日常に混ざる違和感
「よっ、チーフ!」
「安永様。いらっしゃいませ。」
蝶番を軋ませながら、重いドアを開け安永様が店に滑り込んでくる。
来客も一巡し、ちょうど落ち着いてきたタイミングだった。
「百瀬くんも、今日もよろしく!」
「安永様、いらっしゃいませ!」
百瀬くんも、コートをお預かりしながら気持ちの良い挨拶を返す。
いいなぁ、これが若さか。
いや、オレの方が若いんだけどね。
「じゃあ、早速だけど一杯いただこうかな。あれ、どうしたの? チーフ?」
「いや……百瀬くんを見てたら、その。若いなぁ、って。」
「ちょ、チーフの方が若いじゃないですか!」
「まあ、とてもそうは見えないけどね!」
安永様はそう言って、愉快そうに笑いながら、おしぼりで手を拭う。
反論しようかと思った、その時だった。
視線がオレの顔を見て、止まる。なんだ? 後ろめたいことは――ある。
安永様の視線は、先程帳簿を片付けた辺りを彷徨う。
……慌てて仕舞ったとはいえ、何か仕舞い忘れたものは無いはずだ。
その視線がもう一度、オレの視線とぶつかる。ひとつ、ふぅ、と息を吐いてから、その目が細くなる。
「チーフ、大丈夫か? 無理、してないか?」
安永様は"あの日"、あの場に居た唯一のお客様だ。
病院まで立ち会ってくださり、その後のことも全て知っている。
支援も申し出てくれたが、オレはそれを断った。
代わりに、すべてを秘密にしてくれるように頼み込んだ。
その義理を、今でも律儀に守ってくれている。
そればかりか、こうして毎日のように店を訪れては、オレを気遣ってくれる。
安永様にも、心の中でずっと感謝している。――不本意な異名についてだけは今も根に持っているけど。
「え? ああ、大丈夫ですよ。最近は課題に打ち込んでて、少し疲れは出てるのかも知れませんね。でも、やっと絵を描く時間が取れるようになったんです。」
作り笑顔で答える。
それに、休んでいた分の課題が溜まっていることも事実だった。
四戸さんとトシ先輩が教授に事情を話して掛け合ってくれて、特別に遅れを許してもらえているだけだ。
「そうかい。随分と顔色が良くないように見えるが……。無理はするなよ、体に悪い。」
「お気遣いありがとうございます。」
カウンターに明るい雰囲気が戻って来てくれた。
「よし、とりあえず今日も飲ませてくれよ! やっぱり、ギムレットだな! チーフのギムレットは最高だからね!」
「かしこまりました。」
安永様の顔を見る。
心なしかいつもより少し眉間の皺が深く見える、何か悩んでいるのかな。
こういう時はサッパリ目に仕上げたほうがいいかな。
安永様の好みと、一杯目であること、そして配合はサッパリ目に。
頭の中が急に冷えてくる、今あるお店のジンの味わいが口の中に広がる。
ライム、甘み――パズルのピースが揃うようにギムレットのレシピが組み上がっていく。
よし、これで行こう。
カクテルグラスを冷凍庫に入れ、シェーカーのボディをひっくり返し、氷を落とす。
カシャン、気のせいかいつもより僅かに音が鈍く聞こえる。
冷凍庫に保管してあるビーフィータージンを取り出し、45ml。
ライムはフレッシュで15ml、シュガーシロップを1dash。
ストレーナーを被せ、キャップを嵌め、空気を逃がして構える。
左肩前でシェーカーを構える。世界を切り離していく……集中が、甘い。小さく聞こえるBGMに、チリチリとしたノイズが入る。
大きく息を吸う、さらに深く集中して……ストロークを始める。
カシャ、
カシャ、
カシャカシャカシャ――。
小気味の良いリズムがカウンターに響き渡り、指先の温度がシェーカーに吸われて一体化していく。
――ここだな。
シェーカーを止め、キャップを外してカクテルグラスを取り出し、出来立てのギムレットを注ぐ。
ダウンライトに照らされた極小のフレークが虹色に煌めいている。
うん、今日のフレークも最高だ。
最後に、香り付けのライムピールを振り掛け、コースターに重ねる。
「ギムレットでございます。」
「おぉ、来たよ、王のギムレットだ!」
最近は、オレの作るギムレットは王のギムレット、なんて呼ばれているらしい。
こそばゆいが、正直悪い気はしない。このカウンターで磨いてきた技術が認められたのだと思えば、素直に嬉しいとすら思える。
ひと口、口に含みプハァ、と息を漏らす。
顔を見ればわかる。今日のギムレットも安永様はお気に召してくれたようだ。
「あぁ、コレコレ。今日はちょうどサッパリしたい気分だったから甘すぎなくてちょうどいいね!」
ケホッ
喉が一瞬詰まる。軽い咳払いですぐに違和感は消えた。
「ありがとうございます。」
「なんだ、風邪かい? 気を付けないとダメだぞ。そういえば、チーフ、留年するんだっけ?」
いきなり脈絡もなく爆弾を落とす。
痛いとこ突くなぁ……。
「いやー、それ言わないでくださいよ。一般教養が、どうしても単位足りなくて。」
「なんか、チーフ……単位とか言ってると、本当に大学生なんだなって思いますよね。カウンターに立ってるとこ見ると、オレよりも全然しっかりして見えるのに。」
百瀬くん?
「カウンターに入っている時は、私、ね? で、百瀬くんは私が老けてる、とでも言いたいのかな? うん?」
なお、オレに老けてるとか大人っぽいとか落ち着いている、といった話題はタブーである。
常連さんなら決して口にすることはない。
以前盛大にネタにした安永様に、一杯目は水しか出さなくなったことは、常連さんのネットワークでしっかり共有されているらしい。
ちなみにその時は安永様が三日で根を上げた。
「し、失礼しました!」
安永様はゲラゲラ笑ってる。……やっぱり今日も水にしてやれば良かった。
「でもまあ、百瀬くんも来てくれたし。もう少ししたらちょっとくらいはお店も任せられるんだろ?」
「うーん、そうですね、まださすがに一人では、というところはありますが。様子を見て、少しずつ、にはなりますかね?」
「ちぇっ、チーフってば、ホント横山マスターより厳しいかも。」
「ほうほう。じゃあ、もっと厳しくしても良いようですよって、Yにお邪魔した時に言っとくね。いやぁ、百瀬くんがそんなドMだったとは思わなかったよ。」
百瀬くんを預かっている立場上、定期的にYにはお邪魔している。
行く度に横山マスターには説教をされている。
ウチのマスターと兄弟弟子だけあって、同じようなことばかり言うのが、ちょっと懐かしく感じて、嬉しい。
「やめてくださいって! オ……私ドMじゃないですし!」
ケラケラと安永様が楽しそうに笑う。
安永様、下世話な話が大好きだしツボったかな?
カウンター越しに、穏やかな空気が流れる。
良かった。




