3話
ヴィクターの眼光が鋭くなる。
「魔女は身体に魔法陣を持つ。それを消す、あるいは壊せ、と?」
「できると聞きました……最後の魔女――メリダ・ヘムロックの最後の弟子であるあなたなら」
ヴィクターは胸に何かを詰まらせたような反応をした。魔法が蛇蝎のごとく忌避されるご時世に、例え師匠だとしてもその事実はあまり知られたくないものなのだろう。
「誰に聞いたかは知らないが、君くらいの歳の子に同情的で魔法関連に強い人物はひとり知ってる。彼女の入れ知恵か……」
「やっぱり、あなたなら――」
ヴィクターは喜々としたリラを手で遮る。
「期待には沿えない」
「どうしてですか……⁉」
「君はここが何の店なのか理解してないみたいだ」
ヴィクターは一息つくように椅子の背に凭れた。
「〈ド・ドラーク〉は魔導具・魔法陣の修復専門店だ。そして僕はここの修復士兼オーナー。つまり壊すのは専門外だ」
「魔導具の、修復……?」
――魔女でもないのに?
信じがたかった。仮にも魔女であるリラには余計に。だが目にした作業風景を考えるとすぐに否定はできなかった。
「魔女が世界から消えて以降、新たな魔法陣が生み出されることはなくなった。だがかつて魔女が描いた魔法陣の中には、今でも完全には魔力を失わず機能しているものが残っている。それを修復するのが俺の仕事だ」
「でも、ヴィクターさんはどう見ても魔女じゃ……」
「魔法陣は魔女の魔力を内包しているがために機能する。魔力が失われてしまったら二度と魔法は発動しない。ただし、魔法陣が機能しなくなる理由は魔力の消失だけじゃない」
ヴィクターは得意げに指を立てた。
「汚れ、摩耗、紫外線、虫食い、などなどなど。魔法陣が描かれた素材や使用されていた場所、魔法陣を描くために使った顔料なんかによって魔法陣は物理的に劣化していく。それが物理的な現象である限り、劣化に関しては魔法を使えなくても修復できる」
「だったらどうして私の言うことは聞いてもらえないんですか。魔法陣には精通しているはずです。理屈が判っているのなら、直すのも壊すのもできるはずじゃないですか」
リラは食い下がる。ヴィクターは困ったように眉を寄せた。
「魔女になるには悪魔との契約が必要だ。魔女は悪魔によって描かれた魔法陣から魔法を使う能力を得る。悪魔が描いた魔法陣は、魔女が描いた魔法陣とはまったくの別物だよ。それこそ人智を越えた所業だ。人間ごときがどうこうできるものじゃない」
「診てもないのに、どうしてそう言えるんですかっ⁉」
進展しない問答に業を煮やしたリラはブラウスのボタンに指をかけた。そのまま服を脱いでいく。身体を覆っていた布の類はすべて床に脱ぎ捨て、最終的に一糸まとわぬ姿になった。
「診てから判断してください」
悪魔は魔法陣を魔女の全身に描き入れる。リラの場合は、幸い首から上には及んでいなかったが、それ以外の皮膚には細かく契約の証が施されていた。
「露出狂なの……?」
「違いますっ!」
ヴィクターは冷ややかだった。極寒だった。
「話の流れで何で判らないんですか。早く診てください。私だって恥ずかしいんですっ」
依頼する以上、身体の魔法陣を診せることは覚悟していたが、羞恥を感じるかどうかは別の話だ。リラに異性の前で全裸になった経験はない。それも数日前にあったばかりの見ず知らずの異性の前で。
「恥ずかしがる必要はない。俺は君の身体自体には興味がない」
「興味がないのは、それはそれでムカつく……」
慰めたつもりだったのだろうが逆効果だった。リラは項垂れる。
「修復士っていうのはデリカシーがないんですね」
「いや。……とはいえ、魔法陣を描きやすそうな身体だとは思う」
「誰が平面的な身体だとっ⁉」
あまりのノンデリ加減にリラは喧嘩腰になった。両手を突き出してリラを抑え込もうしたヴィクターは解決案を提示する。
「判った。フェアじゃなかった。俺も脱ごう」
「判ってないから! より判らなくなってるから!」
ヴィクターは重い声音で断言する。駄々を捏ねる子どもを叱るように。
「君はまだ魔法のことを何も知らない。俺は魔法を使うことはできないが、魔法のことなら君より知っている」
リラは喉まで出かかった言葉を飲み込む。抑えようのなく湧き上がってくるのは怒りだった。
――魔女でもない人間に、魔法の何が判る……ッ!
この呪いの、何が……。
「君は、魔法を――」
「だから服を脱ぎながら話さないでください!」
徐に手を掛けたワイシャツのボタンはすべて外されている。ヴィクターは袖から手を抜き、半裸になろうとしていた。
「魔法に関することなら、俺はどんな犠牲も厭わない所存だ」
「犠牲者はこっちです! 無意味に裸を見せられる身にもなってください!」
諦めたようにヴィクターは椅子を立った。顎先に手を当て、考え込むようにじっとリラの身体を凝視する。特段断ることもなく、魔法陣に沿って指を滑らした。
「ひぃうぅ……ッ」
リラは驚いて短く声を上げる。ヴィクターは構わずに続けた。
「無言で触らないでくださいっ」
「あぁ。すまない」
生返事で謝罪する。冷めた指先の体温に反して、ヴィクターの手つきは乱暴さとは程遠い。丁寧で割れ物に触れるようだった。リラは、彼がさっきまでと同じ表情になっていることに気づく。机に向かって魔導具を修復していたときの集中している顔だった。
「魔女になるには魔女から契約を引き継がなきゃならない。普通の人は魔女に触れたがりません。引き継がされると思うからです」
「引き継ぐには適した準備と魔法陣が必要だ。それに悪魔は誰とでも契約するわけじゃない。触れたくらいで引き継がれたりはしない」
釈迦に説法か、と冗談めかしてヴィクターは笑った。そのささやかな表情に彼が魔導具の修復士として店を開いている理由が書いてあるようだった。
「変な人ですね」
「それは認める。だが魔法が好きなんだ。幼いころからずっとな」
触れる繊細な指先が、緻密に描かれた魔法陣の縁をなぞっていく。ヴィクターが無言になったせいで、作業部屋には吐息すら響きそうな静寂があった。くすぐったさに耐えてリラが声を押さえていることをヴィクターは知る由もない。
「いや、まさか……」と眉間に皺寄せて呟いたヴィクター。リラは声を抑えているのを誤魔化すように話を続ける。
「それにしても、どうしてヴィクターさんは私には人見知りしなかったんですか?」
今日の店での会話を聞いていたのだ。熱が引いたおかげで歩けるようになったリラが店の方へ行くと、ドアの隙間から店を覗くヴィクターの姿があった。背中越しに見る彼はなかなか不審者で、目に留まらないわけがなかった。
「だって、君は魔導具みたいなものだし」
「生き物としてすら扱われてなかった⁉」
――デリカシーがないどころの話じゃない……!
言い返す気力すら無くなったリラを露ほども気にすることなく、ヴィクターは彼女の魔法陣を興味津々で検分していった。




