第4話:聖女の査察:サステナブルな奇跡
「――これは、主への冒涜です。ただちに停止しなさい」
王都に張り巡らされた送電網のハブとなる広場で、凛とした、しかし氷のように冷たい声が響いた。広場を埋めていた市民たちが、一瞬で静まり返る。
声の主は、隣国『聖教国ルミナス』から派遣された特使、聖女セレスティア。彼女が風力発電機の前に立った瞬間、そこだけ周囲の澱んだ空気とは無縁の、清廉な結界が張られたかのような錯覚に陥った。
何より目を引くのは、その白金の髪だ。腰まで届くほどの長さがあり、月の光をそのまま糸にして織り上げたかのように、微かに自ら発光している。それは、この世界の灰色の空から降る「魔粉」に汚されることを拒むかのように、一房たりとも乱れることなく、完璧な直線を保っていた。
その髪に縁取られた顔立ちは、陶器のように滑らかで、血色が感じられないほどに白い。
そして、その瞳は、底なしのアイスブルー。感情の揺らぎが一切見えず、見つめられた者は、自分の魂まで見透かされ、凍りつかされるような錯覚を覚える。それは「慈愛」よりも、「峻烈な正義」を体現した瞳だった。
彼女は、ただそこに立っているだけで、周囲の人間を「跪くべき存在」と「裁かれるべき存在」に峻別する、圧倒的な威圧感を放っていた。
「……セレスティア様、お待ちください!」エルナが前に出る。「これは邪法などではありません。健太様は、枯渇しつつあるマナを守るために、新しい力を……」
セレスティアは、冷徹なアイスブルーの瞳をエルナに向けた。
「マナが枯渇しているのは、人々の信仰が足りないからです。祈りなさい。そうすれば奇跡は再び満ちる。それを、このような不浄な装置で代用するなど……」
彼女が杖を掲げると、その先端のクリスタルに、凄まじい純白の光が宿った。
「主の名において、この歪な文明の残滓を浄化します」
「おい、ちょっと待て!」
俺は彼女の前に割り込んだ。
彼女の放つ神聖なオーラに対抗するように、作業着のポケットから、予備の蓄電池を二つ取り出し、腰のベルトに装着する。
「信仰で腹が膨れるなら苦労はしません。あんたの言う『奇跡』ってのは、具体的にどれくらいの出力が出るんだ? この街の10万人の生活を、あんた一人の祈りで維持できるのか?」
「……数値? 出力? 何を言っているのですか。奇跡とは数値化できるものではありません」
セレスティアは、俺の言葉を理解できない「下俗な独り言」として切り捨てた。
「だろうな。でも、俺たちの『科学』は計算ができる。エルナ様、例の『比較実験セット』を持ってきてくれ」
俺は広場の中心に、二つの等しい大きさの鉄の鍋を用意させた。
中には同じ量の水が入っている。
「聖女様。あんたの『奇跡の魔法』と、俺の『不浄な電気』、どっちが効率よくこの水を沸騰させられるか勝負しましょう。もし俺が負けたら、この風車を全部ぶっ壊して、俺もこの国から出ていく」
「健太様!?」エルナが驚愕する。
「その代わり、俺が勝ったら、この『アンチ魔法法案』を聖教国としても認めてもらう。どうです?」
セレスティアは、嘲笑うかのように、白金の髪を揺らした。
「いいでしょう。神の奇跡が、人の小細工に遅れを取るはずがありません」
実験が始まった。
セレスティアが鍋に手をかざし、呪文を唱える。彼女のプラチナブロンドの髪が、魔力の高まりによってさらに輝きを増す。鍋に眩い光が放たれ、水が激しく振動し始めた。さすがは聖女、凄まじい魔力だ。ものの数分で湯気が上がり始める。
一方で俺は、蓄電池に繋がった「投げ込み式ヒーター」をもう一つの鍋に入れただけだ。
「……勝負あったようですね。私の勝ちです。魔法の火はすでに沸騰の兆しを見せている」
確かに、彼女の鍋はボコボコと泡立ち始めた。魔法の瞬間的なエネルギー出力は凄まじい。
だが、俺は時計(を模して作った日時計と砂時計のハイブリッド)をじっと見つめていた。
「いや、勝負はここからだ。……エルナ様、あっちを見て」
セレスティアの、完璧な陶器のような顔から、余裕が消えた。
彼女の放つ魔法の光が、目に見えて弱まっていく。彼女の肩が激しく上下し、脂汗が浮かんで、蒼氷石の刺繍が刻まれた法衣を濡らし始めた。
「くっ……、なぜ……。マナが……マナが集まらない……!?」
「当たり前だ。このエリアのマナはすでに枯渇しかけてる。あんたが『奇跡』を起こしようとすればするほど、周囲の希薄なマナを無理やり吸い上げなきゃならない。それは、底をつきかけた井戸から泥水を啜るようなもんだ」
対して、俺のヒーターは、一定の温度でジワジワと水を温め続けている。
そしてついに、俺の鍋が勢いよく沸騰した。セレスティアの鍋は、結局、完全に沸騰する手前で、彼女の魔力が尽きて光が消えてしまった。
「……なぜ……。主は、私を見捨てられたのですか……?」
膝をつくセレスティアに、俺は温かいココア(この世界にある似たような木の実で作ったもの)を差し出した。もちろん、電気で沸かしたお湯で作ったやつだ。
「主が見捨てたんじゃない。あんたたちが主のくれた資源を使いすぎたんだよ」
俺は、呆然とする彼女に語りかけた。
「魔法は確かに素晴らしい。でも、それは『特別な誰か』が『特別な時』に使うための切り札であるべきだ。毎日の煮炊きや街灯にまで魔法を使ってたら、世界が持病を起こすのは当然だろう?」
俺は風車を見上げた。
「これは魔法を否定するものじゃない。魔法という『奇跡』を温存するために、日常を『理屈(科学)』で支えようっていう提案なんだ。これを俺の世界では『エネルギーのポートフォリオ管理』って言うんだが……まあ、難しい話はやめよう」
セレスティアは、震える手でココアを受け取った。
一口飲む。温かさが、彼女の疲弊した体に染み渡っていく。
「……温かい。魔法の熱とは、何かが違う。もっと……穏やかで、持続的な……」
「それがサステナブルな熱ですよ、聖女様」
その日の夕暮れ。
セレスティアは、すぐには法案を認めなかったが、「調査の継続」を理由に、聖騎士たちの撤収を命じた。
「佐々木健太。あなたのやり方は、やはり理解に苦しみます。ですが……この飲み物の温かさが、人々の祈りを助けることもあるのかもしれない。それだけは、認めておきましょう」
彼女は去り際、一度だけ振り返って俺を見た。その瞳には、先ほどまでの拒絶ではなく、奇妙な好奇心が宿っていた。
「……助かりました、健太様。あそこで負けていたら、本当にすべてが終わるところでした」
エルナが安堵の息を漏らす。
「まあ、ハッタリも仕事のうちだからな。でもエルナ様、問題はここからだ。聖教国が引いたってことは、あいつらが動き出す」
俺は、セレスティアが去った方向とは逆――王都の地下へと続く、古びた水路の入り口を見つめた。
そこには、魔粉獣を操っていたあの『赤い結晶』の反応が、微かに、だが確実に増幅していた。
「宗教の次は、テロリズムか。異世界も現代も、やることは変わらないな」
俺は、設計図の次のページをめくった。
そこには、平和的なインフラ設備とは一線を画す、無骨な「防衛用ドローン」の文字が並んでいた。




