予約
『あっ、チーフ! 悪いけど、今夜二十時くらいで予約できるかな! 七人なんだけど。』
開店直前。工藤さんから、今夜のご予約の電話が入った。
多分、先週ニュースになっていた件がようやく片付いたのだろう。
テーブル席の予約はない。
「わかりました。ご準備させていただきます。お待ちしておりますね。」
よろしく頼むよ、そう言って電話は切れた。
急いでテーブル席を並べ替えて、八人掛けのセットに変更する。
リザーブカードのセットも忘れはしない。
工藤さんはここしばらく忙しくて、自宅にも帰れない日々が続いていたらしい。
先日、着替えを持って行こうと声を掛けた時にも、行けそうにないと言っていた。
オレは工藤さんの仕事は知っていても、中身まではよくわからない。勝手な想像だけど、泊まり込みとかも当たり前なんだろうな。
ようやく落ち着いてくれたんだ、ひと段落ついたんだな、という安堵が胸を包む。
知っている人が苦しむのは見たくなかった。だから、純粋に良かった、と思えた。
ちなみに、着替えを持って行く時は、悩んでいるオレに気付いた安永様が声を掛けてくれて、車を出してくれた。
事情を知っているとはいえお客様にそれは、と断ったのだけど、オレも久しぶりに顔見たいから連れてけよ、と押し切られてしまった。
どうしても大荷物になることを考えて、最後には甘えさせてもらうことにした。
工藤さんには、鍵を管理してくれているお母様に話をしてもらった。
日曜日、インターホンを押した時には……出ていらしたお母様にまた泣かれてしまった。
「こんなに、痩せて……! ちゃんと食べてるの? ご飯、食べてから行きなさい!」
そう言って肩を掴まれて。
そんなに痩せただろうか。
安永様をお待たせしていることを伝えたら、何故か安永様と一緒にご飯をいただくことになってしまった。
そういうところは下町の、近所付き合いみたいなものを感じて、なんだか楽しかった。
安永様はさすが年の功なのか、お母様とすぐに打ち解けて笑っていて。
いいなぁ、これが家族なんだろうか、と羨ましくなった。オレには、こんな温かい家族はいなかったから。
食事は、美味しかった。
いつも何を食べてるんだ、痩せ過ぎだよ、そんなふうに心配してくれるお母様の言葉が温かくて。久しぶりに、ちゃんとご飯を食べられた気がした。
おかわりも、と言われたけど……胃が受け付けてくれなくて、でもそれを口に出すわけにはいかないと、断るのに苦労した。
食事の後、ウチの正行はいつになっても彼女の一人も連れてきやしなくて、なんてお母様のいつもの愚痴が始まった。
安永様が、「そのウチいい人見つかりますよ、私にだって嫁が来たくらいですからね。まあ、鬼嫁なんですがね。」なんて返事をしていて、どこにいても変わらないな、と感心してしまった。
この子をよろしくね。そう言いながら、まとめてくれた着替えを安永様に渡し、見送ってくれるお母様に頭を下げながら助手席に乗り込んだ時には……工藤さんが羨ましい、と思ってしまった。
「良い人じゃないか。お前は、もっと周りに甘えろよ。一人で背負い込み過ぎなんだよ。」
安永様は、そう言って車を走らせた。横山マスターにも、前にそんなことを言われた。
甘える、って、オレはもう、十分に甘えさせてもらっている。今だって、こうして安永様に車を出してもらって、さっきもご飯までいただいてしまって。
そんなことを言った覚えがある。
安永様は、寂しそうな顔をして……何故か、その顔が、忘れられない。
いつもの病室、いつものやり取り。
安永様は久しぶりに会えて良かった、と笑いながら、見えないように唇を噛んでいた。
そのことが、白いベッドの上でオレが贈った赤いニット帽を被って笑う人の病状を物語っていた。
期待していた薬は、またダメだった。
――もう、打つ手がない。
主治医にそう言われたのが、前の週に行った時だった。本人にも、すでに告知はしてあるという。
車の中で、安永様にもその話は伝えてあった。
覚悟はしておいてください。
主治医に言われた言葉が、二人の何気ないやり取りを眺めている間も頭の中を駆け巡っていた。
持って来た着替えと引き換えに持ち帰った衣服を、車に乗せた帰り道。安永様は、何も言わなかった。
その沈黙が、オレには嬉しかった。
これが、最後の着替えの交換になるかも知れない。
そのことは、口にはしなかった。




