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5話

「ヴィクターさんが寝床を貸していたっていうのは、この娘《こ》のことね」


〈ド・ドラーク〉は午前十時が営業開始時間である。開店の十分ほど前、リラはレフィリルと初めて顔を合わせていた。

 優に7フィート(約2メートル)を越える長身を折り曲げたレフィリルは、リラにぐっと顔を寄せた。リラの存在はヴィクターからすでに聞いていたらしい。ダークエルフ特有のすらりと長い体格と美貌にたじたじになるが、レフィリルはその反応を気にする様子もない。というより、御影石のように硬質な彼女の表情からリラは感情を窺い知ることができなかった。


「よ、よろしくお願いします……」

「少し、失礼するわね」


 顔を寄せたままレフィリルは離れなかった。吐息が掛かるほど顔を密着させる。


「あ、あの……」

「ごめんなさい。もう少しだけ」


 リラは言われるがままじっとしているしかない。友好的というには、品定めでもしているかのようだ。


「うぅーん……な・る・ほ・ど。なーるほどほど」


 思案気に腕を組んだレフィリルは平易な声音で呟いていた。なるほど、と何かに納得するたび長身をくねらせるので迫力がある。そういうことね、とレフィリルは動きを止めた。咥えたパイプを口から離す素振りを見せる。もちろん実際にパイプはない。完全に推理した、ということらしい。


「ヴィクターさんのところに来るくらいだもの。訳ありだとは思ったわ」


 やっと離れるとレフィリルは、今一度リラの頭からつま先まで視線を巡らせた。


「まさか、もう一度魔女に会えるだなんて思ってもみなかったわね」

「なっ!」


 リラは驚いて声を上げる。動揺に呼応して、カウンターの横に置かれていた伝票が跳ねて浮いた。


「やっぱり」


 隠し通せるなら魔女であることは伏せておくつもりだった。リラは未だ魔法・魔術師協会に追われている身である。そうでなくても知られていいことなんかない。ヴィクターも修復士としての守秘義務は守ると、他言しないよう約束してくれた。


「驚かないで。亜人属には魔力に敏感な種族も多いだけよ」


 リラは亜人属にそういう種族がいることを知識としては知っていた。だが実際に会ったのは初めてだ。リラは協会にいる以前から、ほとんど街へ出た経験がなかった。


「人間相手にはまず気が付かれないと思うから安心して」

「だったらいいんですけど……」


 ばさっと伝票が許あった場所に落ちる。


「さて、だいぶ打ち解けたな」


 どこを見てどう判断したらそう見えるのか謎だったが、人間関係の構築に難ありのヴィクターにはそう見えたらしい。安心して任せられる、と胸を撫で下ろした。


「任せるって……どういうことですか?」

「当然、この店だ」

「はっ⁉ 何が当然なんですか? 私何も知りませんよ」

「修復依頼が来たら呼んでくれるだけでいい。冷やかしだったらテキトーにあしらってくれ」

「いやいや。そんな急な……」


 そこまで言って、リラはレフィリルを紹介されたことに納得した。


「あ、レフィリルさんに習えってことですか?」

「いいえ。私は、今日は別のシフトが入っているわ」

「だったら何でここに来てるんですか……?」

「可愛い娘を紹介してくれるっていうんだもの」


 レフィリルは別れの挨拶代わりにリラへ頬擦りすると、そのまま店を出て行った。茫然とするリラ。ヴィクターは作業場へと続くドアの内側へ引っ込もうとしていた。


「じゃ。そういうことで」


 バタンとドアが閉まる。リラはカウンターに独り立ち尽くすしかない。勤務初日のワンオペ業務が堂々と幕を開けた。

 1920年頃。アメリカは世界一の大国になっていた。大陸を鉄道が横断し、都市はどんどん過密化していった。中でもニューヨークは、金融、工業、出版、あらゆる芸術において世界の中心だった。対外貿易の約半分がニューヨークの港を経由する。鉄筋コンクリートのビルが乱立し、この春には完成すれば世界一の高さとなるエンパイア・ステートビルが着工した。灯った電気が摩天楼を作り出し、その間を縫うように自動車が昼夜問わず駆け抜ける。夜になっても明かりが途切れることはない。製造業の急成長は大量生産を生み出し、同時に大量消費社会を実現させていた。

 そんな時代。もはや魔法を必要とする者はいなくなっていた。旧時代的な魔法は価値がないどころか、世間にとっては怪しく、信用できないものの代名詞となっている。

 そういうわけで、勤務初日のリラの不安はまったくの杞憂だった。

〈ド・ドラーク〉には、とにかく来客がない。終日に渡って閑古鳥が鳴いているのは日常茶飯事。修復依頼は郵送でも受け付けていたが、その数もあまりに少なかった。

 手持無沙汰に任せて、リラが本日三回目となる店内掃除に取り掛かろうとしているときだった。

 入口のドアに付けられた鈴がカランと鳴る。表に立ち始めて一週間。リラとっては初めての客だ。


「失礼するぞ」


 現れたのは、一目で高貴と分かるような雰囲気を纏った淑女だった。年齢は六十代くらいだろうか。そうだとしても実年齢よりは若く見える。たっぷりと垂れ下がった亜麻色の髪は宝石のように艶があり、意志の強そうなはっきりとした目鼻立ちは加齢とともに柔和な印象を醸し出していた。

 ドレープの入ったシルクのワンピースドレスは淡いクリーム色。その上にダークグレーのツイードジャケットを羽織っている。スカートの裾に入ったフリルは豪華だが丈は足首ほどで、キャラメル色に染めた牛革のミドルブーツが彼女の利発さを証明していた。

 店の前には、停めた自家用車と待たせている運転手の姿があった。


「いらっしゃいませ」


 少しぎこちない挨拶でリラは彼女を迎える。修復依頼か尋ねると、キャプリーヌを脱いだ彼女は端的に応じた。


「失礼」


 女性はカウンターに立つリラの顔を覗き込んだ。煙草の香りが鼻先を掠める。嫌な予感がした。


「ん? んー……?」


――この展開……なんか、記憶にあるような……。


「驚いた。魔女が商いする店だとは」

「バレてるっ! レフィリルさんの嘘つきっ!」


 人間相手にはまず気づかれない、と宣っていたレフィリルが、リラの脳内で無表情のまま親指を立てていた。

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