弾む商談
ちょうどその時。
蝶番がギギギ、と重く軋む音が響いた。根津様だ。
「「いらっしゃいませ。」」
「ああ、今日もお邪魔するよ。と、おお、安永君! 久しぶりだね!」
「あれ、根津さん! こんばんは、良かった! ちょうど話があったんですよ!」
百瀬くんがコートをお預かりする。
おしぼりを持ちながら、安永様の隣の席をご用意する。
「もしかして、ホテルの件かい?」
「ええ、駅前に今建ててるあのホテル。あそこも、根津さんとこなんですって?」
「耳が早いね。まあ、それなら話も早いな。また、頼んで良いかな。」
「ホントですか!? いや、言ってみるもんだな! よし、今日は接待で落としちゃいますから、私に持たせてくださいよ!」
「ハハハッ、じゃあ今日は甘えさせていただくとするかな。あぁ、いつもので頼むよ。」
「かしこまりました。」
根津様はここ最近、一杯目は必ずギムレットだ。ロックグラスに丸氷を入れ、準備をする。
よくわからないが、何かの契約が決まったのだろう。お店ではたまにあることだ。
店がお客様同士の縁を繋いだ、ということに、小さな誇りを感じる。
おっと、根津様の一杯目にはチェイサーも必要なんだった。
いかんいかん、最近抜けてきてる気がするな。気を引き締めないと。
タンブラーグラスを取り出して、角氷を入れる。
せっかくなら今の、この契約の話が弾むように、お祝いの意味を込めたいな。
今日は少しだけ、変わり種のギムレットにしてみよう。
ギムレットという味わいを大きく逸脱しないように……良し。
すり鉢を用意して、ブラウンシュガーを細かく砕く。
ジンは主張を抑えてボンベイ・サファイアを軸に据える、40ml。
ライムをフレッシュで20ml、ローズのコーディアルを1tsp。
先程のブラウンシュガーをほんのひと摘み。
シェーカーの中にバースプーンを入れかき混ぜ、手の甲に一滴落として舐める。
もう少しだけ華やかさが欲しいな。
シトロンジュネヴァを1dash――今度の味はイメージ通りだ。
左肩前に構えて、今度はすぐに音が途切れて世界から断絶される。ノイズは聞こえない。
フワリと軽く、柔らかくシェーカーの前後運動が始まる。軽やかな音が、祝福のキャロルだ。
シェーカーの振動が指先に完成を伝える――スローダウン。
キャップを外す、ちょっと固いな……空気を抜きすぎたかな。
おかしいな、いつもはこんなことないのに。
幸い、少し叩いただけですぐに外れてくれた。
ロックグラスに注ぐ。
カシャ、と小さく控え目な音を立てながらシェーカーを傾ける。
丸氷の上を滑るように、その液体がグラスを満たしていく。
フレークが僅かにまろび出て、踊るように液面へと滑り落ちていった。
カン! という甲高い音を立ててシェーカーを回転させ、横に置く。
ロックグラスをコースターの上に、音を立てないように静かに置く。
「ギムレットです。どうぞ。」
「ありがとう、それでは安永君、乾杯しようか。」
「はい! 乾杯!」
「乾杯!」
チン、とグラスのぶつかる高い音が響く。
今日のギムレットを口にした根津様が、驚愕に目を見開く。
「これは……随分と軽やかだな! それでいて奥行きがあるようにも感じる――ジンの個性的な香りも、洗練されているような……。いや待てよ、すぐに答えは言わないでくれ、当ててみせる!」
「かしこまりました。」
トニックウォーターの蓋を開け、タンブラーグラスに注ぎライムピールを振り掛けながら、小さく笑って答える。
根津様は最近はいつもこうだ。少し手を加えたギムレットを、自分で当ててみたいのだという。
チェイサーをお出しした後も少し考えた後、ベースがボンベイであること、シトロンジュネヴァまでは言い当てたが、もう一つが……とついに降参された。
ブラウンシュガーですよ、とお見せしたら驚いていた。砂糖の種類までは盲点だったらしい。
その後も安永様と根津様の商談は、笑い声と共に続いていた。




