パンペロのホットバタードラム
そのまま、しばらく立ち尽くした後――ふと我に返って店の中へと戻る。
店内の空気は外とは違って、確かな温もりを感じた。
そこで初めて、いつの間にか身体が冷え切っていたことに気付く。
「ごめんごめん、つい話し込んじゃったよ。」
もう、店内にはお客様も残っていない。
さっきまでの笑い声が嘘みたいに静まり返って、有線が名残惜しそうに流すナット・キング・コールの『Smile』と、百瀬くんが洗い物をする水音だけが響いていた。
「お疲れ様でした、寒かったでしょう! 風邪ひきますよ? ちょっと温かいものでも飲んで休憩しませんか?」
「ありがとう。そうだね、ホットバタードラムにでもしようかな? せっかくならパンペロで。」
百瀬くんの練習にもなる。
お客様がいらっしゃらない時に何かを作らせてオレが飲む、というのはここ最近の日課だ。
間もなく電子レンジのチン、という音がして、湯気を立てる耐熱グラスを手に、百瀬くんが戻ってくる。
バターと、極上のダークラムのシナモンやチョコレートを思わせる甘い香りが、湯気に乗って鼻腔を満たす。
口に含むと、パンペロ・アニバサリオの重厚な甘さと芳醇な味わいが口の中に広がる。
ダークラムということで、出る機会は少ない。
それでも、ラムの中ではこのパンペロが一番好きだ。
たっぷりと口の中で味わった後、胃の中に落とし込む。
食道を通り過ぎる温かい液体は、今どこにあるかがハッキリ自覚できるほどだった。
胃の形が、その温もりで浮き上がってくる。
じんわりと、身体の中から温まるのを感じた。
「ありがとう、美味しいよ。いやぁ、温まるね。」
「ホントに夜が遅くなると寒いですよね、帰る時はかなりキツいですもん。……でもラムって面白いですねぇ、ホワイトとダークでこんなにまったく違う顔を見せるのに。それでも同じラムとして分類されるんですから。」
「そうだね。熟成されたラムがダーク、とされるけど、このパンペロ・アニバサリオは確か……。アメリカン・オークの樽で六年だったかな。お酒の熟成についてもバーテンダーは知っておかないといけないし、覚えることはたくさんあるからね。」
「ホントに覚えることがたくさんあって、学生の頃よりも勉強してる気がしますよ。チーフは本当にすごいですよね、お酒の知識も。その勉強と並行して、大学にも通ってるんですから。」
百瀬くんの何気ない褒め言葉に、小さく胸の疼きを覚える。
百瀬くんが来るまで、大学には通う時間もほとんど取れずにいた。
考え込むように押し黙るオレを見て、少し気まずそうな表情を浮かべる。
気を使わせてしまったかな。
「いや、そんなことないよ。なんせこの仕事が楽しすぎて、大学サボってばっかりいたせいで、留年しちゃったくらいだからね。」
わざと何でもないことのように、明るい声で誤魔化す。
「うん、少し早いけど。さっきも外に人影もないし、今日はこのまま終わりかな? よし、これを飲んだら今日は閉めようか。」
無理矢理に話を変えて、少し早いけど今日の閉店を決める。
「そうですね! チーフは明日も学校ですか?」
ケホッ
また、咳が出た。
「うん、この時間に帰れば、一休みしても一限は間に合いそうだし。レジは明日やるから、閉めだけお願いしても良いかな? ちょっと疲れてるみたいで。」
「チーフ、顔色悪いっすよ……。本当に大丈夫ですか?」
「うん、ちょっと寝不足かな。百瀬くん、ありがとう。」
「大丈夫ですよ! あとは任せて、今日はゆっくり休んでください!」
本当に、百瀬くんがいてくれて助かる。
今日は帰ったらゆっくり眠ろう。
耐熱グラスには、まだダークラムの濃い色合いが残っていた。
ダウンライトに照らされて、カウンターに短く、暗い影を落としている。
視界の端で、ドアが歪んでいる気がした。




