狂気
そんなオレが、生涯をかけて夢中になった作品。
一つが、カラヴァッジョの『キリストの埋葬』。
そして、もう一つ、どハマりしたのが――ミケランジェロによるサン・ピエトロ大聖堂の『ピエタ』である。
圧倒的なリアリティ。
マニエリスムの萌芽ともいえる、不自然な体勢と体格などの芸術的歪曲がありながら――いやむしろそれがあるからこそ、動き出さない方がおかしく思えるほどの生が、そこにあるように感じた。
ピエタとは、慈悲だとか、憐れみを意味するイタリア語。
だけど、他にも復活だとか、赦しを意味するとも言われている。
あの石像は、二度の損壊という悲劇に見舞われた後も、大規模な修復を経て復活している。
まさに、復活を体現したんだ。
この彫刻が、冷たく硬い大理石でできているからこそ、マリアの表情の「赦し」と「受容」の穏やかさが際立つのだ。
そして、この二つの作品は……今もたくさんの人々の畏敬を集めて、愛されている。
それは、作品が永遠となったことを意味するように思う。
作家本人が死んでも、永遠に残る物。
それが、芸術なんだと気付いてからはさらにのめり込んだ。
オレが消えても、残る物。
永遠に語り継がれる、そんな物を残して、逝きたい。
『ピエタ』に憧れ、『キリストの埋葬』に畏れを抱き。
永遠への執着。
それは、オレが救えなかった「あの人」への償いと――マスターが帰るはずの場所を守るために、存在を切り捨てている自分の唯一の証明になっていた。
実は、狂気の画家カラヴァッジョだけじゃない。ミケランジェロも激情家として知られている。
永遠に語り継がれる物を作るには、狂気が必要なんだと思う。
かと言って、別に本当に狂いたい訳じゃない。
だから、まずは自分を極限状態に追い込むことにした。
寝ない、食べない。
そうしたら、感覚が研ぎ澄まされたように感じて……あぁ、これが狂気か、と嬉しくなった。
それからは、食事や睡眠は、永遠を求める芸術家の敵だと思うようになっていった。
だから、作品に向かう時にはギリギリまで眠る時間を削り、食事をやめた。
空腹は、身体から余分なものをそぎ落とし、感覚を鋭敏にする。
睡眠不足は、現実と非現実の境目を曖昧にし、常識の檻から精神を解放する。
そしたら、キャンバスに走る線が、踊り出すように見えた。
チーフに任命され、オレが一人で店を回すようになった後。
食費を削っても平気なのは、こうやっていつも食事を抜くことに慣れてるってのもデカい。
今のオレの身体は、芸術と、師の店を守るために切り売りされている。
どうせ消える存在なら、その身を賭して、永遠に価値のあるものを残すべきだ。
この一年以上、まともに絵を描く時間も取れなかった。
百瀬くんが店に来てくれたお陰で、またこうして作品に向き合う時間が作れるようになったんだ。
本当に、横山マスターにも、百瀬くんにも感謝しなきゃいけないな。
今度、Yに行く時には菓子折りでも持って行こうかな。
菓子折りって、いくらくらいするんだろ。
三日くらい食べなければ買えるかな。




