第10話 引退
翌朝。
セリーヌは王都ローズガーデン冒険者ギルドを訪れていた。
何年も通い続けた見慣れた建物。
今日も朝から多くの冒険者たちで賑わっている。
依頼掲示板の前では、新たな依頼を吟味する者。
受付では、依頼達成の報告をする者。
酒場では仲間と次の依頼を語り合う者。
いつもと変わらない朝だった。
セリーヌが中へ入ると、自然と視線が集まる。
「あっ、セリーヌさんだ」
「金ランクのセリーヌさんじゃないか」
「昨日も高難度依頼を終わらせたって聞いたぞ」
尊敬と憧れの混じった声があちこちから聞こえてくる。
しかし、セリーヌは足を止めることなく受付へ向かった。
受付嬢が笑顔で迎える。
「おはようございます、セリーヌさん」
「本日はどの依頼を受けられますか」
セリーヌは静かに首を横へ振る。
「今日は依頼ではありません」
そう言って、ギルドカードを差し出した。
受付嬢は不思議そうな表情を浮かべる。
「それでは、依頼達成のご報告でしょうか」
「いいえ」
セリーヌはまっすぐ受付嬢を見つめた。
「冒険者を引退します」
その一言で、ギルド内の空気が止まる。
「……え?」
受付嬢の手が止まった。
周囲の冒険者たちも一斉に振り返る。
「引退だって?」
「金ランクが?」
「まだ二十代だろ?」
「何があったんだ?」
ざわめきが広がる。
それも当然だった。
金ランクは王国でも数えるほどしか存在しない。
その上にはミスリル、オリハルコン、アダマンタイトの各ランクが存在するものの、到達できる者は世界でもごくわずか。
セリーヌは、その高みすら目指せると期待されていた冒険者だった。
受付嬢は戸惑いながら尋ねる。
「本当に……よろしいのですか」
「セリーヌさんなら、まだまだ上を目指せるはずです」
セリーヌは穏やかに微笑んだ。
「私には、帰る場所があります」
「そして、支えたい人がいます」
その瞳に迷いはなかった。
受付嬢は静かに息を吐く。
もう引き止めても、その決意は揺るがない。
「……承知いたしました」
「これまで王都ローズガーデン冒険者ギルドへ多大な貢献をいただき、本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる受付嬢。
セリーヌもまた、丁寧に頭を下げた。
「こちらこそ、お世話になりました」
こうして、一人の金ランク冒険者が静かに第一線を退いた。
ギルドを後にしたセリーヌは、そのまま市場へ向かう。
保存食。
調味料。
生活用品。
裁縫道具。
薬草。
必要な物を一つひとつ買い揃えていく。
それは冒険の支度ではない。
大切な人と暮らすための支度だった。
先生は昔から、自分のことはいつも後回しだった。
稽古に夢中になれば食事を忘れる。
道場の修繕も、一人で黙々とこなしてしまう。
誰かを守ることばかり考えて、自分を顧みない。
だから今度は、自分が支えたい。
荷物をまとめ終えたセリーヌは、王都の門をくぐる。
目指すのは、故郷ベルフォン村。
胸に抱く想いは、ただ一つ。
「先生……」
「待っていてください」
「今度は、私が先生を支える番だ」
朝の風が優しく吹き抜ける。
セリーヌは微笑みながら、一歩、また一歩と故郷への道を歩き始めた。




