第56話 十五年前の真実
アデラーンとセリーヌは、シルヴァ=ヴェル竜王国を目指し旅を続けていた。
王国から竜王国までは遥か遠い。
徒歩での長旅。
幾度となく野営を重ねながら、険しい山々を越えていく。
夜。
焚き火が静かに揺れていた。
二人は交代で見張りを務める。
この夜は、アデラーンが先に眠っていた。
セリーヌは焚き火へ薪をくべながら、その寝顔を見つめる。
(先生……)
昼間の厳しい表情とは違う。
穏やかな寝顔だった。
(かわいい……)
(食べちゃいたい)
ハッと我に返る。
(違います違います!)
(先生は食べ物じゃありません!)
しばらく葛藤したあと、小さく手を伸ばす。
(ほっぺくらいなら……)
ぷにっ。
(や、柔らかい……)
思わず頬が緩む。
(もう交代しなくても大丈夫です)
(先生はゆっくり眠ってください)
(私が守りますから)
(先生は私がいないと駄目なんですから)
幸せそうに微笑みながら夜空を見上げる。
その時、不意に旅立ちの日のことを思い出した。
『ついでに、既成事実の一つでも作ってきたら?』
リュカの悪戯っぽい笑顔が脳裏をよぎる。
(もう……リュカさんったら)
そう思いながら、もう一度アデラーンへ視線を向ける。
規則正しい寝息。
無防備な寝顔。
(……今の先生、すごく無防備)
一瞬だけ胸が高鳴る。
(……って、な、何考えてるんですか私っ!?)
ぶんぶんと首を横へ振る。
(だめです!)
(先生は私の師匠なんですから!)
そう自分へ言い聞かせるものの、頬の熱はなかなか引いてはくれなかった。
――数日後。
二人はシルヴァ=ヴェル竜王国の玄関口、
翠嶺山へ辿り着く。
深い森に覆われた霊峰。
澄み切った空気の中を歩いていると、一人の青年が声を掛けてきた。
「こんにちは」
翡翠色の瞳を持つ、穏やかな青年だった。
竜族は普段、竜の姿で生活しているわけではない。
人の姿で街を築き、文化を育み、人と変わらぬ暮らしを営んでいる。
また、竜族には古くから絶対の掟があった。
『人間には不可侵、不干渉』
人の争いには決して介入しない。
それが竜族の掟だった。
青年は心配そうに二人を見つめる。
「人の子がこんな山奥まで来るなんて珍しいですね」
「道に迷われましたか?」
「遭難してしまったのでしたら大変です」
「里までお送りしますよ」
その声音には敵意はない。
困っている旅人を放っておけない。
そんな優しさが滲んでいた。
アデラーンは一通の招待状を差し出す。
「現翠竜王殿より招待を受けている」
青年は封蝋を見る。
その瞬間。
表情が凍り付いた。
「……まさか」
アデラーンの顔を見つめる。
やがて、その瞳は悲しみと怒りに染まった。
「貴様が……!」
「レオニス第一王子殿下を討った剣士だな!!」
怒号が山中へ轟く。
青年は眩い翠色の光へ包まれた。
次の瞬間。
そこには巨大な翠竜がいた。
翡翠色の鱗は陽光を浴び、宝石のように美しく輝いている。
「レオニス第一王子殿下の仇!!」
第一王子を誰よりも敬愛していた、一人の竜族だった。
掟を破ってでも仇を討とうとするほどに。
「セリーヌ、下がれ」
アデラーンは静かに黒曜鉄の剣を抜く。
「先生!」
「私も戦います!」
「下がれ!」
巨大な前脚を躱し、黒い斬撃を放つ。
「暗黒」
竜は翼を羽ばたかせるだけで斬撃を逸らした。
間髪入れず踏み込む。
「暗黒剣」
黒曜鉄の剣が竜鱗を斬りつける。
火花が散る。
しかし。
竜鱗には傷一つ付かない。
さらに魔力を高める。
「暗黒魔剣」
これまで数多の強敵を屠ってきた一撃。
それすらも、翡翠色の竜鱗は受け止めた。
「硬い……!」
アデラーンは歯を食いしばる。
(十五年前の翠竜も、これほどの硬さだった)
(まさか……)
青年の言葉が脳裏を過る。
レオニス第一王子殿下。
(もし、この者の言葉が本当なら……)
(あの時、ロラン先生と共に討った魔物化した翠竜は……)
(翠竜王国第一王子だったというのか……!)
一瞬、生じた隙。
翠竜の巨大な尾が唸りを上げた。
ドォンッ!!
アデラーンは防御する間もなく吹き飛ばされる。
地面を何度も転がり、岩へ激突した。
「先生!!」
セリーヌの悲鳴が響く。
アデラーンはゆっくり立ち上がる。
黒曜鉄の剣を構え直し、静かに呟いた。
「……魔神剣しかないか」
その瞬間だった。
「やめてください!!」
セリーヌの悲痛な叫びが山中へ響き渡る。
魔神剣は使わない。
そう約束した日のことが脳裏をよぎる。
それでも、目の前の敵を止めるには他に術がない。
アデラーンが静かに魔力を込めた、その時――。
ピシッ。
刀身へ一本の亀裂が走る。
そして。
パリン……。
十五年間。
師ロランから受け継ぎ、数え切れない戦場を共に駆け抜けてきた黒曜鉄の剣は、その役目を終えるように静かに砕け散った。
「先生!!」
セリーヌの叫びが響く。
戦場が静まり返った、その時――。
「そこまでだ!!」
山全体を震わせる威厳ある声が響き渡る。
一頭の翠竜が、大空から舞い降りた。




