第38話 魔神剣
静かな夜。
食卓には、食後の紅茶が湯気を立てていた。
窓の外では、虫の音が静かに響いている。
セリーヌは、真っ直ぐアデラーンを見つめた。
「先生」
「魔神剣って、どんな奥義なんですか?」
アデラーンは静かに紅茶を口へ運ぶ。
一口飲むと、少しだけ目を閉じた。
まるで遠い昔を思い出すように、ゆっくりと語り始める。
「魔王時代の話だ」
「ローズフィールド王国の南には、シルヴァ=ヴェル竜王国がある」
「竜とは、肉体を持つ有身精霊」
「その肉体は魔素によって構成されている」
「故に、魔素との親和性が極めて高い」
セリーヌは静かに頷いた。
「本来なら、竜が魔物になることはない」
「しかし」
「超高濃度の魔素に長時間さらされれば話は別だ」
「一人の翠竜が魔物化した」
「理性を失い、ローズフィールド王国を蹂躙した」
村は焼かれた。
街は崩れた。
逃げ惑う人々。
多くの命が失われ、王国は絶望に包まれた。
「討伐へ向かったのが」
「師匠と俺だった」
アデラーンの表情がわずかに険しくなる。
「あれは強かった」
「師匠の暗黒魔剣をもってしても決定打にはならなかった」
「暗黒」
「暗黒剣」
「暗黒魔剣」
「そのすべてを使っても倒れなかった」
セリーヌは思わず息を呑む。
「そんな……」
「俺も必死だった」
「だが」
「俺では力が足りなかった」
静かな沈黙が流れる。
やがてアデラーンは、ゆっくりと続けた。
「師匠は決断した」
「魔剣流秘伝」
「魔神剣――決死の陣」
その名が語られた瞬間。
部屋の空気が張り詰める。
「決死の陣は」
「自らの命を代償に放つ」
「魔神の剣」
「大切な者を守るためだけに振るう」
「最後の奥義だ」
ロランは迷わなかった。
己の命よりも。
王国に暮らす人々の未来を選んだ。
天地を覆う漆黒の魔力。
その一閃は、まさに魔神の剣。
魔物化した翠竜を、一刀のもとに両断した。
王国は救われた。
しかし――。
師は、帰ってこなかった。
アデラーンは静かに目を閉じる。
「魔神剣は、一子相伝だ」
セリーヌは目を丸くした。
「一子相伝……?」
「ああ」
「言葉で教える奥義ではない」
「最後の見取り稽古によってのみ継承される」
「師が命を懸けて魔神剣を放つ」
「弟子は、その最後の一太刀を目に焼き付ける」
「それが継承だ」
「師匠も、そうして先代宗家から継承した」
「そして俺も」
「ロラン師匠の最後の一太刀を見届けることで継承した」
「だから魔神剣は、一子相伝なんだ」
セリーヌは胸の前で両手を強く握り締めた。
ようやく理解した。
魔神剣とは、ただ強大な奥義ではない。
歴代宗家が命を懸けて受け継いできた覚悟そのものなのだ。
「……その日」
「俺は魔剣流宗家を継いだ」
部屋には、しばらく静寂だけが流れた。
セリーヌの瞳には、いつしか涙が浮かんでいる。
「先生……」
重くなった空気を和らげようとしたのだろう。
アデラーンは少しだけ笑って言った。
「まあ」
「いずれお前にも見せる日が来るかもしれんな」
「もちろん冗談だ」
その瞬間だった。
「……いやです」
震える声が漏れる。
「先生が死んじゃうじゃないですか……!」
涙がぽろぽろと零れ落ちる。
「先生までいなくなったら……」
「そんなの嫌です……!」
「いやですぅ……!」
幼い日の記憶が蘇る。
両親を失った、あの日。
一人ぼっちになった、あの日。
そして今。
ようやく出会えた。
世界で一番尊敬する。
世界で一番大好きな先生。
その先生まで失うことなど、考えたくもなかった。
アデラーンは目を見開く。
(しまった……)
(あいつは両親を亡くしている)
(そんな相手に軽々しく言う話じゃなかった)
静かに立ち上がる。
そして、セリーヌの頭へそっと手を置いた。
「すまん」
「そんなつもりで言ったんじゃない」
優しく頭を撫でる。
「安心しろ」
「俺は簡単には死なん」
セリーヌは涙で濡れた瞳を向ける。
「……約束してください」
「ああ」
「約束だ」
その言葉を聞いた瞬間。
セリーヌは堪え切れず、アデラーンへぎゅっと抱きついた。
「先生ぇ……」
アデラーンは少し困ったように笑う。
だが、その小さな身体を拒むことはしなかった。
優しく。
ゆっくりと。
大切なものを慈しむように、その背中を撫で続ける。
(もう二度と)
(この子に、大切な人を失う悲しみを背負わせたくない)
胸の内で静かに誓いながら。
窓の外では、夜風が木々を優しく揺らしていた。
その夜。
二人の師弟の絆は、これまで以上に深く、そして強く結ばれたのであった。




