか定型句を絞り出すが、男は店内には見向きもしない。
その目に映るのは、マーガレットだけだった。彼女の両肩をがっしりと掴む。
「こんなところで何をしているんだ⁉ どれだけ心配したと思って――」
「私のことを散々放っておいてどの口が……それでも私の夫かッ!」
リラは、長閑な昼下がりに突如繰り広げられる光景に唖然とした。
――夫?
夫は、もうこの世にはいないはずじゃ……。
リラの視線にマーガレットが気付く。騒がしくして申し訳ない、と頭を下げた。
「失礼したな。すぐに出ていく」
「えっと……旦那様は亡くなられたのでは……?」
「亡くなったといった覚えはないぞ。この世にいない、とは言ったが」
「それって、同じ意味……」
「いや。私を愛してくれた夫はもうこの世にいない、という意味だ。あのときの夫は必ず日に十回以上は求めてくれた」
――は? 日に十回……?
夫のジェームズはつむじを掻く。恥ずかしそうにしながらも、どこか男児としての威厳が滲み出ていた。
「私の妻は所謂サキュバスでな。妻が言うには……私がその、夫としての務めを果たしていないというのだ」
「その通りだ。片手で数えるくらいで満足いくはずがなかろう」
サキュバス。亜人属に分類される、人間に友好的な種族。尾先がハート型をした細長い尻尾を持つのが特徴で、一般的に羊のような立派な角を持つ。が、近年は人間社会に馴染むため矯めてしまう場合も多い。かつては魔物として扱われた時代もあったが、現代では人間社会に十分溶け込んでいた。特にここマンハッタンという人種の坩堝にあっては。
彼女たちに関して特出すべきは外見的な特徴はもとより、その行動様式にある。基本的には人間と同様の生活を送るが、種族に共通してよく好み人間の男性に対して特に要求するものがあった。
精液である。
――旦那さんの年齢なら、一日一回でも大健闘だよっ!
レフィリルの言っていたことが正しかったと、今さらながらに痛感する。マーガレットは亜人属のサキュバス。魔女だと見破られたわけだ。
「マーガレット、本当にすまなかった。私が不甲斐ないばかりに」
「今さら謝っても遅い」
マーガレットは照れくさそうにして、真剣な夫から目を反らす。冷たい態度をとっても、赤くなった頬が素直になれない彼女の性格を表していた。
ジェームズは両腕を広げて愛おしい妻を強く抱きしめる。マーガレットは初めはあしらいながらも結局は従順にその腕に納まった。
――一体、何を見せられてるんだ……。
「うぅううう……いい話だ……。すれ違う種族違いの愛、それでも最後には結ばれる二人。なんて綺麗な……っ!」
隣にいるヴィクターはいつの間にか大袈裟なほど泣いていた。
――お前は泣くのかよ……。
夫婦は、二人だけの世界で熱く抱きしめ合う。
啜り泣くヴィクター。
茫然とするしかないリラ。
二人の愛の囁きは、もはや止めようがなかった。
「本当に私をまだ愛しているか?」
「無論だ」
「後の穴にも誓えるか?」
「無論だ」
「今夜は覚悟しておけ。干からびるまで搾り取ってやるからな」
「望むところだ。今夜は寝かせないぞ」
「そうか。ぐすっ……すまない。ついスキーン腺が緩んで」
――緩ませないでッ! 緩むのは涙腺だけにしてッ!
火傷しそうなほど熱々な夫婦を前に、リラは引きつった営業スマイルを続けるしかなかった。
(*´▽`*)




