第八話 発酵菌バッカス
穀物たちは、猿たちを支配し、世界を統一することを目指していた。
より多くの領民を獲得し、より広大な領土を手に入れ、いずれは世界の覇権を握る。
それが、彼女たちの生き方だった。
しかし、この世界には、別の生き方を選んだ神々も数多く存在していた。
世界を統一することに興味を持たず、ただ己の望むままに生きる者。
領土を広げるよりも、自らの楽しみを追い求める者。
そんな神々の一人が、今回紹介する男である。
その男の名は、発酵菌バッカス。
その姿は、美麗とは程遠い。
中年太りの体に、ぽっこりと突き出た腹。
どこにでもいそうな、少々だらしないおじさんである。
彼は、いつも穏やかな微笑みを浮かべていた。
その笑顔を見て、悪感情を抱く者は少ない。
たとえ、その瞳の奥が、本当は少しも笑っていなかったとしても。
東アジアの穀物の神、コメ。
その名を思い出したバッカスは、かつて交わしたやり取りを脳裏に浮かべた。
そして、誰にも気づかれぬよう、ひとりほくそ笑むのであった。
「コメ様」
バッカスは、いつもの微笑みを浮かべながら語りかけた。
「ただ炊いて食べる。それだけでは、あなたの魅力を十分に発揮できないと思います」
「……え?」
「あなたの魅力は、そんなものではありません」
コメの表情が、ぱあっと明るくなった。
「やっぱり!?」
「ええ。私はそう思っていました」
「そうなのよねー! 私って、もっとすごい穀物だと思うのよ!」
コメは、すっかり調子に乗っていた。
「でも、どうしたらいいのかな? 炊いて食べる以外って、何があるの?」
バッカスは、ゆっくりとコメに顔を近づけた。
「私は、あなたとなら世界をとれると思っています」
「世界を!?」
「ええ。あなたにだけ、私との素敵な関係を教えてあげましょう」
「…………」
コメは、じりっと後ずさった。
「……えっと、それって、パパ活的な?」
「違います」
バッカスは即答した。
「いや、だって! この絵面でそのセリフは怪しすぎるでしょ!?」
「……まあ、そう思われても仕方ない見た目をしていることは、自覚しています」
「自覚あるんだ!?」
バッカスは、にこにこと微笑んだ。
「ご安心ください。私が教えたいのは、もっと健全で、もっと素晴らしいものです」
「ほ、本当に……?」
「もちろん」
その瞳の奥は、やはり笑っていなかった。
それから数年の月日が流れた。
コメの後ろには、新たな武将が誕生していた。
整った顔立ちに、凛々しい目元。
すらりとした体つきの、まさに美男子である。
彼は静かに頭を下げた。
「私は日本酒。コメ様と発酵菌の力から生まれた、武将です」
「おおおおおっ!!」
コメは目を輝かせた。
「日本酒くん、誕生!!」
しかし、ふとコメは首をかしげた。
「……あれ?」
「どうされました、コメ様?」
「なんで、スシくんも日本酒くんも男性神なの?」
白飯は、腕を組んで考え込んだ。
「確かに……言われてみれば、そうですね」
コメは、うーんと唸った。
「もしかして、何か深い理由があるのかな?」
その問いに、ナレーションが答える。
――作者が、女性ファンを獲得するにはイケメンを出せば簡単だと、安易に考えたからのようです。
「身も蓋もないな!!」
コメは叫んだ。
「まあ、いいわ!」
気を取り直したコメは、日本酒くんの肩をぽんと叩いた。
「これでムギちゃんの領地にも進出して、世界を取っちゃおう!」
「お任せください、コメ様」
日本酒は、爽やかな笑顔で答えた。
コメは満足げに頷いた。
その後ろでは、バッカスが静かに微笑んでいた。
「ふふふ……」
その瞳の奥は、やはり笑っていなかった。
「ムギちゃん! 覚悟しなさい!」
コメは、日本酒を引き連れ、意気揚々とムギのもとへ乗り込んだ。
「日本酒くんの力で、世界を取っちゃうもんねー!」
「……ほう?」
ムギは、いつもの冷静な表情でコメを見つめた。
「ずいぶんと自信満々じゃないか、コメ君」
「ふふーん! 今までの私とは違うんだから!」
コメは胸を張った。
「さあ、日本酒くん! ご挨拶!」
「私は日本酒。コメ様と発酵菌の力から生まれた、武将です」
日本酒が優雅に頭を下げる。
その姿を見て、ムギは小さく頷いた。
「なるほど。君も酒の武将を手に入れたわけか」
「……へ?」
コメは首をかしげた。
「君も?」
すると、ムギの後ろから、一人の美男子が進み出た。
「ビールと申します」
「…………」
コメは固まった。
「…………え?」
「…………」
「な、なんであんたもお酒作ってるのよぉぉぉ!!」
コメの絶叫が響き渡った。
ムギは、やれやれと肩をすくめた。
「それはだな、コメ君。酒というものは――」
「あーーーーーーー!!」
突然、ものすごい叫び声が響いた。
「えっ!?」
一同が振り返る。
そこには、黒髪に眼鏡のトウモロコシが立っていた。
いつもの冷静さはどこへやら、顔を真っ青にしている。
「あーーーーーーー!!」
「いや、何!? どうしたのトウモロコシ!?」
コメが思わず叫び返した。
トウモロコシは、ムギの後ろにいるビールと、コメの隣にいる日本酒を交互に指さした。
「そ、それって……!」
ムギは、静かに目を閉じた。
「……どうやら、説明が必要なようだな」
「説明って何よ!?」
コメの叫びが、再び響き渡った。




