2話
その日、マンハッタン島の上空は快晴だった。例年より早く到着した台風は高層ビル群に雨風をぶちまけた後、華麗なタッチ・アンド・ゴーの要領で一夜にして去っていった。
そんな晴天のグレニッチ・ヴィレッジの一角。西十丁目の古書店と薬局屋の間にある小路地を行った先に二階建ての貸店舗がある。
魔導具・魔法陣の修復を専門とする〈ド・ドラーク〉は、今日も店を開けていた。
「本当にありがとうございました」
支払いを済ませた中年の男性客は、会計を処理した亜人属のダークエルフに深々と頭を下げる。
レフィリル・リールは、ダークエルフ特有の儚げな美貌と長身で来客に威圧感を与えないよう柔和な笑みを心掛けたが、男の目には表情の変化を読み取ることはできなかった。感情が表に出ずらいタイプなのだ。人間と話すのは嫌いではなく、むしろ好きだったが、サービス業に向いていない自覚はあった。
艶やかな銀の髪はたっぷりと長く美しいが、外見に無頓着であることを証明するように羽織るトレンチコートには使用感があり全体的にヨレていた。
「恐れ入ります。作業を担当した者に伝えおきますわ」
「あなたがされたのでは?」
「いいえ。作業自体はすべて店主が」
「そうですか。エルフとお見受けしたので、てっきり……」
魔法とエルフが結びつくのは自然な流れだ。偏見ではあるが、人間ではない異界の人種と言う意味で亜人属のエルフたちは魔法と親和性がある。伝説では魔法を持ち込んだのは古代のエルフたちとなっているが、今やエルフはおろかどの種族にも魔女はいない。
「もしその方が奥におられるのでしたら、直接お礼を言うことはできますか?」
レフィリルの立つカウンターの背後には飾り気のない深緑のドアがある。ドアは作業部屋へと繋がっていた。
「ご遠慮いたしますわ。店主は異常にシャイで繊細ですの」
「繊細……ですか?」
「それはもう。思春期のマンボウ並みに」
「輪をかけて前途多難ですな。それでは、私はこれで」
男が出ていくと、店主――ヴィクター・ハーシェルはドアをほんの少しだけ開けると、隙間から客がいないことを確認して店へ出てきた。
ゲルマン系のほっそりとした顔に丸襟の白いワイシャツ。胸元にはビジュー付きのループタイ。瘦せ型だが、長身に猫背のせいで相手に覆い被さるような圧迫感を与える。清潔感がないように見えるのは、彼の人見知りな性格的も去ることながら、上から薄汚れた作業用のエプロンをしているからだった。
二人は店を閉める準備に取り掛かる。時刻は午後七時。閉店の時間だった。
一足先に帰り支度をしてコートを着ていたレフィリルは、軒先に駐車していたVツインエンジンのハーレーダビットソンに飛び乗って店を後にする。
退勤するレフィリルを軒下で見送ったヴィクターは、ショーウィンドのブライドを降ろすと、さっそく作業場に籠った。
外はすっかり夜になっている。作業場の電気は付けず、手元を照らす卓上の白熱電球だけを点けた。部屋には大型の機械と大量の書物が入った本棚が壁に備え付けられている。
ヴィクターはルーペを頭に装着し、中断したままにしていた作業を再開した。向かう机の上には、魔導具を固定する台座にピンセット、ヤスリ、呪物を溶き交ぜた顔料など様々な道具が散乱している。
そんな彼の傍に一匹の精霊が寄ってきていた。精霊は魔力を持つものに惹かれる習性がある。机の上の魔導具に誘われて来たのだ。彼の手元をゆるゆるとした表情で眺めている。
「熱は下がったか?」
ヴィクターは作業をする手を止めずドイツ訛りの英語で話し掛ける。入口のドアを開けたまま立っていたリラは、ぶっきら棒な物言いに驚いてビクッと肩を跳ねさせた。
「……は、はい。ベッドまで貸してくれて、ありがとうございました」
作業に没頭するヴィクターの姿にすっかり見惚れてしまっていた。細く明かりが漏れる部屋で行われるその作業が一体何なのか、リラは理解はしていない。しかし魔女であるリラにはヴィクターの周りで精霊が楽しそうに遊ぶ姿が視えていた。
本来、精霊たちが人間に関わることはほとんどない。意思疎通はできず触れることもできない。当然、魔力を持たないヴィクターに彼らを知覚できるはずもない。
ヴィクターは作業を中断して顔を上げる。装着したルーペを外して机に置いた。驚いた精霊が慌ててリラの横を飛び去っていく。
「君は、自分を魔女だと言ったな」
「はい」
リラがヴィクターの許を訪ねたのは昨夜のことだ。濡れ鼠になっていたリラは、店を訪ねた時点で酷い熱があった。警戒しながら出てきたヴィクターを見ると同時にリラはそのまま倒れ込んだ。目覚めたときには店の二階のベッドに寝かされていた。
「信じられませんか?」
そう簡単に信じてはもらえない。そんなことはリラも判っている。
ヴィクターは首を横に振った。
「信じる」
「信じて、くれるんですか……?」
すんなりと受け入れられて、リラはむしろ拍子抜けする。
「ああ」
「あ、ありがとうございます……」
礼を言うと同時に、ヴィクターは半泣きになった。
「だってぇ……もぉ酷いよぉ君が来てからポルターガイストがぁ……」
「あ、すみません……」
「うぇーーーん……うぉーーーーーーーんっ」
というか、泣いていた。
熱にうなされている間、ヴィクターの周囲では部屋にあるあらゆる物が飛び交っていたらしい。これに関してはリラも平謝りするしかない。背中をさすりながらヴィクターを慰める。幽霊系のホラーが特に苦手のようだった。
ヴィクターは鼻を啜りながら何とか気を取り直す。
「それで、改めて要件を聞かせてくれるか?」
リラは期待に胸が膨らむ。このためにここに来たのだ。
「魔女を、辞めたいんです……!」




