ライバル
「すごいじゃん! チーフは日本酒も詳しいんだね、さっすが!」
カウンターに戻ると、聞き耳を立てていた清楓様が笑いながら声を掛けてきた。
「実は、日本酒を用いたカクテルもあるんで、一時期色々試したんですよ。その時に調べたんですよね。」
日本酒を用いたカクテルは実在する。
試しに作ってみた時に、イメージ通りにならなくて調べて詳しくなった、というだけだった。
大した話ではない。
とりあえず、今はいただいたオーダーを仕上げなければ。
課長はもちろん、係長ともうお一方があの日本酒を非常にお気に召し、三人で飲むという。
後のお三方はそれぞれのカクテルをご注文いただいた。
お一人はジン・トニックだったので、これは百瀬くんでも出せるようになったカクテルだ。彼の練習にもなるし、対応してもらうことにする。
もうお一人はせっかくなら日本酒を使ったカクテルを、とのオーダーだった。
問題は工藤さんだ。
なんでも、今回の捜査のせいで、今年は海にも行けなかったから、海を感じるカクテルが飲みたい! という。
他の方に、どうせ一人で行くだけじゃねえかなんてツッコまれていたけど。
海を感じるカクテル、か……。
思い付いたのは、見た目にも楽しいあのカクテルだった。
本来は春をイメージしたカクテルらしいが、やはり海、と言われるとこのカクテルをイメージする。
よし。同じ作者の作品だし、これで行ってみようか。
コリンズグラスと、フルートタイプのシャンパングラスを取り出す。
まずは深めの、小さなポリ容器を二つ、キッチンに取りに行く。
一つには塩を3cmほど敷き詰めるのも忘れない。
そして、カウンターでもう一つのポリ容器にブルーキュラソーを注ぎ、2cm程度。
シャンパングラスの縁をブルーキュラソーの容器に沈めて濡らし、そのまま塩を敷いた容器に押し当てる。
取り出したら、中についた塩を綺麗なダスターで拭う。
コーラル・スタイルと言われる、珊瑚をイメージしたデコレーションだ。
シェーカーを二つ、ボディに氷を組む。
コリンズグラスにも氷を組む。シャンパングラスには一つだけ氷を落とす。
ビーフィーター・ドライ・ジンでキリッとさせよう。20ml。
メロンリキュールのミドリを20ml。グレープフルーツを搾って、20ml。ブルーキュラソーを1tsp。
シェーカーに注いだら、ストレーナーを被せ、キャップを嵌める。
左肩の前で構えて、息を吸って――止める。
有線が流していた、デクスター・ゴードンの吹く『Days of Wine and Roses』が遠くなっていく。
指先がシェーカーに溶けるように一つになって……ストロークを始める。氷が動く音がカウンターに響き始める。
リズムに乗って、気持ちハードに。
指先の体温が急速に奪われて……シェーカーの結露が指を滑らす前に、止める。
キャップを外して、シャンパングラスに。
一つだけ落とされていた氷を持ち上げながら、一段深く感じるグリーンがグラスに注がれていく。
最後の一滴を注いだら、汗をかき始めたシェーカーをシンクに戻す。
次は日本酒のカクテルだ。
そのまま、コリンズグラスを氷だけでステアして、溶け水を棄てる。
次はシェーカーの中の溶け水を棄てる。二滴の水がこぼれ落ちただけだった。
日本酒は……鳳凰美田をチョイス。値段も手頃だ。
純米酒という、日本酒本来の美味しさを追求する銘柄が増えてきたことは、日本酒にとって明るい未来だと感じている。
この鳳凰美田を50ml。コアントローを30ml、レモンを搾り、10ml。
ストレーナーを被せ、キャップを嵌め、左肩の前で構える。
意識をもう一度指先に集中し、世界から切り離していく。
指先がシェーカーと貼り付くように一体化したところで、ストロークを始める。
氷が動くたびに、鳳凰美田のキリッとした輪郭の中に、コアントローの柔らかな甘味と、レモンの酸味が静かに溶け合っていくのを感じる。
キレを殺さない、ギリギリのラインを見極めながら、シェーカーの温度を測り、フワリ、とストロークを止める。
カウンターの残響が消える前に、キャップを外してコリンズグラスに注ぐ。
トニックウォーターのボトルを取り出して、二つのグラスを満たしていく。
シャンパングラスの方は、コーラル・スタイルの一番下のラインに合わせることも忘れない。
最後に、バースプーンの背をコリンズグラスの内側に這わせるように当てて、ブルーキュラソーをゆっくりと沈めるように、1tsp。
完成した二つのグラスと、百瀬くんに頼んでいたジン・トニックをトレイに乗せ、テーブル席へ向かう。
「お待たせいたしました。こちらが、ジン・トニックでございます。」
確認するように声に出しながら、課長の隣に座ったお客様のコースターに乗せる。
そして、日本酒を使ったカクテル、というオーダーのお客様には。
「こちら、日本酒を使ったカクテル、ファンタスティック・レマンでございます。スイスのレマン湖をイメージしたカクテルですね。」
「じゃあ、それがオレの海のカクテル?」
待ち切れないのか、工藤さんが声を掛けてくる。……落ち着きましょうか、工藤さん。
「はい。シティ・コーラルでございます。珊瑚をイメージしたカクテルです。実は、こちらのファンタスティック・レマンと、シティ・コーラルは同じバーテンダーの作品でございまして。こんな趣向もアリかな、と選ばせていただきました。」
小さく頭を下げる。
その時、蝶番が控え目に軋んだ。
「悪い悪い、遅れた!」
「遅ぇよ! お前始末書書け!」
「なんで飲み会に遅れただけで始末書なんだよ! おかしいだろうが! お、なんだ工藤、お前一丁前にシティ・コーラルなんざ。ってことは、沢口のは……ファンタスティック・レマンか?おいおいチーフ、この二人に上田さんのカクテルなんざもったいないって! 水で十分だ水で!」
いらっしゃいませ、と声を掛けながら、上着をお預かりして百瀬くんに渡す。代わりに受け取ったおしぼりをお渡しする。
「チッ、相変わらず酒にはうるせえなぁお前は。って……あれ、なんでお前チーフ、って……。」
「あ、チーフ、オレ一杯目はエチュードね。その次はギブソンで、オレも今日は上田さんに倣ってビーフィーターのノイリーにしようかな。あ、いつも通りパールオニオンは3つね!」
うーん、さすが。
上田さんになぞらえてビーフィーターをご指定されるとは。
上田さんとは、銀座テンダーの名バーテンダー、上田和男さんのことだ。
ミスターハードシェイク、なんて呼ばれることもある、レジェンドの一人。
とりあえず、乾杯のエチュードか。急いでお持ちしよう。
「かしこまりました、長瀬様。すぐにお持ちいたします。」
笑ってカウンターに戻ろうとした時、工藤さんが引き留める。
「ちょ、ちょ、チーフ! え、長瀬のこと知ってんの?」
「えぇ、もちろんですよ。お忙しい中、時間を縫ってはいらしてくださって。他のお店のことにもお詳しくて、色々勉強させていただいております。」
プッ、と長瀬様が吹き出して工藤さんに声を掛ける。
「それより、早く飲めよ! せっかくのシティ・コーラルが薄くなるだろうが!」
「……嘘だろぉ! お前、一言も言わなかったじゃねえかよ!」
……この二人、仲悪いのか仲良いのか、よくわかんないな……。じゃれてるようにも見えるけど……。




